1980年という年は、自分にとって、とてもいろいろな出来事があった忘れられない年。その年に最高裁で死刑判決が確定してしまったのが、静岡県清水市(現・静岡市)で起こった袴田事件である。僕はこの最高裁判決を傍聴している。最高裁判決と言うのは、実にぶっきらぼうなもので、結論だけ言って裁判官は引っ込んでしまう。「本件上告を棄却する」の一言を聞くだけで、理由を言わない。被告人も出廷しない。
冤罪事件と言っても、いろいろあって「一度聞いた(読んだ、見た)だけで、これは絶対冤罪と思う度」というのが高い事件と、それほどでもない事件があるのは確かである。でも、この袴田事件というのは、すでに死刑から再審無罪が確定している、同じ静岡の島田事件と同じくらい、一度読んだだけで「これはおかしいでしょう」という事件だった。何しろ、裁判途中で「犯行当時の着衣」が変更されてしまったのである。味噌会社の事件で、裁判中に味噌蔵から血染めのズボンが発見され、改めてそれが犯行時のズボンとされたが、法廷ではかせてみると足に入らない。味噌に浸かって縮んだということにされた。それで「自白」はどうなんだというと、検事が取った一通を除き、後は全部証拠にならないとされた。それなのに有罪で死刑。どうしてそんな判決になったのかは、最近になってわかったわけである。一審の裁判官の一人は、この事件は絶対に無実だと確信したのだが、他の二人が最後まで有罪を維持した。その裁判官は、その後裁判官を続けられず退官、何十年立って「合議の秘密」を明かした。その話は、昨年「BOX 袴田事件 命とは」という映画になり公開された。
袴田事件の取り調べテープが存在するということだ。しかし、検察側はそれを「開示しない」と言っているということだ。おかしいでしょう。税金で作ったテープだ。すべての証拠を出せと言いたい。多くの事件で、証拠開示が再審開始への決定的なきっかけとなった。この袴田事件に関しては、19日に集会がある。
さて、今日の新聞によれば、9月中にも決定が出ると言われていた、福井女子中学生殺人事件の再審請求の決定日時が決まった。11月30日、午前9時半である。この事件は一審無罪なので、福井の事件だが、決定は名古屋高裁金沢支部で出る。この事件はおかしな「証拠」で起訴されたが、さすがに一審では無罪となった。その後、東京の集会に来た被告人の話を聞いたことがある。ところが、高裁で引っくり返った。今回は、裁判中に出ていなかった証拠がずいぶん開示されたというから、再審開始決定が期待される。
ところで、10日に三鷹事件の第二次再審請求がなされた。三鷹事件と言うのは、1949年に起こった、下山事件、松川事件と並ぶ国鉄の3大怪事件と言われるものである。共産党員被告9人と非党員の運転手竹内景助が起訴された。一審で鈴木忠五裁判長は、共産党員の共同謀議は「空中楼閣」と批判して党員被告は無罪、竹内のみ情状をくんで無期懲役とした。2審では書面審理のみで、共産党員被告の無罪は維持したものの、竹内被告を死刑に変更した。最高裁でももめにもめて、結局弁論を開かないまま竹内の死刑を維持した。15人の裁判官中、死刑に反対が7人で、一票差の死刑と言われた。事件内容以前に、この「弁論も聞かずに書面審理だけで、被告人の弁明も聞かず顔も見ずに、無期から死刑に変更するのは許されるのか」というのが批判されたので、以後最高裁はすべての死刑事件で弁論を開く慣例ができた。もうすぐオウム真理教事件の最後の最高裁判決があるが、もう上告棄却(死刑判決維持)に決まってると言ってもいいけれど、弁論は開かれ弁護側の主張(検察側もだが)を聞いたわけである。
そういう意味で三鷹事件というのは、戦後の裁判史上で有名な事件なのだが、当時は共産党員被告の救援が中心となり、竹内のことがおろそかになった面も否定できない。竹内の供述が変転を重ねたこともあって、それをどう理解すべきかいろいろな考えがあった。結局、竹内も無実を主張して再審を請求したものの、1967年に脳腫瘍で拘置所内で死んで、再審は終わりになっていた。それが近年三鷹事件を取り上げる本やテレビ番組で無実の主張が取り上げられ、家族による再審請求に結びついた。戦後史の中で数奇な道をたどった事件であり、この再審請求の道筋も見続けて行きたい。それは9月に書いた菊池事件(藤本事件)にも大きな示唆を与える再審請求ではないかと思うのである。
冤罪事件と言っても、いろいろあって「一度聞いた(読んだ、見た)だけで、これは絶対冤罪と思う度」というのが高い事件と、それほどでもない事件があるのは確かである。でも、この袴田事件というのは、すでに死刑から再審無罪が確定している、同じ静岡の島田事件と同じくらい、一度読んだだけで「これはおかしいでしょう」という事件だった。何しろ、裁判途中で「犯行当時の着衣」が変更されてしまったのである。味噌会社の事件で、裁判中に味噌蔵から血染めのズボンが発見され、改めてそれが犯行時のズボンとされたが、法廷ではかせてみると足に入らない。味噌に浸かって縮んだということにされた。それで「自白」はどうなんだというと、検事が取った一通を除き、後は全部証拠にならないとされた。それなのに有罪で死刑。どうしてそんな判決になったのかは、最近になってわかったわけである。一審の裁判官の一人は、この事件は絶対に無実だと確信したのだが、他の二人が最後まで有罪を維持した。その裁判官は、その後裁判官を続けられず退官、何十年立って「合議の秘密」を明かした。その話は、昨年「BOX 袴田事件 命とは」という映画になり公開された。
袴田事件の取り調べテープが存在するということだ。しかし、検察側はそれを「開示しない」と言っているということだ。おかしいでしょう。税金で作ったテープだ。すべての証拠を出せと言いたい。多くの事件で、証拠開示が再審開始への決定的なきっかけとなった。この袴田事件に関しては、19日に集会がある。
さて、今日の新聞によれば、9月中にも決定が出ると言われていた、福井女子中学生殺人事件の再審請求の決定日時が決まった。11月30日、午前9時半である。この事件は一審無罪なので、福井の事件だが、決定は名古屋高裁金沢支部で出る。この事件はおかしな「証拠」で起訴されたが、さすがに一審では無罪となった。その後、東京の集会に来た被告人の話を聞いたことがある。ところが、高裁で引っくり返った。今回は、裁判中に出ていなかった証拠がずいぶん開示されたというから、再審開始決定が期待される。
ところで、10日に三鷹事件の第二次再審請求がなされた。三鷹事件と言うのは、1949年に起こった、下山事件、松川事件と並ぶ国鉄の3大怪事件と言われるものである。共産党員被告9人と非党員の運転手竹内景助が起訴された。一審で鈴木忠五裁判長は、共産党員の共同謀議は「空中楼閣」と批判して党員被告は無罪、竹内のみ情状をくんで無期懲役とした。2審では書面審理のみで、共産党員被告の無罪は維持したものの、竹内被告を死刑に変更した。最高裁でももめにもめて、結局弁論を開かないまま竹内の死刑を維持した。15人の裁判官中、死刑に反対が7人で、一票差の死刑と言われた。事件内容以前に、この「弁論も聞かずに書面審理だけで、被告人の弁明も聞かず顔も見ずに、無期から死刑に変更するのは許されるのか」というのが批判されたので、以後最高裁はすべての死刑事件で弁論を開く慣例ができた。もうすぐオウム真理教事件の最後の最高裁判決があるが、もう上告棄却(死刑判決維持)に決まってると言ってもいいけれど、弁論は開かれ弁護側の主張(検察側もだが)を聞いたわけである。
そういう意味で三鷹事件というのは、戦後の裁判史上で有名な事件なのだが、当時は共産党員被告の救援が中心となり、竹内のことがおろそかになった面も否定できない。竹内の供述が変転を重ねたこともあって、それをどう理解すべきかいろいろな考えがあった。結局、竹内も無実を主張して再審を請求したものの、1967年に脳腫瘍で拘置所内で死んで、再審は終わりになっていた。それが近年三鷹事件を取り上げる本やテレビ番組で無実の主張が取り上げられ、家族による再審請求に結びついた。戦後史の中で数奇な道をたどった事件であり、この再審請求の道筋も見続けて行きたい。それは9月に書いた菊池事件(藤本事件)にも大きな示唆を与える再審請求ではないかと思うのである。