Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

涙さえ出た好ゲーム(10/9浦和対G大阪)

2011-10-09 22:14:39 | 浦和レッズ
今日は映像が手に入らないことは知っていたので、現地観戦するしかないと思い、チケットを手に埼スタに出かけてきました。以前、私はデスポトビッチが点を取れないなら、思い切って啓太アンカーの3ボランチにして、前線はマルシオの1トップという超守備的サッカーをすべきとブログに書いたことがあります。

これは完全に間違っていました。今日のサッカーは浦和も前線にボールが収まることを示した会心のサッカーで、エスクデロもデスポトビッチもよくボールを足元にキープしていました。特にすばらしかったのはエスクデロで、味方のクリアからのカウンターでしっかり相手のダブルボランチに競り勝ち、うまくチャンスを作り出していました。

しばらく、浦和のホームゲームがなかったので、生観戦に飢えていた私にとっては、内容の悪いリーグ戦の映像ばかりを見ていたので、浦和はもう守って勝ち点1を取るしか残留の道はないのではと悲観するほどでした。しかし、このナビスコ杯で、浦和も前線にボールを収め、梅崎や柏木が積極的に上がってくる面白いサッカーはできるではないかと、少し自信を取り戻した一戦になりました。

特に2点に絡んだ梅崎は感動的でした。1点目はエスクデロのシュートがGKに当たったところに詰めた、得点感覚を持ったゴールでしたし、エスクデロのゴールになった2点目も、実際にシュートを打っているのは梅崎で、たまたまエスクデロに当たってコースが変わったのでエスクデロのゴールになっただけです。

ヒーローインタビューでも、梅崎は負傷で苦しんだ日々を振り返り、今日という日のために今までがあったとサポーターへの感謝の思いを述べていました。ペトロにとっては梅崎とエスクデロが好調というのは原口が代表から戻ったときに逆に誰を外していいか悩む嬉しい悲鳴かもしれません。

確かに今日はすばらしい勝利でした。しかし、厳しいことを言えばまだ何も勝ち取っていません。大宮戦に勝って残留に近づき、ナビスコ杯の決勝で鹿島に勝って初めて今日の勝利が意味を持ってきます。それでも、今日の勝利は梅崎の応援歌を涙さえ流して歌った、思い出に残る勝利でした。いつものホーム側指定席より、少し前のサポーターに近いところに陣取ったので、応援に合わせるのも比較的楽でした。

国立に行けるかどうかはチケットの優先販売のやり方次第なので、正直言ってわかりません。ただ、行けたら現地に立つ人間として、可能なことはやりたいと思っています。
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相撲の立ち合い

2011-10-09 10:56:28 | 他スポーツ
今日は埼スタに行ってくるので、即日更新できないかもしれないので、穴埋めネタを用意しておきます。

先日、引退したばかりの元大関魁皇に対して、NHKテレビで質問コーナーがありました。質問者は相撲道場に通う「相撲少年」だったのですが、立ち合いで頭から当たるのはどうしても怖いが魁皇さんはどうしていましたか?という質問がありました。なかなか面白い質問でしたが、魁皇の答えは「自分も頭では当たらず、胸で当たっていた」というものでした。

魁皇が言うには、立ち合いは低く当たりさえすれば、必ずしも頭で当たる必要はないとのことで、この相撲少年にはいい回答になったことと思います。頭で当たるタイプの方が、「突き刺さる」ような一気の立ち合いが可能になり、典型例は日馬富士ですが、立ち合いが低すぎてはたき込まれるリスクもあります。

私が振り返る、胸で当たるタイプの力士は元大関、霧島です。平幕時代は110kg台の軽量力士だった霧島が頭で当たれなかったというのは意外ですが、確かに突き押しの力士に対しては胸で当たるところを思い切り突かれ、あっさりと土俵を割ることもありました。当時の霧島は前褌を引いて持久戦に持ち込まないと勝てない力士で、そのスタミナは評価できても、勝ちパターンが少ないことで、平幕を抜けるのは難しいのではと思っていました。

霧島の場合、強くなれたのは筋肉で体重を増やしたからでした。それ以前も、「バーベルが恋人」と言われるほどの霧島の筋力トレーニングは有名でしたが、小結に上がった場所で1勝14敗の惨敗を喫し、これは何かを根本的に変えないと上位には通用しないと、プロテインを飲んだりして筋肉の増量を目指しました。

その結果、30歳近くなってきた霧島の体は、目に見えて大きくなってきました。相撲の内容も変わり、がっぷり四つに組みとめての吊り寄りなども見せるようになり、すっかり力の強い力士という評価に変わってきました。朝潮が6回目でようやく上がれた大関昇進のチャンスを1回でものにした霧島は、大関在位こそ16場所と平凡ではありましたが、優勝も経験するなど輝くことができました。

霧島は大相撲の大型化時代に最後に立ち向かった「防波堤」というイメージもあります。曙や武蔵丸が下から上がってきた時期に、上位力士として最後の意地を見せた大関だった記憶があります。負けることも多く、ちょっと頼りない防波堤でしたが、相撲界から「つり出し」は霧島を最後になくなるのかなと思っていた頃です。
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