尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

更新制、文科省交渉の報告

2012年08月10日 22時21分33秒 |  〃 (教員免許更新制)
 第3回「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会で行われた文部科学省交渉に行って来ました。様々な課題に関して交渉しましたが、僕は特に「教員免許更新制」に関する事項を取り上げると言うので参加した次第です。

 事前に質問項目を提出していました。大項目を書いておくと、以下のようになります。
1.日の丸・君が代問題
2.大阪府・市条例関係
3.国際人権関係
4.教科書関係
5.教員免許更新制関係

 文部省関係者は若手官僚ばかりで、デジカメを持って行ったんだけど写真を撮るまでもないかなと思いました。最初、1や2は主に地方で起こっている問題を取り上げたこともあり、文科省と教育委員会の法的な権限問題のような答弁が多く、かみ合わないというか、論点がずれているというか、問題意識の差というべきか、答えになってないような感じでした。まあ、東京都の「10.23通達」や大阪の教育関係の各条例に「問題意識」を持っていては文科省官僚をやっていられないかもしれませんが。

 教員免許更新制に関しては、質問事項は資料として最後に載せますが、大きく言うと「被害救済問題」と「今後の制度設計問題」。今後の制度設計は中教審でも課題とされているところで、「10年研修」と「更新制」の二重負担問題などを問題として取り上げておきました。その課題は文科省として認識しているのは確認できました。

 問題は「被害」。熊本で昨年度1名、東京で今年度4名の失職者が出ていることは、各教育委員会より報告を受けて承知しているとのことでした。失職という事態になることは、答弁者も公務員なので重大性は理解していると言ってました。防止策、救済策はできることがあるか検討しているとのことを言ってました。(僕は今後の制度設計はともかく、東京の失職者の「救済」が今は一番重要だと思っています。本人だけではなく、都教委や国にも責任があるのは明白だと思っているので。)

 「3月31日に遡って失職」は法的に有効かという質問には、最初は有効と言ってましたが、「3.31には免許が有効なはずで、4月にならなければ失職しないはずではないか。3.31日付で失職と言う辞令は法的には無効なのではないか」と再質問したところ、「検討させてほしい」とのこと。さらに「3.31に遡ることができるなら、1.31に遡って更新申請を受理することも可能なのではないか」との追加質問にも「検討させて欲しい」とのことでした

 その後、各県からの参加者から、更新制そのものの意義についてなど質問が相次ぎ、ある程度「更新制が教師の資質向上に役立っていない現状」を伝える機会になったのではないかと思っています。時間のない中で「更新制そのものの持つ非教育的問題」はあまり触れることはできませんでしたが、少なくとも「失職を防げなかった制度上の欠陥」があるという問題意識は伝えられたと思います。

 なお今回は敢えて触れませんでしたが、私立学校や管理職教員などに「全員調査」を文科省が行ったら、大変な実態がもっと明らかになると思っています。ただ教育現場を混乱させるのは本意ではないので、やれとは言いませんが。ただ公立学校の教員のみ細かく調査され失職につながったのは納得できない感じを持っています。以上、簡単な報告。

 教員免許更新制の関する事前質問は以下の通り。

(1)被害実態と救済について
①教員免許更新制の実施以後、熊本県や東京都で「失職者」が出るなどの事態が生じていることを把握しているか?特に、東京都では実施2年目が終わった今年度途中で正規教員だけで4人(講師等を含めると7人)もの「失職者」が出ていることをどう考えるか?
②更新講習は終了しているものの更新手続きをしていないというだけで免許が失効し、失職につながるという現行制度は、あまりにも不利益が大きいと思うが、救済措置を考えるべきではないか?
③救済措置がない現状は、制度の欠陥というべき状態ではないか。再発防止策および今後の制度改正の方向性を示してほしい。
④年度途中で失職者が出た場合、東京都では「3月31日に遡って失職」という措置を取っているが、法的に問題はないか。その場合、本来は免許が失効していた教員が教えていた期間の学習活動はそのまま認められるのか?

(2)「10年研修」との関連性について
①2002年の教育公務員特例法改正により、いわゆる「10年研修」が制度化された。更新制導入後も「10年研修」は残されたため、若手教員には二重の負担になっている。これは現場の多忙化をもたらす要因の一つだと考えないか?
②今後も更新制が続行されるなら、「10年研修」を廃止または凍結する考えはないか?

(3)これからの免許制度の見直しについて
①教員免許制度の全面的再検討は、中教審の「教員の資質能力向上特別部会」のまとめも発表されたが、文科省として今後どのようにすすめる見通しを持っているか?
②教員免許制度の今後の在り方については、大学における教員養成のみならず学校現場にも大きく影響するものと思うが、教員の声を聞き生かしていく考えはあるか?
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国学力調査の諸問題

2012年08月10日 00時17分36秒 |  〃 (教育行政)
 いじめ問題について書き終わっていないんだけど、オリンピックを見てる間に時間が経ってしまった。その続きを書く前に、「全国学力調査」の結果が発表されたので、その問題について。なお、ホームページ上では、国立教育研究所の「平成24年度 全国学力・学習状況調査 調査結果について」に結果が掲載されている。

 前から僕は「全国学力調査」などというものは、税金の無駄遣いだと言っていて、早く止めて欲しいと思っている。この結果を見ても、それが裏付けられる。特に中3はいらない。やるにしても抽出だけでいい。民主政権になり抽出になったはずが、「数年に一度は『きめ細かい調査』が必要」なんていう専門家がいて、来年は全員参加の予定である。学力調査のニュース解説なんかで「子どもの論理的思考力が弱いことがわかった」なんてよく言うけど、むしろ政治家や官僚、学者なんかの「論理的思考力」の方がずっと心配である。

 今回は理科を初めて実施したが、「観察・実験の結果を考察する問題の正答率が低かった」「記述式の平均正答率は33・2%で、選択式や短答式を大きく下回った」。当たり前である。そんなことはテストしなくても判っている。記述式より選択式の方が正答率が高いのは、選択式は当てずっぽうで答えられるんだから、当たり前である。どんなテストでもそうなるし、そうなるためにわざわざ教師が選択式の問題を作ってあげるわけである。

 国語と数学(算数)では、基本のA問題と応用のB問題がある。その平均点の差を取り上げて、「応用力が伸び悩む傾向」などと分析するのもいつも通り。そうなるに決まってるんだから、毎年やる意味がない。そもそも基本問題ができないのに、応用力だけあるという人はいない。「基本、応用ともにできる人」「基本はできるけど、応用力が足りない人」「基本、応用ともにできない人」の、この3パターンしかない。だから当然、基本と応用の平均点の間には、「応用問題が苦手な人」の分だけ差が出てくる。問題はその差がどのくらいあるなら適当な範囲と言えるかということである。(なお、個人では「応用問題はできるけど、基本問題ができない人」が少数いることはいる。理解力が非常に高いが注意力が散漫な「自己中心的できる子」タイプで、基本の計算問題などはサッサと片付けて検算もしないのでケアレスミスが直されない。すぐに大好きな証明問題に取り掛かり、終わっても基礎の検算ではなく応用問題の別解探しかなんかに熱中する。結果として、基本問題で減点されて満点が取れない。そういうタイプが少数ながらいるわけである。)

 全国平均で差を見ると、小6国語は25.9点。小6算数は14.3点。中3国語は11.9点。中3数学は12.5点。小6国語が少し大きいけど、一昨年(昨年は震災で中止)の平均がAで83.5点、Bが78.0点と高かった。多分問題がやさし過ぎたからだろう。そこで今回は逆に難しくし過ぎて過去問では対応できなかったのではないかと思う。(2010年小6国語Aの平均は83.5、今年は81.7。同じく一昨年Bの平均は78.0、今年は55.8。この急落は学校や子どもの側の要因では説明できない。問題が難しかったという説明しかありえない。基礎力は落ちていないんだから。)つまり、国数とも基本、応用の平均点差はおおよそ10~15点。僕の感覚では、これは全く正常値で、どこに住んでる人間でも必ず見られる「理解力の個人差」が正当に反映されただけで、「日本の子どもは応用力が苦手で、それが日本の学校の大問題」なんていう理解は無意味というより害が大きい

 というのは、基本問題こそ低学力の子どもにとって反復練習などの努力で習得できる「伸びしろ」部分のはずなのに、「応用力が問題」という問題設定をされるとそちらに学校の力が取られてしまう。しかし、応用力向上は本人の努力だけではなかなか難しく、もともとの能力差もあるし家庭の文化力なども関係してくる。学校で時間を掛ければ学習時間に比例して伸びるというものではない。中学3年にもなると数学も難しくなってきて、数学Bの平均は50点くらいだが、数学Aだって60点を少し超す程度である。この「中3数学A」はそこにもっと力を注げば70点くらいに伸ばせるのではないかと思うが、「課題は応用力」と言われて証明問題なんかばかりやってると、数学嫌いの子どもにはますます嫌いになってしまう。

 ところで、学力調査が学校の序列化が目的ではなく、学習の定着状況を確認して今後の政策に生かすということが本当の目的だとするなら、「抽出で十分」である。抽出では不十分な理由とは何なのだろうか。抽出では不十分だというのなら、政府がやってる世論調査なんていうのは全部税金のムダということになる。テレビの視聴率調査なんて、ほんのわずかの家庭にしか調査の機械をつけていない。それでも意味を持つのは、抽出でも全体を反映するという統計学的な裏付けがあるからである。そうじゃなきゃ様々なサンプル調査全部が意味を失う。選挙直前になると投票行動調査の報道が行われるが、直後には選挙という「全員調査」も行われる。アナウンス効果などで少し違ってくることもあるが、大きな傾向としては大体各マスコミの予測報道が当たっているはずである。だから、抽出調査で十分なのである。特に中学3年生の場合、選挙と同じように「高校入学試験」という実際に学力を試す場面がやってくる。進路結果を見れば、その学校の卒業学年の学力結果をある程度はかることができる。だからやる意味が少ないと思う。

 平均点で比較するのもどうかと思うが、県別の平均点はずっと公表されているが、大体ほとんど同じである。毎年変わってもおかしな話で、当然のことだろう。よく知られているように秋田県が全部トップクラスで北陸各県も高い。これは何故だろうか。少人数教育に力を注いできたとか、家庭や地域の安定などが言われてきた。そういうこともあるだろうが、僕はもう一つの観点を提出してみたい。全国学力調査を言い出したのは、2007年の中山成彬元文科省だが、その後になって「全国学力調査は組合が強い県は学力が低いことを調べるためだった」などと放言した。だから思惑通りの結果なら、鬼の首を取ったように「組合が低学力の原因」と騒ぎ立てるのではないかと思うのである。ところが結果発表後も誰もそんなことを言わない。全国の組合加入率は判るが、都道府県別、校種別の加入率はホームページ上では判らない。だから印象で言うんだけど、東北や北陸などは教員組合加入率が全国では結構高い地域なのではないかと思うのである。

 組合加入率はともかく、ちょっと古い資料になるが、「副校長、主幹教諭、指導教諭」の導入状況は判る。2009年11月1日の朝日新聞に載っていたものである。これらの職は学校教育法改正により、2008年度から置けるようになった。「校内の指揮系統の明確化」、つまりは教員の序列化、校内の教員集団の分断が目的で、組合は(特に主幹などは)反対してきた。東京なんか法改正のはるか前から、勝手に主幹や副校長と言う職を作ってきた。その後導入されたかもしれないが、とにかくその新聞報道で三つとも導入されていない県は以下の通りである。そして今回調査で一つでも上位5位以内がある県に下線を引くことにする。

 青森秋田、福島、茨城、群馬富山福井、山梨、長野、三重、和歌山、山口、鹿児島

 細かく見ると全国平均を下回る県(教科)もあるけれど、下線のない県でも全国平均より上の結果が多い。大きな傾向としては「2009年段階で主幹教諭を導入していない県」の学力が高いということが言えるのではないか。そう言っては間違いか。校内で教員の階層化を進めていては、皆で学力向上に取り組めない。この点はもっと検討して欲しいと思うところである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする