中津留章仁作、劇団TRASHMASTERSの演劇「背水の孤島」を見た。下北沢・本多劇場。7時から始まって、休憩なしで終わったのが10時半。全然長いとは感じないけど、帰りが遅くなるのは困る。明日でもいいんだけど、上演期間が短いから簡単に紹介しておきたい。公演は、2日まで。1日は2回上演がある。
昨年9月に初演されたときは、小さな劇場で僕も知らなかった。その後、震災をテーマにしたすごい舞台だという評判が高くなり、紀伊國屋演劇賞や読売演劇大賞なども受賞した。是非一度見たいと思っていたけれど、震災1年半、上演1年後に再演されたわけ。下北沢の本多劇場は小劇団の目標とも言えるところだから、「堂々の凱旋公演」という感じだけど、中身が重い。
劇は大きく3部に分けられている。中身の筋を書かないと通じないのだが、時間も遅いので省略したい。最初は震災直後の東京。「野党代議士」の小田切が取材を受けている。「なぜ東電をつぶさないんですか」。それが劇の始まり。その後に何人かが登場する。そういう劇が始まるのかと思うと、長い字幕が出て早口で事情が説明され、その間に舞台装置が字幕の裏で被災地の納屋に変わる。1部で取材していた記者は、東京で伝えることに限界を感じ、異動を希望して津波被災者のドキュメントを撮っている。「もっとも貧しい被災者」を探して長期取材中である。納屋に住むしかなく、母親は津波で見つからず、父、姉、弟で住んでいるが、姉は医学部を休学中、弟は受験生で東大を目指している。この弟が東大受験が終わるまで取材を続ける予定だが、弟は取材チームに口をきかない。
この2部が劇としてもまとまりはいいのだが、「よくある頑張る被災者」の枠で撮りたいマスコミと、被災者やボランティア、男と女、父と子などの相克が実は隠されていることが明かされていく。それぞれが大きな悩みを隠し持っていて、なかなか判りあえない。「被災当日」の「特別な時間」は、被災者ではない人だけでなく、その場にいた人たちでもなかなか共有することが難しい。例えば、ボランティアで来ている大学院生が余ってる洗濯機があるんだけどと伝えに来ると、撮影クルーが「一番貧しい被災者」ということで撮ってるんで洗濯機はちょっと…などと言う。ボランティアが余って食べきれないおにぎりを被災者に持ってくると、被災地で避難所で働いている公務員が、「被災者をバカにするのか」と反発する。もっともっと大変な重い現実がこの家族にのしかかっていることが次第に判ってくる。登場人物の葛藤が頂点に達し、判りあえるかに見えるときもあるが、解決しようもない問題に直面する人もいる。それでけで重い現実を劇的に表現したすぐれた達成になっている。
ところがこの劇はここで終わらない。3部は12年後とされる。震災12年後だから2023年である。登場人物は今までの人物が関わっている。小田切は「原発ゼロ」を掲げて与党となるが、日本は電力不足で企業が外国に移転して不況が続くので、一転してフランスから最新原発を導入するという政策に転向している。しかし日本はもう国内で国債を発行できず、外債に頼るしかない。福島第一原発では日本人の働き手がなく、外国人労働者を使ったため、放射性物質が大量に持ち出され、世界のテロは「原子力爆弾」が主流となってしまった。福島から除染の済まない車が首都圏に入るのを阻止する体制が作られ、警備会社が力を持っている。先の家族の弟は東大に合格し、財務省に入り小田切大臣の秘書をしている。それぞれが辛い、さまざまの12年を生きてきている。そして、劇中で原発やデモの有効性、財政問題などを討論する。
この討論劇と個人的決起をどう見るか。リアリティがある部分とあまりリアリティがない部分が混在していると僕は思った。しかし、2部で終わらず、3部があるところがすごい。ポリティカルSFというか、未来の政治討論劇として非常に面白い。ただ、ずいぶん前から日本は国内でものつくりをする段階から「投資」国家に変わりつつあると思うし、12年後ともなれば少なくとも中国と日本の賃金格差はかなり縮まっているはずだと思う。電力事情も原発問題も大きなファクターではあろうが、石油との関連だけでは解けない。節電はもとより「蓄電」技術は大変に発達するだろうし、太陽光の可能性が低いかもしれないが、すでにオイルシェールの可能性は大きくなっている。放射性物質の問題もそうで、必ずしも正しいとは思えない議論が交わされている。外国人労働者が放射性物質を福島から世界に持ち出すという設定なんかは、ちょっと「トンデモ」度が高すぎると思う。しかし、そういう個別の問題ではなく、「国のあり方」を皆で議論するという劇の刺激がすごい。また、「一度脱原発を決めたものの、10数年後に再び原発再導入を決めざるを得ない」というシナリオに妙に「既視感」がある。そう言う点を含めて、議論はしかし、最終的には「個人の思い」と密接に結び付き、劇的展開を見せる。
なんだか面白いけど、重くて大変なものを見た感じ。上演一年たって少しリライトしたという。デモの議論の辺りはそうかなと思う。この劇では、震災をきっかけに日本の没落が進み、地方の経済は振るわないという設定になっている。日本は経済しかないと大臣が言っていたけど、それは大間違いで日本の文化の魅力がそう簡単に失われることはないと僕は思っているんだけど、ね。もしチケットが取れるなら、演劇と言う以上に震災後の日本の行く末に関心がある人は、是非見ておいたほうがいい。
昨年9月に初演されたときは、小さな劇場で僕も知らなかった。その後、震災をテーマにしたすごい舞台だという評判が高くなり、紀伊國屋演劇賞や読売演劇大賞なども受賞した。是非一度見たいと思っていたけれど、震災1年半、上演1年後に再演されたわけ。下北沢の本多劇場は小劇団の目標とも言えるところだから、「堂々の凱旋公演」という感じだけど、中身が重い。
劇は大きく3部に分けられている。中身の筋を書かないと通じないのだが、時間も遅いので省略したい。最初は震災直後の東京。「野党代議士」の小田切が取材を受けている。「なぜ東電をつぶさないんですか」。それが劇の始まり。その後に何人かが登場する。そういう劇が始まるのかと思うと、長い字幕が出て早口で事情が説明され、その間に舞台装置が字幕の裏で被災地の納屋に変わる。1部で取材していた記者は、東京で伝えることに限界を感じ、異動を希望して津波被災者のドキュメントを撮っている。「もっとも貧しい被災者」を探して長期取材中である。納屋に住むしかなく、母親は津波で見つからず、父、姉、弟で住んでいるが、姉は医学部を休学中、弟は受験生で東大を目指している。この弟が東大受験が終わるまで取材を続ける予定だが、弟は取材チームに口をきかない。
この2部が劇としてもまとまりはいいのだが、「よくある頑張る被災者」の枠で撮りたいマスコミと、被災者やボランティア、男と女、父と子などの相克が実は隠されていることが明かされていく。それぞれが大きな悩みを隠し持っていて、なかなか判りあえない。「被災当日」の「特別な時間」は、被災者ではない人だけでなく、その場にいた人たちでもなかなか共有することが難しい。例えば、ボランティアで来ている大学院生が余ってる洗濯機があるんだけどと伝えに来ると、撮影クルーが「一番貧しい被災者」ということで撮ってるんで洗濯機はちょっと…などと言う。ボランティアが余って食べきれないおにぎりを被災者に持ってくると、被災地で避難所で働いている公務員が、「被災者をバカにするのか」と反発する。もっともっと大変な重い現実がこの家族にのしかかっていることが次第に判ってくる。登場人物の葛藤が頂点に達し、判りあえるかに見えるときもあるが、解決しようもない問題に直面する人もいる。それでけで重い現実を劇的に表現したすぐれた達成になっている。
ところがこの劇はここで終わらない。3部は12年後とされる。震災12年後だから2023年である。登場人物は今までの人物が関わっている。小田切は「原発ゼロ」を掲げて与党となるが、日本は電力不足で企業が外国に移転して不況が続くので、一転してフランスから最新原発を導入するという政策に転向している。しかし日本はもう国内で国債を発行できず、外債に頼るしかない。福島第一原発では日本人の働き手がなく、外国人労働者を使ったため、放射性物質が大量に持ち出され、世界のテロは「原子力爆弾」が主流となってしまった。福島から除染の済まない車が首都圏に入るのを阻止する体制が作られ、警備会社が力を持っている。先の家族の弟は東大に合格し、財務省に入り小田切大臣の秘書をしている。それぞれが辛い、さまざまの12年を生きてきている。そして、劇中で原発やデモの有効性、財政問題などを討論する。
この討論劇と個人的決起をどう見るか。リアリティがある部分とあまりリアリティがない部分が混在していると僕は思った。しかし、2部で終わらず、3部があるところがすごい。ポリティカルSFというか、未来の政治討論劇として非常に面白い。ただ、ずいぶん前から日本は国内でものつくりをする段階から「投資」国家に変わりつつあると思うし、12年後ともなれば少なくとも中国と日本の賃金格差はかなり縮まっているはずだと思う。電力事情も原発問題も大きなファクターではあろうが、石油との関連だけでは解けない。節電はもとより「蓄電」技術は大変に発達するだろうし、太陽光の可能性が低いかもしれないが、すでにオイルシェールの可能性は大きくなっている。放射性物質の問題もそうで、必ずしも正しいとは思えない議論が交わされている。外国人労働者が放射性物質を福島から世界に持ち出すという設定なんかは、ちょっと「トンデモ」度が高すぎると思う。しかし、そういう個別の問題ではなく、「国のあり方」を皆で議論するという劇の刺激がすごい。また、「一度脱原発を決めたものの、10数年後に再び原発再導入を決めざるを得ない」というシナリオに妙に「既視感」がある。そう言う点を含めて、議論はしかし、最終的には「個人の思い」と密接に結び付き、劇的展開を見せる。
なんだか面白いけど、重くて大変なものを見た感じ。上演一年たって少しリライトしたという。デモの議論の辺りはそうかなと思う。この劇では、震災をきっかけに日本の没落が進み、地方の経済は振るわないという設定になっている。日本は経済しかないと大臣が言っていたけど、それは大間違いで日本の文化の魅力がそう簡単に失われることはないと僕は思っているんだけど、ね。もしチケットが取れるなら、演劇と言う以上に震災後の日本の行く末に関心がある人は、是非見ておいたほうがいい。