釧路には釧路新聞と言う地元に密着した地方新聞があります。
先日この釧路新聞の担当者から、「釧路新聞に『釧根人(せんこんじん)』という釧路にゆかりのある方を紹介して地元を応援していただくコーナーがあるのですが、そこにご登場いただけないでしょうか」という問い合わせの連絡がありました。
釧路にも釧路新聞にもいろいろとお世話になったこともあって、快くお受けすることにしました。
取材はインタビュー形式で、子供の頃の思い出に始まって人となりの紹介と、釧路での思い出や釧路の未来への提言などが求められました。
釧路市役所で副市長に就任するという運命を振り返れば、その前静岡県掛川市で助役をした経験があればこそ、です。
さらになぜ掛川で助役をすることになったかと言うと、当時の榛村市長さんが7期に亘る市長の実績を踏まえて、「そろそろ掛川市政のとりまとめをするにあたり、掛川市全体を公園のような幸せな空間にしたいと思うので、建設省から造園職の方をお借りしたい」という要望があり、その人選の結果で私が行くことになったという経緯があります。
私が国家公務員の造園職になったのは農学部農学科へ進学したからで、遡れば遡るほどそういう過去の運命の扉のどれをどう開けたかが未来に繋がって今に至っているということにあらためて気づかされました。
「釧路での一番の思い出は」と訊かれましたが、やはり在職当時に発生した東日本大震災と、発災当時に出された大津波警報でした。
一時は津波高6メートル以上の大津波が釧路を襲うという報道があり、そうなると釧路ではおよそ市役所から駅周辺の市街地全般が水に浸かる甚大な被害が予想されました。
結果的に津波の高さは2メートルで済んだことから人命が失われることはなく、一部建物の地下電源が損傷した程度で済みましたが、釧路は大津波が襲ってきた過去の歴史があるわけで、その恐ろしさが身に染みました。
ただ一方で、それさえなければ涼しさや食と自然の豊かさは他に比類のない独特な土地柄でもあり、その魅力は高い価値を有しており、今後さらに発展するだけのポテンシャルを秘めています。
そうした魅力とそれを支える安全への備えなどが釧路の課題だと今でも感じているところです。
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インタビューに訪れてくれた方の中には、ルアー釣りが大好きという方がいて、釣りの話でも盛り上がったのですが残念ながら紙面の都合とインタビュー時間の都合で釣り話も中途半端になってしまいました。
いずれ「釧根人」に再度登場するときは道東の釣りの魅力についても語れるようにしておきたいものです。
掲載は9月13日だそうです。
釧路の皆さん、お目汚し失礼いたします。
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