ハンガリーの映画監督、タル・ベーラ(1955~)の特集を東京吉祥寺のバウスシアターでやってる。今年公開された「ニーチェの馬」は見ていたけれど、「ヴェルクマイスター・ハーモニー」(2000)と「倫敦から来た男」(2007)は見ていなかったので、この機会に見てみた。16日までやってるけど、別に勧めるつもりはなく、自分の備忘のために書いておく次第。
ハンガリーはアジア式に姓を先に書くので、タルが姓、ベーラが名前である。で、このタル・ベーラ監督には、1994年に発表された「サタンタンゴ」という7時間超にもなる伝説的傑作がある。去年一度だけ「ぴあフィルムフェスティバル」で上映されたけど、その上映時間に恐れをなして見なかった。今年見た「ニーチェの馬」もとても特徴的な作品で、はっきり言って面白いとは言えないのだが、妙に忘れがたい作品だった。ベルリン映画祭銀熊賞を取っている。
哲学者のニーチェは、1889年1月3日、イタリアのトリノの街角で御者に鞭打たれる馬を見て、馬を守ろうと近づき馬の首を抱きしめながら昏倒し、そのまま精神が崩壊してしまった。しかし、ニーチェはいいから、その馬はどうなったという映画。もちろんその馬が生きているわけはないから、タル・ベーラが勝手に考えて映像化したわけである。御者の男は娘との貧しい暮らし。荒野の一軒家で質素な食事を取る。寒風が吹き荒れ、ほとんど嵐になってくる。男と娘と馬の暮らしを映画はただ見つめる…。
(「ニーチェの馬」)
というただ見つめるだけの映画で、画面は「そこにはただ風が吹いているだけ」である。白黒で、暗い画面がちっとも動かない。動かないと進まないので、もちろん動きはあるんだけど、非常に遅いし、何か19世紀ハンガリーの寒村にカメラを据え付けたような映画だった。これは一体なんだ。「ニーチェの馬」というけど、ニーチェの映画ではなく、馬の映画ですらない。難行苦行のような修行の2時間半。
そういうザラザラした、納得できないながら何か心に引っ掛かる映画を作ったタル・ベーラ。いつか他の映画も追いかけてみたいと思っていた。21世紀だって言うのに、白黒の映画しか作ってない。しかも以上の4つの作品しか出てこないし、これでもう映画を作らないとも言う。僕が1回見た限りでは「ヴェルクマイスター・ハーモニー」が一頭他を抜いた傑作のように思った。145分を37カットという、これはまた極端に長回しの映画で、画面は見つめるだけで動かない。動かないってことはないんだけど、実に静かにゆっくりと動いて行く。だから疲れているときっと寝る。
時代は判らないが、戦車やヘリコプターは出てくる。ある地方の都市の広場に、クジラを見世物にするトラックがやってくる。それをきっかけに暴動が起き、人間関係が変容していく。という筋では判らない。何でクジラが来ると町がおかしくなるのか、さっぱり判らない。まあ象徴という意味で理解するしかないんだろうけど。この街の様子が、光と闇の映像で美しく描きだされる驚異の映像叙事詩。だけど物語的には、なんだかよく判らない。でもその長回しと町の夜の美しい映像は忘れられない。
(「ヴェルクマイスター・ハーモニー」)
「倫敦から来た男」は、ジョルジュ・シムノン原作の港町の映画。だからハンガリーではない。フランスかベルギーか、フランス語の映画。そこでロンドンから来た男は行方不明になり、金がなくなる。偶然にその大金を入手した男が、人生を狂わせていく。光と影の白黒映像の美しさはこれが一番かもしれない。でも、長回し、静かな映像という点は他の映画と共通する。これは犯罪が出てくる「フィルム・ノワール」に入ると思うけれど、世界映画史上もっとも変わった犯罪映画ではないかと思う。犯罪、犯人、それをめぐるサスペンスを言うところにこの映画の焦点はない。犯罪をきっかけに変わっていく人間のありさまを、ただ見つめる、そういう映画。138分。夜のとばりを美しく表現する映像は、まさに語義通りの「黒い映画」(フィルム・ノワール)と言ってもいい。
(「倫敦から来た男」
人間の顔だって、どんな美人の顔もただ見つめていれば、ほくろやシミ、しわが目についてくる。これらの映画でも、じっくりと人間を見つめる(人間だけでなく、すべての眼前にあるものを)ので、「世界の原形質」みたいなものが露出してくる地層を掘っている感じ。そういう原初的な感動がある。ただ普通の意味で面白いと言えるかは、かなり疑問である。タルコフスキーにならちゃんとあるストーリイやテーマが、タル・ベーラには見えにくい。「ミニマリズム映画」というべきか、「静かな映画」(「静かな演劇」に対応して)というべきか。まあアート映画に特別に関心がある人以外は見ない方がいいと思うけど、そういう世界を知りたい人は見て損はない。
ハンガリーはアジア式に姓を先に書くので、タルが姓、ベーラが名前である。で、このタル・ベーラ監督には、1994年に発表された「サタンタンゴ」という7時間超にもなる伝説的傑作がある。去年一度だけ「ぴあフィルムフェスティバル」で上映されたけど、その上映時間に恐れをなして見なかった。今年見た「ニーチェの馬」もとても特徴的な作品で、はっきり言って面白いとは言えないのだが、妙に忘れがたい作品だった。ベルリン映画祭銀熊賞を取っている。
哲学者のニーチェは、1889年1月3日、イタリアのトリノの街角で御者に鞭打たれる馬を見て、馬を守ろうと近づき馬の首を抱きしめながら昏倒し、そのまま精神が崩壊してしまった。しかし、ニーチェはいいから、その馬はどうなったという映画。もちろんその馬が生きているわけはないから、タル・ベーラが勝手に考えて映像化したわけである。御者の男は娘との貧しい暮らし。荒野の一軒家で質素な食事を取る。寒風が吹き荒れ、ほとんど嵐になってくる。男と娘と馬の暮らしを映画はただ見つめる…。

というただ見つめるだけの映画で、画面は「そこにはただ風が吹いているだけ」である。白黒で、暗い画面がちっとも動かない。動かないと進まないので、もちろん動きはあるんだけど、非常に遅いし、何か19世紀ハンガリーの寒村にカメラを据え付けたような映画だった。これは一体なんだ。「ニーチェの馬」というけど、ニーチェの映画ではなく、馬の映画ですらない。難行苦行のような修行の2時間半。
そういうザラザラした、納得できないながら何か心に引っ掛かる映画を作ったタル・ベーラ。いつか他の映画も追いかけてみたいと思っていた。21世紀だって言うのに、白黒の映画しか作ってない。しかも以上の4つの作品しか出てこないし、これでもう映画を作らないとも言う。僕が1回見た限りでは「ヴェルクマイスター・ハーモニー」が一頭他を抜いた傑作のように思った。145分を37カットという、これはまた極端に長回しの映画で、画面は見つめるだけで動かない。動かないってことはないんだけど、実に静かにゆっくりと動いて行く。だから疲れているときっと寝る。
時代は判らないが、戦車やヘリコプターは出てくる。ある地方の都市の広場に、クジラを見世物にするトラックがやってくる。それをきっかけに暴動が起き、人間関係が変容していく。という筋では判らない。何でクジラが来ると町がおかしくなるのか、さっぱり判らない。まあ象徴という意味で理解するしかないんだろうけど。この街の様子が、光と闇の映像で美しく描きだされる驚異の映像叙事詩。だけど物語的には、なんだかよく判らない。でもその長回しと町の夜の美しい映像は忘れられない。

「倫敦から来た男」は、ジョルジュ・シムノン原作の港町の映画。だからハンガリーではない。フランスかベルギーか、フランス語の映画。そこでロンドンから来た男は行方不明になり、金がなくなる。偶然にその大金を入手した男が、人生を狂わせていく。光と影の白黒映像の美しさはこれが一番かもしれない。でも、長回し、静かな映像という点は他の映画と共通する。これは犯罪が出てくる「フィルム・ノワール」に入ると思うけれど、世界映画史上もっとも変わった犯罪映画ではないかと思う。犯罪、犯人、それをめぐるサスペンスを言うところにこの映画の焦点はない。犯罪をきっかけに変わっていく人間のありさまを、ただ見つめる、そういう映画。138分。夜のとばりを美しく表現する映像は、まさに語義通りの「黒い映画」(フィルム・ノワール)と言ってもいい。

人間の顔だって、どんな美人の顔もただ見つめていれば、ほくろやシミ、しわが目についてくる。これらの映画でも、じっくりと人間を見つめる(人間だけでなく、すべての眼前にあるものを)ので、「世界の原形質」みたいなものが露出してくる地層を掘っている感じ。そういう原初的な感動がある。ただ普通の意味で面白いと言えるかは、かなり疑問である。タルコフスキーにならちゃんとあるストーリイやテーマが、タル・ベーラには見えにくい。「ミニマリズム映画」というべきか、「静かな映画」(「静かな演劇」に対応して)というべきか。まあアート映画に特別に関心がある人以外は見ない方がいいと思うけど、そういう世界を知りたい人は見て損はない。