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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

年がばれる話

2011-02-18 21:31:52 | 埼玉
この方の話に触発されてではありませんが、生まれも育ちも浦和という私の「年がばれる話」です。新たに越してきた浦和の新住民にはないであろう、地元育ちならではの記憶がいくつかあります。

まず、宇都宮線、高崎線の浦和駅のことですが、私の少年時代は平日の朝夕のラッシュ時のみの停車で、日中と休日は通過していました。県庁所在地のプライドを考えれば全面停車は当然と当時の国鉄に掛け合った結果、ようやく全面停車が実現したのが小学校3年生のときでした。

当時の埼玉新聞で一面トップだった記憶があります。それ以前は、日中に浦和駅の地下通路を通ると、ただいまの時間通過と書かれた紐が入り口に巡らされて、人が入らないようにしていました。

また、浦和の西口の駅前に伊勢丹とコルソがあるのが当たり前の方は新世代もしくは新住民です。その前の浦和駅は、それこそ終戦直後の闇市が出そうな駅前で、砂埃舞う狭いロータリーにぐるりと取り囲むようにバス停があり、その角の一等地に山口屋がありました。

ご多分にもれず、甘いものが好きだった少年時代の私には、目立つところにある山口屋は憧れの店でした。もっとも、山口屋は高いので買ってもらえず、代わりはセキモトの洋菓子でした。セキモトは今でもコルソの地下にあるので、懐かしくなって当時のままのショートケーキを買うこともあります。

その狭い駅前に、伊勢丹やコルソが立つようにするには、相当大規模な立ち退きと駅前再開発が必要でした。当時は少年だったのでわかりませんが、相当の軋轢はあったものと予想できます。その狭い駅前そっくりの駅前を、韓国の慶州駅で見たのには懐かしさを覚えました。

また、少年時代の娯楽は、別所沼のペダルボートでした。今思うと、あんな狭いところでボートに乗って面白いのかと思うのかもしれませんが、当時は水の上に出るだけで十分な娯楽でした。手漕ぎボートは大人になってからねと両親に言われていましたが、大人になる前にボートの方がなくなってしまいました。

もっとも、このボートは別所沼を管理する側にとっては面倒な要因だったらしく、当時は沼の周りに浮き輪が吊ってあって、おぼれている人がいたら投げてくださいという立て看板がありました。実際にこの浮き輪が活躍したら大変ですが、そういうものが必要になるくらい、別所沼は深くて足が立ちにくい、やっかいな沼地でした。
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3年ぶりのJリーグ(西村卓朗)

2011-02-18 18:23:24 | 他チーム
以前浦和に在籍して、その後大宮で念願のJ1のピッチに立った苦労人、西村卓朗選手の話題です。なぜ今さらかと言えば、今季西村は練習生からスタートしてJ2の札幌と契約に至り、3年ぶりにJリーグの舞台に帰ってきます。

2008年シーズンのオフに大宮から戦力外通告を受けてからの西村は、アメリカの独立リーグでプレーしていました。ここに入るのにもトライアウトを経ており、環境面でもJリーグのようなメディカルスタッフがいないなど、苦労を味わいましたが、あくまで現役にこだわる執念で2年間アメリカでプレーしました。

しかし33歳という年齢もネックになって、今オフもチーム探しに世界中を巡ることになりました。シンガポールではチームが見つからず、浦和時代に選手とコーチの関係だったエンゲルスのコネでドイツの7部リーグで練習していましたが、今回の札幌からの話は最後のチャンスだったでしょう。

札幌は三浦監督が指揮したJ1時代に最終ラインにCBタイプを4人並べたことがあったので、スピードのあるSBタイプの選手が一時いなかったので、西村のようなタイプは必要としていたでしょう。練習から声を出してアピールした西村は、ついに最後のチャンスをものにしました。

もちろん、札幌で試合に出なければ完全な成功とは言えませんが、一時プレーするチームがなかった西村があくまで現役にこだわって今回の復活を果たしたことには拍手を送りたいと思います。

たまに天皇杯の2、3回戦あたりを見ると、JFLや地域リーグにいる元Jリーガーはいます。とにかくプレーできる環境を得ておけば、合同トライアウトに参加するなど復活の可能性はゼロではありません。今回の西村の復活は、そういう選手たちに勇気を与えたと思います。
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