尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「いじめアンケート」への疑問②

2012年08月23日 23時55分08秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 アンケート的なものはよくあるけど、一体それは誰が見て集計し、どう役立つものだんだろうか。多分、取ってみましたとアンケート自体が自己目的化していることも多いに違いない。学校でも実に様々なアンケート的なものを書かせるけど、一体だれが見て集計するんだろうか

 当然ながら、生徒本人、クラスに関係する調査やアンケート、つまり進路希望調査、クラスの文化祭出し物希望、給食の人気メニューアンケート…なんて言うものは、学級担任がまず見て集計することが多いだろうと思う。普通はそれでいいわけだし、担任に見せるものとして生徒も書いている。

 ところで、今のイジメ論議は本質のところで、大事な問題を落としている。学校は基本的には、教職員と生徒(児童)によって成り立っている組織である。それなのに、「生徒が生徒をいじめる」ケースしか調査の対象にしていないのである。実際は「教師が生徒をいじめる」「生徒が教師をいじめる」「教師が教師をいじめる」という「事件」もかなり起こっている。本当はそれも視野に入れて問題を考えて行かないとまずい。それらの場合は、「いじめ」という扱いを受けていない場合も多い。「学級崩壊」「体罰」「パワハラ」などと呼ばれて、生徒同士のイジメ事件と別扱いを受けることが多い。しかし、実際は学校と言う空間で、強い者が弱い者を見つけて標的にして、言葉や暴力でいたぶり楽しむ(としか思えない)ということが起こっていることで同じなのである。

 だから前回、いじめ調査の都教委サンプルの話を書いたけれど、本当は以下のようなことも聞かないといけない。「あなたは授業や部活動などの中で、先生が生徒に対して暴言や体罰など不適切な言動をしているのを見たり聞いたりしたことがありますか」、「あなたのクラスや学年で、一部の先生の授業だけ授業が成り立たず、先生が注意しても暴言を言ったり席を立ったりすることを見聞きしたことがありますか」。

 まあ本当は教師同士の問題も聞いてみると面白いだろう。「本校の教員の中で、先生どうしの間で悪口を言ったり、先生どうしの関係が心配になるような言動を見たり聞いたりしたことがありますか」。でもこれを生徒に聞いてみる勇気のある学校はほとんどないだろう。生徒もまだ子供で先生同士の関係まで見えていないことが多いし、大人の間のことなんだから生徒に聞かなくてもいいんだろうけど。でも、教師が生徒、生徒が教師、という2パターンは是非聞いてみなくてはいけない。それは生徒同士のいじめとも密接に絡んでいることが多いし、学校として緊急に解決しなくてはいけない問題であることは同じである。

 それで最初の設問、調査用紙は誰が見るのか、という問いに戻る。本来「いじめアンケート」はクラス担任が見てはいけないものなのではないか。そうでなければ、学級担任の対応こそ問題な場合、あるいは担任が体罰教師だったり、生徒に無視されているような場合は、生徒が何も大事なことを書かないだろう。

 しかし、では誰が見るのか?第3者組織を常設するというのが究極的には一番だと思うけど、とりあえずはできない。管理職のみが見るというのも一つの案だが、担任への不満もいろいろ書かれているかもしれない調査を担任本人が見ることができないなら問題だ。管理職の人事考査に利用されてもわからない。それを避けるために、生徒の評判を第一に考えるようなクラス運営になってしまう。まあ、学校の教師全員が信用できないと生徒が思っている場合は、どんなアンケートを取っても無意味である。だからそういうことは考えなくてもいいだろう。そうすると、いじめ問題を担当する部署、例えば生活指導部で自分の学年でないところを見るということになるのかな

 そういうのは学校それぞれで工夫すればいいと思うけど、僕はクラスで配ってその場で書かせるという取り方自体、きちんとした情報が集まるやり方とは思ってない。郵送して家で書いて返送するというやり方をしなければいけないと思う。教育委員会できちんと臨時予算を組んで郵券(切手)を手配するべきだ(というか大量になるから料金別納になるだろうけど。)保護者のアンケートもした方がいいから、送るのに80円、返送に生徒分、保護者分で160円、合わせて240円。1学年の生徒100人として2万4千。3学年として、約10万。それ以上生徒がいる学校が多いだろうし、すべての学校でやるには相当の予算がいる。しかし「いじめアンケート」で情報を得たいんだったらそのくらいの金がかかるということである。

 僕は前回面談しなければいけないと書いたけど、調査用紙に書かせるという方式も全く無意味ではない。しかしそのためには、家に郵送するというやり方をするべきだと思う。特に、保護者の意見はなかなか面談できないので郵送アンケートのやり方しかできない。生徒と保護者と一緒に返送してもらえば予算が助かるが、そういうことができる家庭ばかりではない。いやがる生徒もいるだろうから、別の返送用封筒を用意したほうがいい。

 そしてその調査用紙には、名前は記名、無記名を選べることとするが、学年、クラスは書いてもらい、読んで集計するのは担任ではないことを書いておく。そこまでやる意味があるか。そこまで面倒なことをする必要がない学校の方が多いだろうと思う。でも、もし全校で全生徒に書かせるいじめ調査をするというんだったら、それだけでは形骸化してやったと言うだけの意味しかないのは明らかだから、できるんだったらここまでやるべきだという意見である。

 特に、教師の指導に関する項目こそ本来は一番必要なのではないか。生徒の中の問題を見つけるという以前に、学校の組織としてもあり方なども含めて意見を聞くこと必要だろう。なお、たぶんほぼすべての学校でホームページが開設されていると思う。そこにパスワードを打ち込んで、電子メールで相談、情報を寄せるというやり方をやはり早急に検討するべきだろう。ただ、パスワードは生徒に教えなければ意味ないわけだが、生徒の中にはどこかのサイトに載せる不届き者も出るだろう。また教員は多忙ですぐに見ることができずに、対応が致命的に遅れてしまうことも起こりうる。やっぱり本当に大事な問題は、直接面と向かって言うしかないだろと思う。そのことができやすい仕組みを考えて行くことも大事である。
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「いじめアンケート」への疑問①

2012年08月23日 00時50分13秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 さて、いじめ問題に戻って。いろいろな問題があるんだけど、まずは「いじめアンケート」に対する疑問。この「アンケート」なるものには様々な問題があると思うけど、(大体「アンケート」というべきなんだろうかと思うけど)、最初に書きたいのは「調査方式そのものへの疑問」である。(なお、夏の初めの頃にこの問題に数回書いて、根絶できない学校と言う場所の本質などについて書いてあるので、是非読んでおいてください。)

 こういう問題が起こると、教育行政当局はすぐに責任者を集め、全校で調査を行い報告せよと来る。東京都の場合は、「いじめの実態把握のための緊急調査について」というのを行うこととした。「臨時区市町村教育委員会指導事務主管課長会」と「都立学校臨時校長連絡会」というのを7月17日に行って、全公立学校から報告を求めている。夏休み直前(または学校によっては夏休み中)なので、いつ調査をするのか判らないが。「質問例」と「報告用紙」もホームページに掲載されているので、そうしたもののサンプルとして面白いかもしれない。

 この「質問例」は、まさに例であってそのまま刷っただけでは使えない。それにしても、テレビである中学校の校長が述べていたが、全部書かせる方式なので、このままでは使えないものである。例えば「あなたは、悪口を言われたり、暴力を振るわれたりしたことがありますか。・それは、だれから、いつ、どのような内容ですか。」などということを、プロレスごっこ、メールや掲示板の悪口、仲間はずれなど様々な事柄について同じように聞いて行く。

 これではクラスに配った時に、一生懸命書き込んでいる生徒がいたら、それは自分か友人のことを学校に「チクっている」ということが周りに判ってしまう。本当に何も困ったことがないクラスや生徒は書くことが何もないという調査になってしまう。それでは困るので、誰もがどこかに○をできる方式や意見を書く項目を作るなどの工夫が必要になってくる。もすこし、現場で使いやすい例を作れないものなのかと思ってしまう。

 そういう問題もあるわけだが、それにしても何かと言うと生徒に書かせる「自書主義」というのが、日本の学校の基本となっている。学校だけでなく、選挙も候補の名前を有権者が書く「自書主義」だし、就職には自書した履歴書がまず必要。裁判も(少なくとも今までは)、被告の「自白調書」をめぐって行われることが多かった。とにかく書かせて、文章で残るものが基礎になるという発想は、たぶん識字率が前近代から世界の中で極めて高かった日本社会のあり方に遠因があると思う。現代教育だけの問題ではない。

 で、実際にいじめ(ケンカや万引きや喫煙などなど)があった場合はどうなるかというと、本人を呼んで「事情聴取」、その後「反省文」「謝罪文」などと進んで行く。いじめ、ケンカなどの場合は、「関係修復」に向けた取り組みへ続いて行くが、喫煙なんかの場合だと「自白調書」を取り「反省文」で「二度としない」と「悔悛」を求める。この「反省を書かせて学校で保管する」というのは、現場的には実際に多くの生徒には有効なので、僕も指導法として否定はできない。仮に次にまた事件を起こしても、「二度としないと約束したじゃないか」という「印籠」として機能するわけで、生徒はやっぱり約束を守らなかった自分が悪いと恐れ入ることになる。

 ところで、この「自書主義」方式いじめ調査は、本当に役立つのだろうか。こういうのは「やらないよりはいいのではないか」ということになりやすく、学校では使われやすい。確かにそれで情報が集まることがないとは言えない。でも、大津市の問題が起こった学校では、毎月やることになっていたが、直前のアンケートは多忙で出来なかったという話である。毎月やれば形骸化するに決まってるし、生徒もまたかよと思って大したことは書かなくなる。また例の調査か、テキトーに書いとこうとなるし、また来月あるんだったら今はまだガマンできる段階だから今月では書かないでいいや、となるはずだ。逆効果になりやすい。

 大人だって、例えば異動希望調査用紙を職員会議で配られて、会議中に書いて提出と言われたら、隣の先生にも見えてしまうし、時間もない中で書かなくちゃいけないので反発するだろう。あるいは全国の会社で一斉に「職場への不満アンケート」を行って、それにきちんと書き込む人がどれだけいるだろう。「親子関係」「夫婦関係」なんかは聞かれても答えにくい。まあ大問題になっていなければ、「特に問題はない」に○して終わりだろう。子どもだって当然、いじめのような答えにくい、あるいは自分でもうまく伝えられない問題について、教室の中で書かされても書く人がどれだけいるんだろうかと思う。でも、こういう調査を定例でやっていると、困ったことに「生徒が書いてないから、きっと大きな問題は起こってないだろう」とつい思ってしまうようになりがちなのである。

 じゃあどうすればいいか?抜き打ち的に、いじめに限らず学校にある諸問題を書いてもらうことは大事だと思う。でもそれだけではダメで、基本は「面談」ではないかと思う。もちろん学校にカウンセラーが常駐して、生徒の相談に乗るということも大切である。しかし、そういう問題を自覚した生徒が相談に来るというのではなく、担任の先生と定期的に個別またはグループで面談する機会を作る。三者面談、家庭訪問ではなく、バカ話でもいいから生徒とフォーマルに話す場を確保するのが大事だと思う。そういう時間が取れないから紙を配って書かせるんではないか、というのがいまの学校の状況である。だから今の、授業確保優先をまずやめなければならない。定期テストがあった日に授業をするような学校がいまはあるという変な時代である。そういうのをやめて、また生徒だけで進められるような行事指導を進めていって、時間確保できる態勢を作らないといけない。

 大切なことは、「情報をつかむために面談をするのではない」という原則である。いじめ情報が出てくるかもしれないが、進路希望や部活の話なんかが多くなるだろう。好きな生徒の相談、親への不満、他の先生への不満なんかもかなりたくさん出てくると思う。そういうのが学校社会のベースで、解決しなくても話すだけで大分すっきりするはずである。先生はいつも忙しそうで、問題が起こった場合だけしか向き合ってくれないと生徒が思うようになってしまうと、気を引くためにわざと問題行動に出るということになりやすい。そういうこともかなり起こっているはずである。男子生徒なんかだと話と言っても、自分で見つけたゲーム攻略法とかAKB48論とか、そんなことしか関心がなくてどうでもいい問題をしゃべりまくるタイプもいる。いいじゃないか、たまにはそういう話に付き合ってあげれば。でも大人びた女子なんかだと、教師よりはるかに深い情報を持っていて、驚くべき生徒の変容を教えてくれることも多い。僕は、目の前にいる生徒の問題は、「直接話をする中で見つけていく」というのが大事なんではないかと思うのである。

 時々捕まえてしゃべるのも大事だが、学校行事の中に組み込まないとやりにくい。そういうことも考えなくてはいけない。また、生徒と話していても、その分書類作りの仕事が積み残されるなんだったら、自分の仕事を増やすだけである。授業を短縮にするとかも大事だし、ホントは学校選択制や自己申告書(人事評価制度)なんかをやめればいい。それと教師の方が生徒と話すのが好きなタイプでないとダメである。話しやすい雰囲気を作るとか、さりげなく答えにくい情報を聞き出すテクニックとか、カウンセリング研修のようなことを学校でも積み上げていくことが必要である。

 とにかく、行政の側が本当に生徒を心配し、いじめの情報をつかみたいんだったら、調査用紙に書かせるのではなく、授業を止めて(短縮にして)「生徒全員と面談を行う」ということをするべきだ。それをやれば、学校が本気だということが伝わるはずである。
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