Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

オルフェーヴル三冠達成

2011-10-23 17:09:14 | 他スポーツ
今日は首を寝違えて、右へ振り向くと痛いという情けない状態なので、休日に一日空いているときの日課の散歩はできず、歩いてすぐの床屋へ行くのが精一杯でした。今日は競馬の菊花賞で、オルフェーヴルが三冠を達成したというニュースがインターネットから入ってきました。

昔競馬を見ていたときは三冠は史上でもわずか7頭しかおらず、なかなか達成できないものということが記憶にあるので、この快挙はさすがです。今日、床屋で馬柱(競馬をご存じない方のために説明すると、予想の参考にするため馬の過去の成績を縦に並べた表のことです)を見ていると、オルフェーヴルは皐月賞とダービーを勝つ前は結構負けていたという事実がわかりました。

これを見ると、私が競馬を見ていたころのスター、ナリタブライアンを思い出します。ナリタブライアンは全盛期には他の馬を寄せ付けないほどの強さを誇っていましたが、皐月賞の前は結構負けていて、皐月賞のときにはレース数が多すぎるという否定的な見方もされていた馬です。そんな評価は勝てば変わるものですが、あのナリタブライアンと同じような道をオルフェーヴルもたどったという事実は面白いです。

ただ、この競馬というスポーツは、記録をたどるのは楽ですが、実際の映像からどの馬がどの辺にいるかを瞬時に判断できるには相当のファンにならないと難しいスポーツです。ナリタブライアンはシャドーロール(馬の視界をさえぎる白いバンド)をつけていたので判別はできる馬でしたが、よほどファンである馬一頭に絞って観察しないと結局どういうレース展開だかわからなくなることもよくあります。

ましてや競馬場に行って生の馬の動きを見ることができる人は、相当のファンだと思います。そういう意味では、馬券を買ったりとかのはまり方はしませんでした。スポーツ紙で野球の情報を集めていたときに、余った時間で見ていたスポーツでした。しかし、オルフェーヴルの母の父がメジロマックイーンという、私の世代のスターだったことを知ると時代も流れたなと思います。
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堀新監督の現役時代

2011-10-23 11:15:27 | 浦和レッズ
若いサポはご存知ではないかもしれないので、浦和の新監督、堀孝史氏の現役時代について、ベテランサポの昔話ですが書きます。堀は明治大学を出て、当時の日本リーグ東芝を経て、プロになるために浦和に移籍してきました。当時のポジションはFWでしたが、Jリーグ開幕の1993年、本来はベンチ要員の予定だった堀に、柱谷幸一の負傷でスタメンが回ってきて、ノーゴールの不振でサポーターに野次られることになります。

この年の不振で、きっぱりとFWを諦めたことが、堀の選手生命を延ばしてくれました。1994年に就任した横山監督は、堀を右アウトサイドにコンバートして、もともと身体能力の高かった堀は運動量の多さを武器にして活躍します。

1995年のオジェック監督時代には、堀はボランチというポジションをものにします。広瀬、土橋といったあたりと争っていましたが、ここでの堀の武器は遠めからライナーで飛んでいくミドルシュートでした。決まる確率はそんなに高くはなかったものの、ピンチになりそうな場面を一発で清算できるミドルを放てる選手は貴重でした。

堀は華麗なテクニックを持っていたわけではありませんでしたが、その身体能力の生かし方を覚えたことでいい選手になっていきました。1997年に背番号が固定番号になったときの初代背番号5が堀です。ただ、天皇杯は背番号が固定だったので、その前年、FWに負傷者が続出したときの天皇杯で堀が背番号5のままFWに入ったことがあります。

堀と福永の2トップで大丈夫か?とサポは心配していましたが、運動量の生かし方を覚えていた堀は結構こなしていた印象があります。この年の天皇杯は4強まで行き、国立競技場にサポが入って、オジェック監督の最後の試合で胴上げをしました。

しかし、1998年に原監督が就任してから、堀の出番は減っていき、翌1999年に平塚(現湘南)に移籍していきました。湘南でJ2降格を経験していますが、J2に落ちたチームにも残り、頼れるベテランとしてチームをまとめていました。

堀は肉体派で指導者タイプではないというのが当時のイメージでしたが、湘南で引退後コーチになり、浦和でユースの監督として原口や山田直輝を育てた監督として知られます。浦和のトップチームの指導者になるのは初めてだったので、相手のことを知らないのではと危惧していましたが、昨日の横浜FM戦の勝利は自らのいいところを出せばいいという本人の哲学を貫いた結果だと思います。
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