尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

タルコフスキーの映画を見る

2012年08月18日 01時03分01秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ソ連というよりロシアと言うべき、映画監督アンドレイ・タルコフスキー生誕80周年記念上映があって、全部見直してみた。タルコフスキーは、1932年4月4日生まれで、1986年12月29日に亡くなった。突然の訃報から、もう四半世紀以上経っているのか。奇しくも、1932年2月6日生まれで全く同年代のフランソワ・トリュフォーも、1986年10月21日に亡くなっている。トリュフォーもタルコフスキーも亡くなってしまって、これからも映画という芸術はありうるのだろうかと僕は大変に悲しかった。でもペドロ・アルモドバルやアキ・カウリスマキなど新しい才能が現れてくるのだが。東京の上映会はもう終わったんだけど、タルコフスキー体験を自分で考えるために書いておきたい。

 タルコフスキーの映画は誰にでも勧められるというものではない。思索的で、暗くて、長い。それでも「奇跡」と「救済」を求める深い映像体験が、タルコフスキーを必要とするファンを見つけていく。疲れているときに見ればよく寝てしまうが、かつて蓮見重彦もタルコフスキーを見るとは途中で寝てしまうという体験を含むみたいなことを確か書いていた。水のイメージを中心にして様々な象徴的な映像が長々と続く。独自のリズムがつい眠気をさそうこともあるわけだが、今回は比較的寝ないで見た。それでも続けて昼夜見たときの、夜の上映冒頭はなかなか辛いところもあった。

 タルコフスキーは、短編1と長編7つしか作品を残していない。しかし、一つ一つの作品が長いことが多い。どれも魅力的で、独自の作家として忘れがたい。僕は映画大学の卒業制作の「ローラーとバイオリン」は今まで見ていなかった。また第1作「僕の村は戦場だった」は、63年日本公開だから当然その時は見ていない。残りの6長編はいずれも日本公開当時に見て、深い影響を受けたが、以下に見るように日本での評価は必ずしも高かったとは言えない。

作品リスト
①1960(日本公開65) ローラーとバイオリン(46分)年ニューヨーク国際学生映画コンクール1位  
②1962(日本公開63) 僕の村は戦場だった(94分) キネ旬11位 ヴェネツィア金獅子賞
③1967(日本公開74) アンドレイ・ルブリョフ(182分) キネ旬27位 カンヌ批評家連盟賞
④1972(日本公開77) 惑星ソラリス(165分) キネ旬5位 カンヌ審査員特別賞
⑤1975(日本公開80) (110分)      キネ旬17位
⑥1979(日本公開81) ストーカー(163分)  キネ旬20位
⑦1983(日本公開84) ノスタルジア(126分) キネ旬8位 カンヌ創造大賞等
⑧1986(日本公開87) サクリファイス(149分)キネ旬12位 カンヌ審査員特別大賞、批評家連盟賞等

 国際的な映画祭では受賞しているが、日本のベストテンでは2回しかランクインしていない。当時は難解な映像派と思われていたし、ソ連映画、SF映画というだけで敬遠する人(その反対もいたが)もいたんだろうと思う。それに「ソラリス」「鏡」は岩波ホールで公開されたが、「アンドレイ・ルブリョフ」なんて非常に小さな限定的な公開だった。僕はソ連でなかなか公開が認められなかった反体制的作品として、前からこの作品を見たいと思っていて、何はさておき劇場に駆け付けたものだったけど。ソ連を離れてイタリアで作った「ノスタルジア」、スウェーデンで作った「サクリファイス」は、ミニシアターが東京に増えた時代でカンヌ受賞作の名作公開という感じだったと思うけど、ソ連時代の作品は公開自体もなかなか大変だった。③から⑧までをすべて同時代に見たわけだが、これは19歳から32歳の時のことで、僕の20代にほぼ当てはまる。タルコフスキーの特集上映は今までも時々あったけれど、僕が一番好きな「ノスタルジア」を除いて一本も見ていない。長いからなかなか再見する気にならなかった。

 この前紹介した世界映画ベストテンにタルコフスキー作品は3本入っていた。「」が一番評価が高いし、これを最高傑作とする評価も今では多いようだが、僕にはやはりあまり判らなかった。私的にすぎて難解を究め、魅力的な映像に満ちてはいるけど、どうも理解が他の作品以上に難しい。なんだか判らないのが実人生ではあろうが、もう少し作品的なまとまりが欲しい気がしてならない。では何が一番好きかというと、当時見ていた時はソ連を離れて望郷の念を描いた「ノスタルジア」が完成度が高いと思っていたけど、今回見ると「惑星ソラリス」「ストーカー」の魅力が増しているように思い、また「アンドレイ・ルブリョフ」の魅力が大きいと思った。「サクリファイス」は当時見たときは、長い失敗作と思ったんだけど、今回見ると風景の美しさもあり黙示録的な魅力が増していた。じゃ、何が一番いいかということは決められない。富士山型の一点傑作ではなく、八ヶ岳型のたくさん突出している作家ということなんだろう。もっと言えば、生きていればもっともっと作っただろう作品が真の最高傑作であり、そこへの途上で倒れた作家ということだ。

 「ルブリョフ」「ストーカー」「サクリファイス」などが一番そうなんだけど、破壊があり再生があり、今を生きる中で何を頼りに生きて行くべきかということが徹底して追求されている。これは大震災、原発事故を想起せずして見ることができない現在、バイアスがかかってしまうのを避けられない。「ストーカー」は今では題名が「つきまとい」を意味してしまうが、当時はまだそういう使い方は発明されていず、「ゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止地区への案内人が「ストーカー」と呼ばれている。この地域は隕石が落ちたのではないかとも言われているが、もちろん時代が違うんだけど、チェルノブイリ原発事故近くなのではないかと思わずにいられないような設定である。事故は86年だから79年の作品に描かれるはずがないのだが。この映画は記憶ではほとんど怪しげな屋内をうろついている感じだったけど、前半部分はほとんどハイキングのような屋外シーンだったのが意外。中心部の「部屋」とは何か、禁忌と奇跡をめぐり、人間の醜さがあぶりだされていく。今回もよく判ったとは言えないし、というか通常の理解を拒絶していると思うけど、魅力的な映画である。

 「奇跡」が起こりうるか、「世界」を救いうるかという問いそのものを描いたと思うのが「ノスタルジア」でイタリアの温泉地の魅力的な映像とともに、やはり僕は大変好きな映画である。ソ連時代は製作以前の検閲などにエネルギーを取られ、「ソ連体制の抑圧」が画面に反映していたように思った。しかし、ソ連を離れてもタルコフスキーはやはり、暗い映像で世界は救えるかという映画を作った。世界を全部背負って生きる芸術家だったのであり、単なる「ソ連反体制派」ではなかったのである。20世紀後半を生きた本当の映像詩人だった。

 「アンドレイ・ルブリョフ」も難解な映画で、そもそも15世紀の聖像画家であるルブリョフ自体をよく知らないし、中世ロシアの状況もよく判らない。筋がよく把握できないけど、10のエピソードの映像的魅力が素晴らしい。宗教を真正面から扱い、ソ連で批判されて公開できなかった。67年製作で、2年後にカンヌ映画祭に出品を許可され受賞。国内公開は72年になり、日本では74年に小規模で公開された。恐らく前作「僕の村は戦場だった」が世界に受けて、その実績で大規模なロケをできたんだろうと思う。またタタール人の襲撃を「大祖国戦争」に見立て、民衆の抵抗を描くと言った感じで映画化を認めさせたのかと思うが、この作品の力は単なる歴史映画でも、宗教映画でもなく、ソ連内の反体制という枠も超えている。はっきりと「作家の映画」になっていて、戦争の世紀に作家が表現し沈黙し再生するということをテーマに描き切っている。これも暗い映像で、難解な映画だが、大変大きな魅力にあふれている。

 「惑星ソラリス」は、ポーランドのSF作家レムの有名な原作の映画化だが、映画化においては原作者と対立があったという。人間の無意識を実体化してしまう「惑星ソラリス」の「海」に立ち向かう探検隊員。この基本アイディアは割とポピュラーになってしまったけど、見直すと画面の緊張感がすごい。どんなSF映画よりもすごいかも。ある意味で「奇跡」が起こってしまったという状況下で人間は生きられるかというテーマではないかと思った。

 「僕の村は戦場だった」は、いかにも若手ソ連映画人の映画という感じで、映像感覚の素晴らしさは見て取れるけど、新人のあてがい企画(ベストセラーの映画化)で、世界に「大祖国戦争の悲劇」を伝える「ソ連製反戦映画」として成功した。ソ連の映画人は自分の映像や思想を少しでも語りたかったら、戦争中の悲劇に人間性を描くか、チェーホフやツルゲーネフなど古典文学の主人公に感情移入して作るかしかなかった。どちらも世界にソ連文化紹介として売りやすく外貨獲得にもなったんだろう。ここで終わって、「アンドレイ・ルブリョフ」を作らなかったら、学生時代からの盟友コンチャロフスキーが米国に亡命したら普通の商業映画監督になってしまったような歩みをしたかもしれない。

 タルコフスキーはソ連の体制を闘う中で、父である詩人の影響が大きくなり、だんだん幻視者として、体制を超えて人類の救済を追及する映像詩人になっていった。映像はいつも暗く、判りにくいので、誰もが見るべきとも思わないけど、今回も小さな会場だがほぼ満員で、子どもに教えられ母が来ていたり、今までDVDで見ていて初めて劇場に来るような人が結構いたようだ。(会場で待ってる時の他の人の会話。)きっとタルコフスキーを必要とする人がこれからも一定程度ずっといるんだろうなと思った。

 そして遺作の「サクリファイス」。僕は改めてなかなか魅力的な映像だと思ったし、日本への言及がかなりあったのにビックリした。この映画に「救い」はあるのか。核戦争と思われる世界の破滅を生き抜くことが主題と想えるように作ってあるとは思うが。まだまだ読み解くことの難しい、何か世界の秘密が隠されているような気もした。はっきり言って僕にはよく判らないところの多い作品である。病気でもあったわけで、ちょっと失敗作であるということなのかもしれないが。タルコフスキー、謎が多いなあ
コメント (1)
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