別の話題の方が注目されている相撲ですが、私が興味があるのは取り組みの話なので、春場所(大阪場所)で一番印象に残っている、昭和61年春場所の思い出です。春場所はよく「荒れる春場所」と呼ばれ、下位の力士が活躍すると言われますが、それはこのときの「益荒雄旋風」が頭にあるからだと思います。
当時、小兵だった益荒雄は初めて上位に挑戦する前頭上位に上がってきたばかりでした。当時の上位力士にとっては恐れるに足らずと侮っていたようです。初めて上位に上がってきた力士はどんな力士だろうと稽古相手にするのが普通ですが益荒雄はノーマークの存在でした。
後に「白いウルフ」という愛称がつく、差し勝って素早く前に出るスピード相撲はファンでなくても楽しめる相撲でした。当時の横綱双羽黒は初顔から何番か続けて益荒雄に敗れ、立ち合いの勢いを止めないと勝てないこの相撲は上位陣にとって脅威でした。
この春場所は益荒雄の名前を全国にアピールした場所で、本家ウルフの千代の富士にも勝つなど横綱大関総なめの活躍でした。下位の力士に安定して勝てなかったため、最終成績は10勝5敗でしたが、優勝力士より印象に残る活躍でした。
ただ、実際に統計を取ると春場所はさほど荒れておらず、むしろ上位陣にとっては名古屋場所の方が調整が難しいようです。ここ数年猛暑が続いているので、暑さとの戦いになる名古屋場所は平幕優勝がよく出る、上位にとっては鬼門です。
益荒雄は上位キラーとしてその後も活躍しましたが、膝の負傷もあって全盛期は短かったです。上位戦を当てられると、金星を期待されて立ち合いの変化をすることが多く、これが負傷を呼ぶ原因でした。
親方としては阿武松(おおのまつ)部屋を興し、若荒雄、益荒海という四股名を聞いただけで益荒雄の弟子だとわかる十両力士を二人育てています。これからは幕内力士を育てることを期待したいです。
当時、小兵だった益荒雄は初めて上位に挑戦する前頭上位に上がってきたばかりでした。当時の上位力士にとっては恐れるに足らずと侮っていたようです。初めて上位に上がってきた力士はどんな力士だろうと稽古相手にするのが普通ですが益荒雄はノーマークの存在でした。
後に「白いウルフ」という愛称がつく、差し勝って素早く前に出るスピード相撲はファンでなくても楽しめる相撲でした。当時の横綱双羽黒は初顔から何番か続けて益荒雄に敗れ、立ち合いの勢いを止めないと勝てないこの相撲は上位陣にとって脅威でした。
この春場所は益荒雄の名前を全国にアピールした場所で、本家ウルフの千代の富士にも勝つなど横綱大関総なめの活躍でした。下位の力士に安定して勝てなかったため、最終成績は10勝5敗でしたが、優勝力士より印象に残る活躍でした。
ただ、実際に統計を取ると春場所はさほど荒れておらず、むしろ上位陣にとっては名古屋場所の方が調整が難しいようです。ここ数年猛暑が続いているので、暑さとの戦いになる名古屋場所は平幕優勝がよく出る、上位にとっては鬼門です。
益荒雄は上位キラーとしてその後も活躍しましたが、膝の負傷もあって全盛期は短かったです。上位戦を当てられると、金星を期待されて立ち合いの変化をすることが多く、これが負傷を呼ぶ原因でした。
親方としては阿武松(おおのまつ)部屋を興し、若荒雄、益荒海という四股名を聞いただけで益荒雄の弟子だとわかる十両力士を二人育てています。これからは幕内力士を育てることを期待したいです。