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J2時代の思い出2

2011-10-18 18:49:28 | 浦和レッズ
首位札幌から遠く離された浦和は、もう1つの昇格枠を賭けて大分と最後のマッチレースを戦います。大分は前の年に勝ち点1の差で昇格を逃しており、この年に賭ける思いは強かったと思います。のちにJ1でも活躍したウィルも当時大分に在籍していました。

その大分との直接対決が10月の下旬に組まれていました。当時は大銀ドームのような立派なスタジアムはなく、ベンチがパイプ椅子という大分市陸上競技場が会場でした。このあたりになってくると、サポの私も試合疲れしてきて、「まだ試合はあるのか」という気持ちになっていました。

これもJ2の恐ろしさでした。当時J1は30試合で、代表休みもある日程でした。それに慣れていた浦和サポの私にとって、40試合の長丁場はどこまで行っても試合があるという苦しい感覚でした。本来ならば試合を見るのは楽しいはずなのに、この年は早く終わって欲しいという気分でした。

テレビ観戦だった大分戦は2-0と勝利して、浦和は2位を守ります。良かった、これで少し余裕が出たと思ったときにホーム駒場で対戦したのが山形でした。10月というのに、冬のように寒かった冷たい雨の夕方でした。

山形を初めて見た私は、10人で引く山形を見て「またこの手か」と思っていました。しかし、山形は永井がトラップミスをしたワンチャンスに何人も上がってくる集中力がありました。そのカウンターで先制した山形は、福永のFKで同点にされたものの、最後は西野のクリアミスを押し込んで浦和を破ります。

この山形戦の敗戦で、浦和はいよいよ後がなくなってきました。サポもこうなったら勝つしかないとまとまり、最後の鳥栖戦は数的不利の中、土橋の伝説のVゴールが決まり、浦和は苦しみ抜いた末辛くも昇格を決めます。

しかし、この年の戦いはどうしても1年で昇格しなければいけないという思いが空回りして、とても褒められたサッカーではありませんでした。若手を育てる余裕もなく、シーズンを通した戦い方の徹底もなく、不振だったピクンやクビツァにこだわるなど、得たものは少なかったシーズンでした。

J2に落ちたら、今は地方にJ2のチームが増えたので、前のときより苦しい感覚になると思います。スカパーがあると思っている方も、J1では当たり前になっているハイビジョン中継が、必ずしも全試合ではなくなるので、解像度が足りず誰が誰だか分からないという苦しさも味わいます。

多くの人に、疲労感と徒労感を味合わせた、あのシーズンを繰り返したくはありません。自力残留はないとはいえ、残り5試合で3勝すれば残れるのだったら、その可能性に賭けるのがサポだと思います。
コメント (2)
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