尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

チャーチルの「第二次世界大戦」を読む

2012年08月14日 01時52分20秒 |  〃 (歴史・地理)
 ロンドン五輪の期間中ほとんど第二次世界大戦当時のイギリスの首相ウィンストン・チャーチル「第二次世界大戦」(全4巻、河出文庫)を読み続けていた。いやあ、長かった。さすがに飽きて途中で他の本を2冊読んだけど、後はひたすら読み続け。昔の文庫が10年ほど前に復刊され買ってあった。もともと6巻本だったものを資料等を抜いて読みやすくまとめ直したが、字が小さいし、誤植も多い。ノーベル文学賞受賞作品である。昔はベルグソンやバートランド・ラッセルなど哲学者や歴史家も受賞していた。それでもサー・ウィンストン・チャーチルはノーベル文学賞史上一番意外な受賞者だろう)。教科書に載ってる大政治家が文学賞を受けていたとは。

 チャーチル(1874~1965)は、BBCが2002年に行った「偉大な英国人」選出投票で堂々の1位に選ばれた。(2位は鉄道会社を作ったブルネルという人で、続いてダイアナ妃、ダーウィン、シェイクスピア、ニュートン、エリザベス1世、ジョン・レノン…。)そういう大政治家が自ら書いた大回想録で、歴史的価値は測り知れないと言いたいところだが、今になると欠陥も多い。今では「すべての人が必ず読むべき本」とは言えない。第二次世界大戦やイギリス政治史を調べたい人向けだろう。チャーチルは若いときから何冊もベストセラーを書いてていて、自分で書いたのは間違いない。

 第二次世界大戦論としては、読んでいて新味はない。というかチャーチルの見方こそ通説であり、基本的な見方になっている。「連合国から見た世界大戦」である。それが国際連合につながり、現代世界を作っている。チャーチルは早くからヒトラーの危険性を訴え、ミュンヘン会談の「偽りの和平」を批判した。同時にソ連のスターリン体制を警戒し、東欧の「ロシアによる植民地化」を批判した。戦後の有名な「鉄のカーテン」という「冷戦」を象徴する言葉はチャーチルが作った。そのような歴史の見方は、今や当たり前すぎて、チャーチルは歴史そのものになったわけである。

 チャーチルはイギリス帝国主義者そのものであり、インド植民地確保、スエズ運河死守をやりきる。国内的には初めて失業保険を導入した人だが、対外的には大英帝国の利権を当然視した。だからソ連と組んでイラン(ペルシア)を南北に軍事占領したことを正当化している。こういう今から読むとひっかかる記述がかなり出てくる。イギリスはドイツのエニグマ暗号を解読していたわけだが、そういうことも触れていない。当時はまだ機密指定が解除されていなかった。

 でも、この本は以下のような点が「不朽の価値」となっている。まず、大戦指導者が直接語る肉声。ルーズベルトは現職で死ぬし、スターリンが回想録を書くことはない。もちろんヒトラーやムッソリーニの回想録があるわけない。死んで伝説となった米大統領ルーズベルトの偉大さは随所で強調されている。これは政治的配慮もあるだろう。一方、スターリンとの緊張感ある気遣いの関係もよく描かれている。「無視できない、うっとうしい大物」との付き合い方の勉強になる。

 チャーチルは実によく出かけている。大西洋会談、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談、ポツダム会談など有名な歴史的会談も出てくるが、それ以外にも何度も何度もアメリカに行き、モスクワにも2度行き、アフリカにも行き、あっちこっちに行っている。前線にも出ている。もう60代後半だというのになんという元気。そして好奇心の旺盛さ。やはり超一級の人物なのである。とにかく、アメリカとの関係がすべてとばかり、何度も直接ワシントンを訪問する。ルーズベルトが小児マヒの障がいで車いす生活だったこともあるだろうが、実に驚くべき肉体、精神の力である。

 チャーチルの頭の中にあるのは、ほとんどが人事である。外国首脳との関係もそうだが、重大作戦を開始するにあたり誰に指揮を任せるか。閣僚や大使の人事、他党との関係、保守党内の人間関係、これを長年の政治、軍事の経験と、人間観でまとめていく。実に見事で、「政治は人事」だと感じ入った。そこに関心がある人には、ものすごく役立つ本ではないかと思う。

 チャーチルはよく知られているように、有名な「日曜画家」だった。第一次世界大戦中に閣僚を務めたが、1930年代は(労働党が政権を取ったこともあり)、ほぼ10年間の在野の時期があった。そういう時も、絵筆と葉巻を離さず、フランス、ドイツ、イタリアなどに絵を描きに行っている。外国視察でもあるけれど、実際に有名な画家で才能もあった。自身の一族(貴族)の評伝を書いたり、趣味と実益を兼ねた「風流」な生き方をした人物で、これは大事だなあと思った。

 一番印象的だったのは、イギリスの民主主義システムへの信頼。保守派で国益優先主義者だけど、人間として一番大事な部分がしっかりしていた。閣僚じゃない時期にミュンヘンに滞在した時、首相になる前のヒトラーもミュンヘンにいた。ある人が「ヒトラーに会ってみませんか」と誘ったら、会ってもいいけど「ナチスというのはどうして反ユダヤ主義なんですか」と問い返した。犯罪を犯したユダヤ人を非難するのはいいが、誰も生まれは自分で決められないんだから、ユダヤ人に生まれたというだけで追放するのはおかしい。そう言ったら、ヒトラーと会う話はなくなった。間に入った人物が、ヒトラーの前で反ユダヤ主義批判をされては困ると思い、「チャーチルは都合が悪い」ということにしたんだろう。こうしてチャーチルがヒトラーと会う機会はなかった。人種差別、民族差別に対する一番素朴な批判で、チャーチルが「まともな感覚」を持っていたことが判る。

 議会対応に苦しみ続けたが、議会というシステムは信頼していた。後にチャーチルを継いで首相となるイーデン外相と情報を共有し、分担して外国を訪問した。また労働党のアトリーを反対党の代表(戦争中は国家非常時の大連立内閣なので、閣僚の同僚でもある)として重視していた。スターリンはもとより、アメリカのルーズベルトも側近を重用して副大統領のトルーマンには相談しなかった。チャーチルは議院内閣制を独裁政治にならない制度と評価し、だからイギリスは戦争に耐えられたと自信を持って肯定している。しかし、ポツダム会談中に選挙の開票があり、労働党が勝利しチャーチルは去る。本人も残念だったし、米ソもビックリした。それが議会政治である。

 大量生産による工業社会、選挙による議会制民主義はイギリスの発明だった。だからイギリス史を考える意味は非常に大きい。1940年6月のフランス降伏後、1941年6月の独ソ戦開始までの約1年間、イギリスはヨーロッパをほぼ押さえたヒトラーとただ一国戦い続けた。この時の空襲とそれに対する空軍の戦いを「バトル・オブ・ブリテン」と呼ぶが、その世界史的意義は日本ではあまり理解されていない。この時イギリスが講和に追い込まれていたら、世界史は悪い意味で全く違っていた。日本はドイツの電撃戦を見て「バスに乗り遅れるな」と言う人がたくさんいた。いずれイギリスも降伏するだろうと思っていた。英米という英語国民を理解する重大性をよく理解できる。

 また、東欧民主化の問題、ギリシャの問題、パレスチナ問題、インドとパキスタンの問題など、現代史の焦点がみなチャーチルと関わりがある。ギリシャはスターリンに対してチャーチルが(ルーマニアを犠牲にして)死守したと言っていい。徹底して革命を阻止し、ギリシャ(内の保守派)に肩入れした。それがEU加盟、ユーロ導入にもつながる。アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」に、戦勝後のデモに英軍が発砲する場面があるが、チャーチルの指示によるものだった。

 歴史に「もし」はないが、スペインのフランコが独伊の支援で内戦に勝ったのに大戦では中立を守ったように、ムッソリーニのイタリアが日独伊三国同盟を抜けて中立を守ったらどうなったかという問題があると思った。なお、最後に原子爆弾が出てくる。原爆が米英の多くの兵士を救ったという史観である。それを含めて日本の記述も多いが、やはりヨーロッパの戦いがイギリスには重大だったことが理解できる。いわば米英中心世界の通説を作った本とも言える。歴史的限界もある本だけど、チャーチルを通していろいろ考えさせられた。(2017.11.21改稿)
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