ちょっと更新制を離れて、震災と学校の話をします。(なお、タイトルは吉本隆明「ちひさな群への挨拶」(「転位のための十篇」)の冒頭「 あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ」から取っています。これは判らない人の方が多いだろうと思うので、書いておきます。)
先週土曜日、「被爆者の声をうけつぐ映画祭」という催しがあり、その特別企画で「いま、フクシマは」というシンポジウムが行われました。飯舘村の菅野典雄村長の基調講演に続き、社会教育やテレビ、小学校などの現場の方々が貴重な報告を行い、とても有益なシンポジウムでした。その中で福島県の社会教育主事である天野和彦さんがとても重要なことを指摘していました。
学校が避難所になっているところの方がうまく運営できているところが多かったというのです。それも「地域に開かれた学校」として平時から地域との関わりがうまく行っていたところほど。天野氏によれば、理由は二つあり、「学校は職員間のヒエラルキーがあり決定が比較的早くできる」「教員は専門家集団で困った時にはすぐ何かできる」。少し解説すると、前者は、最終的に校長が決めてくれればいろいろできるということを言っていました。僕が付け加えると、学校は対生徒に授業や生徒指導をする場合はどの人も「同じ先生」ですが、いざという時には「校務分掌」や「学年」「教科」という組織性ですぐに動けるということだと思います。後者は、避難者が疲れてくれば体育の先生がラジオ体操しましょう、退屈すれば視聴覚担当の先生が視聴覚室で映画会やりましょう、とすぐに動いてくれると言ってました。さらに言えば、保健室もあるし、パソコン室もあるし、調理室もあるし、理科の先生は放射線の解説ができる。こんな施設は地域の中で他に考えられないです。
実際、被災地の各学校は避難所として大きな意味を持ちました。必ず起きる、東海、東南海、南海地震を考えると、いま日本の教育で一番たいせつなことは、学校はもうすぐ避難所になる、教師は避難所の運営をせざるを得ないということではないでしょうか。それを考えると、教員どうし、生徒どうしの競争を重視するエリート教育ではなく、教師と地域が協力してすすめる連帯の教育へと、大きく教育の方向を変えていかなければなりません。
東京で行われていることを見ると、校長のリーダーシップという名のもと、「教員の評価者」=「給料や転勤の権限を持つ権力者」としての校長が求められてきました。校内の協力体制ができてなければ、いざという時に、教員が一致団結して避難所を運営することができません。また、教師が長く一つの学校に留まることができなくされ、地域に根ざした教育を進めることが難しくなりました。他県では10年いられるのが当たり前だと思いますが、東京の高校では6年で原則異動です。また、この間、嫌がらせではないかと思うほど、遠距離通勤の転勤が強行されてきました。従って、家にいるときに地震があれば、出勤できません。現に今年の3月14日からしばらくは、管理職も含めて出勤態勢が大きく乱れました。電車が止まっても、自動車、バイク、自転車などで出勤すればいいと思うかもしれないけど、この10年以上届出と違う出勤に対して細かな監査、処分が繰り返されており、都教委に臨機応変は期待できないから、誰も車で来ようとは思わないでしょう。学校と生徒が気になって、なんとか自動車で来たりすれば、いずれ処分されるかも。じゃあ、余った年休取って自宅の片付けをします、となります。
また、小中、夜間定時制の給食調理室をどんどんつぶしてきました。山手線内の夜間定時制は全部なくされてしまったのですが、もし定時制課程が残って自校調理だったら、電気、ガスが通りさえすればその日から避難所の食をまかなえたはずなのに。
このように、まさに「免許更新制」に象徴されるように、「専門職としての教員」という性格をたいせつにしないようでは、震災の時に困ってしまうのではないかと思います。いや、特に地方では、郷土意識や共同性がまだ残っていて、教師が「活躍」出来る余地が大きいのではないかと思います。心配なのは、大都市で地域性も薄い東京や大阪で大きな震災が発生した時のことです。日本の学校は、間違いなくいつか起こる次の大震災で避難所になります。
社会全体で「あたたかい学校と先生はたいせつだ」という政策を進めて欲しいなと思います。
先週土曜日、「被爆者の声をうけつぐ映画祭」という催しがあり、その特別企画で「いま、フクシマは」というシンポジウムが行われました。飯舘村の菅野典雄村長の基調講演に続き、社会教育やテレビ、小学校などの現場の方々が貴重な報告を行い、とても有益なシンポジウムでした。その中で福島県の社会教育主事である天野和彦さんがとても重要なことを指摘していました。
学校が避難所になっているところの方がうまく運営できているところが多かったというのです。それも「地域に開かれた学校」として平時から地域との関わりがうまく行っていたところほど。天野氏によれば、理由は二つあり、「学校は職員間のヒエラルキーがあり決定が比較的早くできる」「教員は専門家集団で困った時にはすぐ何かできる」。少し解説すると、前者は、最終的に校長が決めてくれればいろいろできるということを言っていました。僕が付け加えると、学校は対生徒に授業や生徒指導をする場合はどの人も「同じ先生」ですが、いざという時には「校務分掌」や「学年」「教科」という組織性ですぐに動けるということだと思います。後者は、避難者が疲れてくれば体育の先生がラジオ体操しましょう、退屈すれば視聴覚担当の先生が視聴覚室で映画会やりましょう、とすぐに動いてくれると言ってました。さらに言えば、保健室もあるし、パソコン室もあるし、調理室もあるし、理科の先生は放射線の解説ができる。こんな施設は地域の中で他に考えられないです。
実際、被災地の各学校は避難所として大きな意味を持ちました。必ず起きる、東海、東南海、南海地震を考えると、いま日本の教育で一番たいせつなことは、学校はもうすぐ避難所になる、教師は避難所の運営をせざるを得ないということではないでしょうか。それを考えると、教員どうし、生徒どうしの競争を重視するエリート教育ではなく、教師と地域が協力してすすめる連帯の教育へと、大きく教育の方向を変えていかなければなりません。
東京で行われていることを見ると、校長のリーダーシップという名のもと、「教員の評価者」=「給料や転勤の権限を持つ権力者」としての校長が求められてきました。校内の協力体制ができてなければ、いざという時に、教員が一致団結して避難所を運営することができません。また、教師が長く一つの学校に留まることができなくされ、地域に根ざした教育を進めることが難しくなりました。他県では10年いられるのが当たり前だと思いますが、東京の高校では6年で原則異動です。また、この間、嫌がらせではないかと思うほど、遠距離通勤の転勤が強行されてきました。従って、家にいるときに地震があれば、出勤できません。現に今年の3月14日からしばらくは、管理職も含めて出勤態勢が大きく乱れました。電車が止まっても、自動車、バイク、自転車などで出勤すればいいと思うかもしれないけど、この10年以上届出と違う出勤に対して細かな監査、処分が繰り返されており、都教委に臨機応変は期待できないから、誰も車で来ようとは思わないでしょう。学校と生徒が気になって、なんとか自動車で来たりすれば、いずれ処分されるかも。じゃあ、余った年休取って自宅の片付けをします、となります。
また、小中、夜間定時制の給食調理室をどんどんつぶしてきました。山手線内の夜間定時制は全部なくされてしまったのですが、もし定時制課程が残って自校調理だったら、電気、ガスが通りさえすればその日から避難所の食をまかなえたはずなのに。
このように、まさに「免許更新制」に象徴されるように、「専門職としての教員」という性格をたいせつにしないようでは、震災の時に困ってしまうのではないかと思います。いや、特に地方では、郷土意識や共同性がまだ残っていて、教師が「活躍」出来る余地が大きいのではないかと思います。心配なのは、大都市で地域性も薄い東京や大阪で大きな震災が発生した時のことです。日本の学校は、間違いなくいつか起こる次の大震災で避難所になります。
社会全体で「あたたかい学校と先生はたいせつだ」という政策を進めて欲しいなと思います。