僕は今までにずいぶん教育委員会の研修を受けたけど、役に立ったかという観点から振り返ると、ほとんどは役立たなかった。ああ、時間の無駄だなあ、この時間を返して欲しいなあと思うことが多かった。実務的な説明会(例えば進路指導主任として出席したハローワークとの打ち合わせなど)は、もちろん別である。これは他の職業でもほとんど同じなのではないかと思う。事務手続きの説明会や技術講習会などはすぐに役立つが、一般的な「研修」は行政のアリバイ的な面も強く(例えば、人権とかセクハラ防止とか安全指導とか。一応やってますというニュアンスがどうしても漂う)、まあ誰かが出てたということが大事なんだろうなあと思う。
更新制での「講習」も、どうしてもそういう面が強くなると思う。たまたま自分の課題にちょうど応えてくれる講習を受けられたという人もいるだろうけど、大部分の人はそうではないだろう。なんでそう言い切れるかというと、校種、免許の違いを無視して、全部集めて行うからだ。それを知らない人がまだいるけど、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、中等教育学校(中高一貫校)、公立、私立、国立、全日制高校、定時制高校、通信制高校…、いろんな学校がある中で、年齢が共通するというだけで、バラバラに集めても共通の課題があるわけがない。だって、団地の小学校の養護教諭、視覚障害の特別支援学校教員、通信制高校の数学教員…、同じ教員と言っても、抱えている課題はずいぶん違うはずである。もちろん、自分の仕事にすぐ役立つことばかりが大切なわけではない。「講習」はジワジワ効いてくる漢方薬みたいなもので、それはそれで意味があるのだという意見もあるだろう。もちろん、それは僕も認めているので、僕も「10年研修」なんかで大学での講習を取り入れるのはいいんじゃないか、と書いている。でも、そのように「遅効」的な講習であっても、それを受けないと、免許が失効するという仕組みが判らないわけだ。
今、教育界で一番大きな出来事は何か。それは間違いなく「新カリ対応」だ。21世紀初頭に実施された学習指導要領が、早くも改定された。それは「学力低下」(それ自体が疑問なんだけど)への対応などで大きな変更が必要とされたからである。学習指導要領の改定に合わせて、各学校は教科目の時間数を変更しなくてはならない。それを「新カリ」とよく言っている。(カリはカリキュラムの略。)小学校はすでに今年度から実施。中学校は来年度から。高校は再来年度から(高校でも数学と理科は来年度から。)なお、幼稚園は平成21年度から実施済で、特別支援は各段階で準用。(ついでに書くと、学年制定時制高校は4年間あるので、現行カリ対応の教科書を4年間発行してくれないと困る。全日制が3年で卒業し終わると、教科書発行をやめちゃう会社があまりにも多い。)この新カリで小学校では、英語教育が導入された。これはとんでもない大変化。全然教わってこなかったことを教えなければいけない。たまたま高校の地理歴史、公民では変化がなかったが、多くの学校では新カリの検討や対応策が話し合われているだろう。今は各学校、各教科で行内研修をたくさん行うべき時だ。そういう時に、なんで10年にいっぺん「教育の最新事情」を大学に聞きに行かなくては、失職するのだろうか。全員いますぐ「教育の最新事情」を理解しなければならない時なのに。
本当に教育を良くしようという考え方のもとに更新制が計画されたのだったら、校種や教科をバラバラにして、何でもいいから空いている講習を受ければいいという制度にするはずがない。あまり細分化もできないかもしれないが、少なくとも高校は高校とか、社会科(高校は地歴と公民)は社会科、幼稚園教諭どうしとか養護教諭どうしとか、そういうようなもっと役に立ちそうな枠組みを作るのではないだろうか。僕が言いたいのは、現行制度では効果が疑問なのに、なぜそれを受けないと失職するのかという、その1点。世の中におかしな制度、不条理は多いのでいちいち異議申し立てしていては身が持たない。だから、失職するという仕組みでなく、単に講習を義務付けされただけだったら多分受けていた。失職とまで言われたから、納得できなくなったのである。この現在の仕組みを維持する以上、この講習を受けなかっただけで、免許が失効し、自動的に失職するという仕組みは全く理解できない。
更新制での「講習」も、どうしてもそういう面が強くなると思う。たまたま自分の課題にちょうど応えてくれる講習を受けられたという人もいるだろうけど、大部分の人はそうではないだろう。なんでそう言い切れるかというと、校種、免許の違いを無視して、全部集めて行うからだ。それを知らない人がまだいるけど、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、中等教育学校(中高一貫校)、公立、私立、国立、全日制高校、定時制高校、通信制高校…、いろんな学校がある中で、年齢が共通するというだけで、バラバラに集めても共通の課題があるわけがない。だって、団地の小学校の養護教諭、視覚障害の特別支援学校教員、通信制高校の数学教員…、同じ教員と言っても、抱えている課題はずいぶん違うはずである。もちろん、自分の仕事にすぐ役立つことばかりが大切なわけではない。「講習」はジワジワ効いてくる漢方薬みたいなもので、それはそれで意味があるのだという意見もあるだろう。もちろん、それは僕も認めているので、僕も「10年研修」なんかで大学での講習を取り入れるのはいいんじゃないか、と書いている。でも、そのように「遅効」的な講習であっても、それを受けないと、免許が失効するという仕組みが判らないわけだ。
今、教育界で一番大きな出来事は何か。それは間違いなく「新カリ対応」だ。21世紀初頭に実施された学習指導要領が、早くも改定された。それは「学力低下」(それ自体が疑問なんだけど)への対応などで大きな変更が必要とされたからである。学習指導要領の改定に合わせて、各学校は教科目の時間数を変更しなくてはならない。それを「新カリ」とよく言っている。(カリはカリキュラムの略。)小学校はすでに今年度から実施。中学校は来年度から。高校は再来年度から(高校でも数学と理科は来年度から。)なお、幼稚園は平成21年度から実施済で、特別支援は各段階で準用。(ついでに書くと、学年制定時制高校は4年間あるので、現行カリ対応の教科書を4年間発行してくれないと困る。全日制が3年で卒業し終わると、教科書発行をやめちゃう会社があまりにも多い。)この新カリで小学校では、英語教育が導入された。これはとんでもない大変化。全然教わってこなかったことを教えなければいけない。たまたま高校の地理歴史、公民では変化がなかったが、多くの学校では新カリの検討や対応策が話し合われているだろう。今は各学校、各教科で行内研修をたくさん行うべき時だ。そういう時に、なんで10年にいっぺん「教育の最新事情」を大学に聞きに行かなくては、失職するのだろうか。全員いますぐ「教育の最新事情」を理解しなければならない時なのに。
本当に教育を良くしようという考え方のもとに更新制が計画されたのだったら、校種や教科をバラバラにして、何でもいいから空いている講習を受ければいいという制度にするはずがない。あまり細分化もできないかもしれないが、少なくとも高校は高校とか、社会科(高校は地歴と公民)は社会科、幼稚園教諭どうしとか養護教諭どうしとか、そういうようなもっと役に立ちそうな枠組みを作るのではないだろうか。僕が言いたいのは、現行制度では効果が疑問なのに、なぜそれを受けないと失職するのかという、その1点。世の中におかしな制度、不条理は多いのでいちいち異議申し立てしていては身が持たない。だから、失職するという仕組みでなく、単に講習を義務付けされただけだったら多分受けていた。失職とまで言われたから、納得できなくなったのである。この現在の仕組みを維持する以上、この講習を受けなかっただけで、免許が失効し、自動的に失職するという仕組みは全く理解できない。