尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

相米慎二監督「台風クラブ」

2012年08月20日 23時27分37秒 |  〃  (旧作日本映画)
 相米慎二(そうまい・しんじ)監督の「台風クラブ」「お引越し」を高田馬場の早稲田松竹で見た。相米監督(1948~2001)は80年代に登場した当時の若手監督の中で一番好きだった。遺作となった「風花」もその年の僕のベストで、亡くなって本当に残念だった。去年の東京国際映画祭で特集が組まれたが、一番好きな「ションベンライダー」しか見なかった。今年になって、淡島千景追悼特集で「夏の庭」、日活ロマンポルノ特集で「ラブホテル」を見直し、すべて素晴らしい作品だった。

 「お引越し」(1993)は両親の別居に伴う少女の心の揺れをていねいに追う素晴らしい映画。最後の琵琶湖彷徨が少し長いけど、ほとんどひっかかる点がない名作である。少女を扱うので、学校のシーンも多く、いじめもあれば仲の良い男の子も出てくる。実に自然な子どもの姿が描かれている。ただ小学校の担任教師(笑福亭鶴瓶)が火を使う理科の実験を子供だけでやらせていて、自分が準備室にいる場面は不自然だと思う。(というか、あってはならない。)少女を演じた田畑智子は当時大評判になり、僕もこの子が大人になってどういう演技をするか楽しみだった。そして確かに素晴らしい女優になった。

 「台風クラブ」(1985)は東京国際映画祭でヤングシネマ部門の第1回大賞を受賞した傑作。工藤夕貴、大西結花らが出ている中学生映画で、ほとんどが学校を舞台にしたシーンである。三浦友和が「素晴らしい名脇役」という路線を印象付けた名演。三浦演じる梅宮先生は数学教師で、三平方の定理を教えている場面が出てくる。素晴らしい「青春(前期)映画」というべきだろう。出てくる教師は梅宮だけ。主な生徒も梅宮クラスの8人ほど。しかし、思春期の混沌を見事に描いた作品である。とても気になる作品なんだけど、昔見たときからどうもよく判らない部分が多かった。今回見てもよくわからない。
 
 ある土曜日、台風が近づいてきて、部活も中止で全員下校となる。しかし、いろいろな理由で学校に取り残されてしまった生徒が6人いた。その6人、及び原宿に家出中の少女などの複雑な関係、いじめや性的な衝動、好きな感情などが出てくる。そして台風が襲来して、思わざる非日常空間が出来し、「祝祭空間」ともなっていく。そして「人生の悩み」を抱える生徒はある行動に出る。

 昔見た時には、「なんで彼女たちはいつもあんなに踊っているのか」と思ったが、これは今になれば予見していたということだ。今の女子生徒はいつも踊っている。それより「三浦という生徒は何を悩んでいるのか」という問いは今もある。彼は病気だというので、それが背景にあるのは明らかだろうが、現実にはあまりいないタイプではないかと思う。様々な生徒の中には奇異な行動も見られる。そういう心の揺らぎの中に思春期はあるのだが、精神疾患や発達障害の知識が増えてきた今からみると、病気や障害が潜んでいる生徒がいたように思う。

 ある日、授業中に梅宮が付き合っている女の母とおじが乗り込んでくる。そして娘をいつまで待たせるのか、娘にいくら貢がせたのかと大声で責め立てる。この「事件」で梅宮の権威は失墜し、土曜日には授業をさぼる女子生徒3人が出る。またミチコ(大西結花)は「事件」に対する答えを授業中に求めて引かない。仕方なく梅宮は「放課後にいくらでも説明してやる」と言ってしまい、そのためミチコは教室に残り続け、台風にあうことになる。台風中に梅宮に電話すると、梅宮はカラオケで(自分の部屋だけど)「北国の春」を熱唱している最中。酔った梅宮は生徒の言うことをよく理解できず、「お前らもな、あと15年すれば判るんだよ。」と言い放つ。今思うと、今では30になっても何が判るのかという感じだが。

 その時、梅宮は乗り込んできた女の母とおじの3人で飲んでいた。おじは浴衣を脱ぐと背中は入れ墨である。生徒一人ひとりもそうだが、映画では描かれていない背景がかなりある。学校は地方の農村部にあり、生徒は数学に関心がなく、ほとんど授業に集中していない。(80年代の中学にはよくあったと思うけど。)梅宮は「聞いてるのか、百姓」と言う。「百姓とは何ですか」と反撃する女子生徒に「三平方の定理とは何だ」と言い返すと生徒は一言もない。「黒板に書いてあるだろ」。教師も生徒も差別社会に生きていて、ウックツしている。その状況を一時の祝祭空間に変えてしまうのが「台風」なのだ。災害など非日常的な状況で、「学校に閉じ込められる」というのは、多くの人々の想像力を刺激するシチュエーションだろう。その意味で「学校という空間」に題材を取った問題作である。

 記憶の中では台風中ほとんど教室にいたように思っていたが、体育館や校庭(台風の目なのか一度雨があがる)、職員室などのシーンが案外多かった。地方では中学でも「部室」があるのが一般的なのか。普通、中学ではほとんどないと思うけど。そもそも台風が近づく中、学校に誰も居なくなるのも不自然である。今は機械警備だろうから、あれだけ動き回れば機械が知らせてセコムかなんかが駆けつけるだろう。冒頭のようなプールに忍び込む冒険も今は不可能。

 でも昔も警備員がいたはず。学校は金がかかった機械と危ない薬品と外部に出せない個人情報の宝庫なので、もちろん土日の夜も警備員が宿直していた。そういう意味で、学校を舞台にした映画はいつもどこか不自然である。台風直前なら早めに部活中止、完全下校だろう。授業終了後、生活指導部を中心に最上階から見まわって「追い出し」があるはず。トイレも必ず見回るので、トイレで考え事をしてたら締め出されたという設定も不自然である。ま、そういうことを言ってたら映画にならないが。

 学校は長野県佐久市の中学でロケしたとウィキペディアに出てる。木造の校舎で、実にいい味があって、「学校映画」としても魅力を増している。校庭で下着で踊りまくるシーンなどもあって、学校での完成上映は実施されなかったという。不思議な感性で作られた作品で、好き嫌いはあるかと思うけど、やはり相米作品は僕は好きだなあ。
コメント (1)
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