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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

夢の中までブログ

2011-02-06 14:54:15 | 他スポーツ
昨日、ある理由で一日中あちこち振り回され、今日は疲労でようやくPCの前に座れる状態になりました。そんなとき、ついに夢の中までブログのネタを考えている自分がいて、そこまでブログにはまったかと驚いています。寝るときにブログのネタを考えると眠れなくなるので禁止しているのですが、今日は夢の中に出てきたブログネタをアップします。

それは、オフネタ恒例の昔の大相撲で、昭和59年名古屋場所の大乃国対霧島戦です。序盤戦好調だった当時新入幕だった霧島は、一緒に新入幕した小錦との一番を制し、ついに当時関脇だった大乃国戦を組まれました。当時の霧島は体重110kgの軽量力士で、頭をつけて前褌を引く相撲でないと大型力士には勝てない力士でした。

大乃国戦では、その願ってもない、前褌を引いて頭をつける体勢になりました。しかし、当時の霧島には200kg近い巨漢の大乃国を一気に寄り切る力はありませんでした。相撲は長期戦になり、霧島の頑張りを願いながら1分近くが経過します。その願いは通じ、下手出し投げで大乃国を土俵の中央で横転させて霧島の勝利に終わります。

この場所、上位と当てられた霧島は終盤に負けが込んで、終わってみれば8勝7敗だったのですが、この大乃国戦の勝利が評価されて、新入幕ながら敢闘賞を受賞します。しかし、当時の霧島は前褌を引くしか勝てるパターンがなく、特に突き押し相撲の力士に胸を突かれるとからきし駄目と、とてものちに大関に昇進するような力士には思えませんでした。

それを克服したのは、徹底した筋力トレーニングによる、体重の増量でした。それまでは上位に上がると大きく負け越していた霧島が、次第に筋肉を付け、体が大きくなってきました。それまではできなかった吊り寄りができるようになり、上位に定着してからは一気に大関の座を手中にします。

霧島の場合、幕下を通過するのに丸4年かかっており、しかも新十両の場所で負け越して再び幕下に落ちるなど、なかなか順調に勝ち上がっては来られませんでした。各段優勝の経験もなく、大関昇進までに掛かった場所数は91場所と史上最も遅い出世でした。

しかし、相撲界では引退年齢と言われる30歳を過ぎて逆に力をつけて、大関在位は16場所と平凡だったとはいえ、優勝まで経験できる力士になった霧島のことは今でも時折思い出すことがあります。昔のことを思い出すのは年をとった証明かもしれませんが、霧島が活躍した時代は私の青春時代なので、それとともに思い出すのかもしれません。
コメント
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