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Kobby loves 埼玉&レッズ

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時代をつないだ横綱(武蔵丸)

2011-02-19 20:12:32 | 他スポーツ
今日はどうしてもネタがないので、いつものように昔の大相撲から引っ張ってきます。ブログ上で検索したら、武蔵丸の名前は大型化時代の象徴として、何度か登場していますが、武蔵丸自体をネタにしたことはなかったので、今回ネタにします。武蔵丸は若い方はご存じないかもしれませんが、大相撲の元横綱で、私と同年齢の力士です。

振分親方になった今でも筋力トレーニングは欠かしていないらしく、今でも手首の負傷さえ治っていれば横綱を張れるのではと、周りの親方衆は言っています。武蔵丸といえば、ライバルの曙が腹が出て下半身が細い、相撲には不向きの体型をしていたのとは対照的に、下半身が大きく将来性では曙より上と若い頃から言われていました。

実際、四つ相撲でも突き押しでも取れる柔軟性を持っており、優勝回数12回は横綱としては十分合格点の成績です。たまに小兵力士に不覚を取る曙と比べると、小兵をさばくのはうまく、舞の海にとってはなかなか勝てない力士でした。武蔵丸の最も評価できる点は、貴乃花が負傷で休場していた1年余りの間、一時的ながら「武蔵丸時代」を作ったことです。

この一年はちょうど相撲界が若貴、曙らの時代から朝青龍時代へ向かう過渡期でした。そんな時期を空白の戦国時代にせず、横綱の存在感を見せた武蔵丸は、一人の殊勲者だったと思います。武蔵丸といえば、貴ノ浪と同時に入幕したこともあって、貴ノ浪との対戦回数が史上最多だったという記録を持っています。

貴ノ浪はこの記録を「勲章」と呼び、大関から陥落した後も「武蔵丸と当たれる位置」を守ろうと懸命の土俵を務めました。そんな武蔵丸が引退に追い込まれたのは、先ほども若干触れた手首の故障でした。突き押し相撲で最も大事な部分だけに、何度も手術して完治を目指しましたが、とうとう治ることはありませんでした。

それでも、若貴人気の陰で敵役にされた不運はあるにせよ、大関在位が最も長かった横綱という遅咲きながら花を咲かせたことは見事でした。解説者はあまり向いていないようですが、親方として長く相撲界で活躍することを期待しています。
コメント
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