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J2時代の思い出

2011-10-17 19:15:20 | 浦和レッズ
浦和のJ2時代から11年が過ぎ、当時を知らない若いサポも多くなってきたと思います。こういうときは私のようなベテランサポは昔話をすることにして、2000年の浦和のJ2時代を振り返ります。この年は懸念されていた主力選手の大量流出はなく、鹿島から室井と阿部敏之を補強して、下馬評ではダントツの昇格候補でした。

当時のJ2は11チーム4回戦総当たりのリーグでした。J2なら明らかに格下の相手もいるので、そのチームに4連勝を計算すれば、年間5敗以下で昇格できると、開幕前は強気でいました。今は天皇杯でJFLのチームがJ1相手に強気のサッカーをする時代ですから、当時とは違うでしょうが、当時浦和と対戦する相手の中には1トップを残して全員で引いてくるチームもありました。

開幕戦の水戸戦で、早速10人で引いてくるチームと当たり、スコアこそ2-0で勝ったものの、勝って嬉しいというより、勝ってほっとするというのが実感でした。それでも、このときはまだJ2の長丁場がどれだけ厳しいかわかっていませんでした。

J2は日本代表戦による中断期間がなく、毎週末確実に試合があります。日本代表の試合をビデオに入れて駒場スタジアムに行くと、ああ俺たちはJ2なんだなという敗北感がありましたが、中断期間がないということはチームコンディションの維持が難しいという事実には気づいていませんでした。

それを実感したのは大宮サッカー場で大宮相手に6-0と圧勝した試合です。この試合は浦和が良かったというよりは大宮の動きが想像以上に鈍かったための勝利で、嬉しいというよりJ2の恐ろしさを実感した試合でした。

そのJ2の恐ろしさは浦和にも容赦なく襲ってきました。そろそろ代表休みが欲しい頃の6月上旬、浦和はアウェイの新潟戦で1-6の惨敗を喫しました。サポが試合中に横断幕を片付け、浦和サポが新潟の応援を始めるほどの試合でした。長いサポ歴になる私ですが、敵の応援をしたのを見たのはこのときだけです。

浦和は開幕から8連勝していたので、この新潟戦あたりまでは逃げる展開でしたが、岡田監督率いる札幌が浦和との直接対決を3勝1分けと大きくリードして、浦和は大分との2位争いという苦しい展開になります。長くなりましたので、続きは明日書きます。
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