尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

杉山登志郎「発達障害のいま」

2011年11月01日 22時44分58秒 | 〃 (さまざまな本)
 講談社現代新書の今年7月の新刊、杉山登志郎「発達障害のいま」。これはなかなか難しかったけど、今年一番刺激的な新書。この著者には前著「発達障害の子供たち」(講談社現代新書、2007)というとてもわかりやすい名著があるが、まだ4年しかたっていないのに、話が相当変わってきている。日進月歩の世界なのか。この本は、是非多くの子供の現場に関わる方(教師だけでなく行政にも)に広く読まれて欲しい本。著者は「あいち小児医療保健センター心療科部長」など現場で長く勤め、2010年から浜松医科大特任教授。

 「発達障害」という言葉は近年よく聞かれるようになってきた。発達障害者支援法が制定されたのが2005年で、この頃から「アスペルガー障害」なども言葉として知られるようになったと思う。「学習障害」(LD)という概念が教育現場で理解されてきたのも、ここ10年ぐらい。思えば今まで担任した中に「発達障害」と思うしかない生徒が何人もいた。その頃は僕も知らなかったし、管理職や養護教諭も詳しくは知らなかった。でも、今でも行政の支援を受けようとすれば「精神障害者保健福祉手帳」を取ることになる。行政上は「精神障害」の中に含めているわけだ。でも、この「発達障害」と「精神障害」の区別がよく判らなかった。というか、「症状」としては似ている。さらに「虐待」「いじめ」などにより生じる「トラウマ」症状も似ている。それは今まで医療の場でも混同、誤診等があったようである。

 ところで、今まで知的な遅れのない広汎性発達障害の中で生まれつき社会的な関わりが苦手なタイプを「アスペルガー障害」と呼んでいたが、今後は「自閉症スペクトラム障害」と呼ぶことが決まっているという。「スペクトラム」って何だろうと思うと、物理学のスペクトルと同じで、それぞれの症状ごとに命名するのではなく「連続体」として自閉症をとらえるということだそうだ。そして「発達凸凹」(デコボコ)という全く聞いたことのない言葉が出てくる。「発達凸凹とは、認知に高い峰と低い谷の両者をもつ子どもと大人である。」そして、「発達凸凹+適応障害=発達障害」なんだという。まあ、このあたりのことは本書で読んでもらうとして、章立てを紹介すると「発達障害はなぜ増えているか」(全く想像外の理由でビックリ)、「トラウマの衝撃」「トラウマ処理」(トラウマ処理の「オカルト的」な方法の有効性にもビックリ)、「発達障害と精神科疾患」が2章にわたる。「やせ症」の難しさも印象的。虐待の影響の大きさにも改めて驚く。「うつ病」の人がすべて発達障害ではないが、自閉症スペクトラム障害では「うつ病」を併存することが多いそうだ。また、家族に共通する発達障害が多い、統合失調症の症状は、自閉症スペクトラム障害と似ていて誤診が多かった、などあまりにも問題が多岐にわたるので門外漢には完全には理解できない。それに今まさに再検討、再構築されているところみたいだから、まだいろいろ新しいことが出てきそうだ。

 「大人の発達障害」も最後の方に書いてあって、「二つのことが一度にできない」「予定の変更ができない」「スケジュール管理ができない」「整理整頓ができない」「興味の偏りが著しい」「細かなことに著しくこだわる」「人の気持ちが読めない」などと上がっていて、具体例も出ていてわかりやすい。例えば、として挙がっているのは、デートの席で地球温暖化の要因と氷河期の発生に関する暗黒星雲仮説についてだけ話をしてふられたとか。その代償として「ハウツー本信奉者」となり「彼女の気持ちをつかむ10の言葉」とかいった本を読んで一字一句同じ受け答えをして、さらにふられる。また発達障害の人は「クレーマー」になりやすい。親子並行治療を行った母親に、学校に対するクレーマーとして名をはせていた人が多い、だから断言できると言ってる。それは、なんだかとてもよく判る気がする。治療と予防も最後に出ているので役に立つが、「トラウマによるフラッシュバック」に効く漢方薬の処方が見出されたらしい。(248頁)。そういうちょっと驚くような情報がいっぱい入っていて、発達障害に関して新しい知識をいっぱい得られる。そもそもの発達障害の原因論も遺伝子研究の進展をもとに論じられている。これは教育界の人は読んでおいた方がいいと思う。(しかし、自閉症、ADHD、アスペルガー障害と言った言葉になじみがない人は、前著「発達障害の子供たち」から読むべし。)
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赤瀬川原平「個人美術館の愉しみ」

2011年11月01日 00時33分57秒 | 〃 (さまざまな本)
 本がたまってしまったので、どんどん。まずは赤瀬川原平「個人美術館の愉しみ」(光文社新書)。新書と言ってもカラー版で1300円もする。でも、こういうカタログ的な本としては役立つし、美術好き、旅好きな人は見てるだけで元は取れる。「ひととき」という雑誌に連載されたものというが、それは東海道新幹線のグリーン車にあるということで一度も見たことがない。(グリーン車に乗ったことがない。)これを紹介するのは、こういう「個人美術館」に行くのは自分も結構好きなのと、赤瀬川原平について書きたいこともあるけど、もう一つ日本の豊かさみたいなものを感じたからである。ここに言う「個人」というのは、「一人の画家を対象にしている」というのと「一人が集めたコレクションを展示する」というのがある。前者には公立もあるが、後者は私立である。金持ち(大体は大企業の創始者)が絵を買って美術館を作る。国内の画家ばかりなら「富」が日本経済の中を流通するだけだが、ルノワール、ピカソ、アンリ・ルソーなどがあっちこっちにある。有名画家のほとんどが何かしら日本のどこかにある。さすがにレオナルド・ダ・ヴィンチやフェルメールはないけれど。これはすごいことだなあ。日本が営々と経済発展したあがりを、「泰西名画」に惜しみなくつぎ込んで、極東の島国まで持ってきた。僕たちはいながらにして、ヨーロッパまでいかずに「ほんもの」を鑑賞できる。そういう風にお金を使った金持ちがいたことで、僕らの文化的な素養ができた。まだ他のアジア諸国では、ここまでないのではないか。そういうお金の使い方をするお金持ちがいることが、文化の発展だと思う。クラシック音楽では韓国や中国の演奏家の活躍が多くなってきたけど、そして現代美術なら各国で活躍してるだろうけど、美術館では日本がアジアで一番だろう。世界から、特にアジア各国から日本に印象派を、フォーヴィズムを、その他いろいろ見に来る人を増やせるんではないか。

 とかいろいろ思ったんだけど、それはさておき、見てないところが多いなあ。僕が最初に見たのは、倉敷の大原美術館。高校2年の時に、「一人旅」というのをどうしてもしたくなって中国地方へ行った。岡山にある日本第4位の巨大古墳、松江の小泉八雲旧居、山口の秋吉台、広島の原爆資料館、そして倉敷で大原美術館とぐるぐるまわった。大原美術館の周りの風情やエル・グレコの「受胎告知」など今も記憶に残る。大原孫三郎と言えば、歴史研究者には「大原社会問題研究所」を作った人でもある。(今は法政大学が受け継ぎ八王子にある。戦前の社会運動史料の宝庫。)そういう金持ちがいたのだから近代日本もすごいと思う。箱根のポーラ美術館は高いし、どうなんだろうと思ってなかなか行かなかったけど、行ってみたら素晴らしかった。ここを見れば印象派から20世紀美術は大体見渡せるような展示画家のすごさ。それも一点一点がすごい。この本に出てないエミール・ガレのコレクションも見物。ここまですごいと思わなかった。桐生の大川美術館というところは、なかなか見つからなくて車でグルグルしたが、入ったらコレクションは素晴らしかった。などなど、いろいろ旅の思い出と重なっている。旅先で見る絵は旅情を誘う。

 赤瀬川原平と言う人はほとんど読んでいる。昔名古屋でやった「赤瀬川原平展」を見にいったこともある。60年代は前衛のバリバリで、「ハイ・レッド・センター」というパフォーマンス集団を作っていた。また千円札を模写して通貨偽造罪で逮捕・起訴されて裁判で芸術論争をした。「朝日ジャーナル」に連載していた「櫻画報」で「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」というのを作って大問題を引き起こしたのは、少し変えて映画の「マイ・バックページ」にも出ていた。(朝日ジャーナルは朝日の論説週刊誌だったが、ほとんど全共闘シンパのような編集ぶりで、この件をきっかけに朝日上層部から「弾圧」された。)その後、小説を書き尾辻克彦名義で書いた「父が消えた」で芥川賞を獲得。さらに「路上観察」を提唱、何も存在価値のないような変な物件を街に捜し歩く「路上観察」を流行させた。僕は中学で「必修クラブ」というのがあった時に、一回「路上観察クラブ」を作った年がある。それから「老人力」「新解さんの謎」など不思議な発想のベストセラーを連発させてきた。

 昔の「前衛」は今いずこ。年取ってきて食べ物の好みも変わると、それにつれて見たい絵も変わってくる。現代風「転向」と言えなくもないけど、これが「成熟」とも言える。いつまで元気もいいけど、少し好みも枯れてくるのが自然でもある。その赤瀬川原平が何を書くか、何を見るか。その寸評が面白い。もう冒頭の一行目から「原平節」みたいな独特のリズムで引き込まれてしまう。ちょぼちょぼ読んで、読み終わりたくないような感じで少しずつ読んだんだけど、やっぱりいつか終わりが来る。残念だけど、今度はこの本に出ていた美術館を訪ねる愉しみが生まれる。そういう本。(この本に出てない美術館のお勧め。鹿児島の長島美術館、鹿児島県加世田の吉井淳二美術館、北海道岩内の荒井記念美術館、木田金次郎美術館、旭川の中原悌二郎記念彫刻美術館、伊豆の池田21世紀美術館などなど。文学館、歴史館もあるので美術ばかり見てられませんが。)
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