自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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私にとっての介護  2  自律の手段としての依存  by 本田美和子

2021-05-02 09:35:44 | 推薦図書

巣籠で庭いじりしかできないGolden Week。
小さな花壇で雑草のような小さな花が慰めてくれます。
上はニワゼキショウ(庭石菖)。水辺に自生するサトイモ科のセキショウ
(石菖)に葉の形が似ていて、庭に生えることから付けられたそうです。
シシリンチューム(Sisyrinchium rosulatum)は属名Sisyrinchiumの音読みで、
セイヨウヒメアヤメ(Iris sisyrinchium)の種。こぼれダネで限りなく増殖。


”偉大な”介護の本から、
昨日の川上康則氏の文章とは全然違う、現場に関する情報です。

自律の手段としての依存   本田美和子
   「ケアをする人とは何だと思いますか?」と尋ねられた時、私はとっさに
   答えることができま せんでした。尋ねられた場所はフランス南部の街で、
   問うた方はイヴ・ジネスト先生。私はジネ スト先生が教えているケア技法の
   見学に訪れていました。

   臨床医として認知症をお持ちの方に接することが増え、私たちが届けたい医療を
   受け取っても らえない困難な状況が生じてきました。この問題を解決する方法が
   ないかと考えていた時、フラ ンスに30年以上実践されているケアの技法がある
   ことを知り、見に行くことにしたのです。

   私が学びたいと思っていたのは、ケアの技術でした。30年余にわたる病院・施設の
   ケアの現 場での経験から生まれた技術は本当にたくさんあり、しかも理論に
   基づいた具体的なもので、初 めて学んだ私でもフランスの患者さんに対して
   実践することができました。日本でもこれならきっとうまくいく、という手応えを
   持っていたある日、ジネスト先生から冒頭の質問を受けました。

   逡巡しながら「相手のためにできるかぎりのことをする人でしょうか?」と答えた私に、
   ジネ スト先生は「この質問は100人に尋ねると100通りの答えが返ってくる、
   とても幅広い問い なのです。そのことにある時気がついて、これではいけないのでは
   ないかと思い、誰もが概念を 共有できるケアの定義が必要だと考えました」とおっしゃり、
   そして、そのために彼らが考案し たケアの技法・ユマニチュードにおいて、

   ケアをする人とは「健康に問題のある人に対して、そ の健康の①回復をめざす、
      ②現在の機能を保つ、③最期まで寄り添う、専門職である
」と定義し たのだと
   話してくださいました。

   とても当たり前のことのように思えるこの定義を、実際に自分が職務として
   行っていることに 照らし合わせると、これまで気がつかなかったたくさんの
   矛盾が生じる現実に私は直面しました。

   「何でもして差し上げる」ことは、その人が本当はできることを代わりに
   行ってしまうことにな り、それは結果としてその人のもつ力を奪ってしまう
   ことになる、という事実を自覚しないまま、 私は臨床医として過ごしていたのだ
   と痛感しました。たとえば、歩ける方を検査まで車椅子でお 連れしたり、
   診察時に自分で着替えができる方のボタンを私が外してしまったりすることは、
   「親切な医師」ではなく「能力を奪っている医師」であることに私は無自覚だったと
   気づいたのです。

    これは医師だけでなく、看護師、介護士、家族であっても同じです。
   たとえその方が間近に死を迎える末期のがんや進行した認知症であったとしても、
   その方がで きることは確実にあり、それを共に探し、共に時間を過ごすのが
   「ケアをする人」なのだと仕事を通じて確信するようになりました。
 
   たとえば、末期のがんによる痛みをお持ちの方に、痛みを感じさせない技術を使って
   清拭を行 うことは③の「寄り添う」ケアですが、毎回顔は自分で拭いてもらうように
   すれば、これは②の 「現在の機能を保つ」ケアとなります。さらに「今日は洗面所で
   顔を洗いましょう」と、歩いて 洗面所に向かい、自分で洗顔をするよう促せば、
   これは①の「回復をめざす(機能を今より改善さ せる)」ケアになります。

   つまり、同じ人に提供するケアであっても、その内容に応じて私たち はゴールを
   細かく設定することができます。「ケアをする人とは何か」という哲学に基づいた
   ケ アの選択と相手への提案がケアの本質となるのです。

   認知症やさまざまな疾患によって脆弱な状態になっている方々が増えている現在、
   「ケアをす る人」の役割がますます重要となってきます。そして、そこには
   「ケアをする人」が陥りやすい 罠も潜んでいます。ここでも私がジネスト先生から
   問われた別の質問を元に考えてみたいと思い ます。

   「人間にとって最も大切なことは何だと思いますか?」 この問いに対する答えもまた、
   幾多もあると思いますが、私は「自分で決めること=自律(autonomy)」であろうと
   考えます。たとえ認知症であっても、身体的・精神的に脆弱な状態であっても、
   人間にとって最も大切なことは「自律」だと考えれば、ケアをする人は相手の自律を
   実現させる必要があります。「何をしたい」「どういう状況でありたい」という意思も
   「自律」の表象 です。たとえ自分でできなくとも、その意思が他者によって実現されれ
   ばその人の自律は護られ ます。

   つまりケアをする人にとって、ケアを受ける人の「自律」を尊重することが、
   その根源的 な役割となるわけです。ケアをする人が「相手の自律性」を尊重した
   ケアを実現できれば、ケア を受ける人は自律性を保ったままケアをする人に依存
   することが可能となります。

   つまり依存とは忌避すべきものではなく、ケアを受ける人の「自律」の手段と
   なります。自律 の手段としてケアをする人に依存し、ケアを受ける人が
   自律を全うした生涯を終えることができ る社会の実現を私は願っています。
   ほんだ・みわこ医師。国立病院機構東京医療センター総合内科医長、
   日本ユマニチュード学会代表理事。著書『ユマニチュード入門』
  『家族 のためのユマニチュードー その人らしさ"を取り戻す、優しい認知 症ケア』
   (いずれもイヴ・ジネストほかと共著)ほか。
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