素晴らしい・・・・という月並みな言葉しか浮かばないのが情けない。
私にとっては、「介護」だけの問題でなく、
「ヒトとの接し方」「情報の伝え方」「生きることとは?」など
多くのことを教えてもらった一冊です。
書き手は各界の40人(医師、学者、被介護者、思想家、etc.)で、
自らの体験や見分を踏まえて、様々な切り口で語られています。
「介護について考えること」は、つまるところ、自分の生き方・考え方を
考えなおし、私の残りの人生を何に費やすべきか?を考えることでした。
背中がゾクゾクするほど、私が猛省を促された部分を読者の皆さんと
シェアしたいと思います。以下、殆ど、本文そのままのコピペです。
p.142 教育と介護をめぐる「やり方」と「あり方」 by 川上康則
特別支援学校は教育の場ではあるものの、介護の世界ときわめて
近接する分野だと言えます。 「日常生活の指導」という時間が設定され、
着替え・身支度・排泄・食事等についての指導が毎 日行われます。
また、肢体不自由がある子どもについては、教員や介助員が日常生活動作(AD L)の
大部分をサポートし、本人に協力動作を行うよう指導する場合もあります。
したがって、 特別支援学校の中で経験することの多くは、介護の現場でも
起こり得るように思います。
たとえば、学校現場では、「関わるのが難しい」と言われる子どもや保護者がいます。
その子 のペースを考えずに何かをさせようとするとかんしゃくを起こしたり、
集団活動に無理に入れよ うとすると強い抵抗を示したりします。
保護者の中にも、大人同士のトラブルが起きやすかった り、相手の不用意な
言葉づかいに強い不快感を示したりす る人がいます。関わりの糸口を見出すのが
難しいケースは、結果的に、特定の教師が繰り返し担任になるということが
少なくありませ ん。校内でも「もうあの先生に任せるしか他にない」というモードで
受けとめられ、周囲も一歩 引いてしまうということが起きます。
このようなことは、介護の現場でも同じなのではないでしょうか。
「あの人に任せておけば安 心」というスタンスが、いつの間にか
「あの人じゃなきゃダメ」になってしまう......。
教育も介 護も、「人(関わり手)」の問題に行き着くところは同じです。
学校現場ではとかく「どうすればあの子(あの人)を変えられるか」という方法論が
議論の中心 になりがちです。たしかに、アプローチの引き出しが増えると、
教師側の気持ちにゆとりができ ます。
しかし、「手っ取り早く相手を変えたい」とか、「すぐにうまくいくやり方を知りたい」
と 願う教師ほど、安易な小手先のワザに飛びついてしまい、
指導・支援は空回りするものです。
人への対応の本質は「どうするか」という「関わり方」の問題ではなく、
関わる側の「あり 方」の問題です。「対人援助職」という共通項をもった
介護の世界でも、きっと事情は同じでし ょう。支援方法を知ることよりもまず、
自分自身のあり方を見直すことが大切なのではないでし ょうか。
「あり方」が大切だと述べましたが、この「あり方」というのは言語化しにくく、
数値化も難しいところがあります。そこで「風」という表現を用います。
イソップ童話にも「北風と太陽」 という話がありますから、
何となくイメージしやすいと思います。
関わりの糸口を探るのが難しいといわれる人たちの多くは、
相手の「風」に敏感なところがあ ります。支援者の表情・佇まい・立ち居振る舞い、
あるいは語りの際の声質・声の大きさ・発する言葉のチョイスなどの非言語情報
などから「風」を感じ取り、それが不穏な風や尖った風だと 感じると、急に心を
閉ざしてしまうところがあります。その一方で、穏やかさや寛容さで包める 支援者の
もとでは「心地よい風」が流れるので、心を開いてくれることが多くなります。
したがって、事業所内でのヘルパー研修やケース会議などでは、
「いかに不用意な風を起こさ ない支援者でいられるか」という関わり手としての
あり方が取り上げられなければなりません。
たとえば、以下のようなことが挙げられます。
・無理に何かをさせようとせず、相手のペースや言い分をうけとめる
・話し過ぎにならないよう、普段から語数を抑える
・声のトーンを抑えめ・控えめにする。
・不適切と思われる行動であっても、いちいち動揺しない
・水がこぼれる、皿が割れる、嘔吐するなどのアクシデントを大げさに取り扱わない
・周囲の人の目を気にせずにゆったりとした気持ちで構える
・すぐになんとかしようとするのではなく、繰り返し丁寧に関わる
・相手の「言葉にできない思い」に寄り添うことを習慣化する など
自分自身が不用意に吹かせてしまっている「風」を自覚すること、
これは介護士に限らず、ご 家族を介護される支援者の方についても当てはまります。
教育も介護も「感情労働」という側面が色濃い業界です。感情労働は、肉体労働や
頭脳労働に 続く第三の形態で、人と直接的に接することを生業としています。
人がいなければ始まりません。 支援の対象者はもちろんのこと、家族や関係機関との
協力・連携、同僚との協働的な関係の構築、 新人へのOJTなどなど......、
人との関わりが常につきまとう仕事です。したがって、教育にし ても介護にしても、
現場で働く人間には「感情の抑制や忍耐、緊張感」がつきものだと理解する 必要が
あります。「自らの感情を制するものは、現場を制す」と言っても過言ではありません。
とはいうものの、現場の第一線で働く人たちのメンタル面を支えるケアは、
全くと言ってよいほど進んでいないのが現状です。たとえば、介護の現場では、
男性職員が結婚したら食べていけないということで結婚退職をすることが少なくない
と聞きます。生活の保障が心もとないのであれば、感情をコントロールすることにも
危うさが出るのは当然です。
学校も、昨今ようやく「ブ ラックな働かせぶり」がメディアを賑わせるように
なりましたが、「働き方改革」という名の新 しい仕事を現場にさらに押し付ける結果に
陥っているだけで、仕事の質も量も何一つ良い方向に は変化していません。
教育においても介護においても、制度を考える層の人たちが、現場の発するSOSの
背景に、どれだけ想像力をもって対応するかが喫緊の課題だと言えるのではないでしょうか。
かわかみ・やすのり 1974年生。東京都立矢口特別支援学校主任教 諭。
公認心理師、臨床発達心理士、特別支援教育士スーパーバイザー。
著書『〈発達のつまずき〉から読み解く支援アプローチ』
『発達の気になる子の学校・家庭で楽しくできる感覚統合あそび』ほか。
最後に、私がドキ~~~っとした部分を再度抜粋しておきます。
(聴き手は?)非言語情報などから「風」を感じ取り、
それが不穏な風や尖った風だと 感じると、急に心を閉ざしてしまうところが
あります。その一方で、穏やかさや寛容さで包める 支援者のもとでは
「心地よい風」が流れるので、心を開いてくれることが多くなります。