尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

タル・ベーラの映画を見る

2012年11月13日 23時16分57秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ハンガリーの映画監督、タル・ベーラ(1955~)の特集を東京吉祥寺のバウスシアターでやってる。今年公開された「ニーチェの馬」は見ていたけれど、「ヴェルクマイスター・ハーモニー」(2000)と「倫敦から来た男」(2007)は見ていなかったので、この機会に見てみた。16日までやってるけど、別に勧めるつもりはなく、自分の備忘のために書いておく次第。

 ハンガリーはアジア式に姓を先に書くので、タルが姓、ベーラが名前である。で、このタル・ベーラ監督には、1994年に発表された「サタンタンゴ」という7時間超にもなる伝説的傑作がある。去年一度だけ「ぴあフィルムフェスティバル」で上映されたけど、その上映時間に恐れをなして見なかった。今年見た「ニーチェの馬」もとても特徴的な作品で、はっきり言って面白いとは言えないのだが、妙に忘れがたい作品だった。ベルリン映画祭銀熊賞を取っている。

 哲学者のニーチェは、1889年1月3日、イタリアのトリノの街角で御者に鞭打たれる馬を見て、馬を守ろうと近づき馬の首を抱きしめながら昏倒し、そのまま精神が崩壊してしまった。しかし、ニーチェはいいから、その馬はどうなったという映画。もちろんその馬が生きているわけはないから、タル・ベーラが勝手に考えて映像化したわけである。御者の男は娘との貧しい暮らし。荒野の一軒家で質素な食事を取る。寒風が吹き荒れ、ほとんど嵐になってくる。男と娘と馬の暮らしを映画はただ見つめる…。
(「ニーチェの馬」)
 というただ見つめるだけの映画で、画面は「そこにはただ風が吹いているだけ」である。白黒で、暗い画面がちっとも動かない。動かないと進まないので、もちろん動きはあるんだけど、非常に遅いし、何か19世紀ハンガリーの寒村にカメラを据え付けたような映画だった。これは一体なんだ。「ニーチェの馬」というけど、ニーチェの映画ではなく、馬の映画ですらない。難行苦行のような修行の2時間半

 そういうザラザラした、納得できないながら何か心に引っ掛かる映画を作ったタル・ベーラ。いつか他の映画も追いかけてみたいと思っていた。21世紀だって言うのに、白黒の映画しか作ってない。しかも以上の4つの作品しか出てこないし、これでもう映画を作らないとも言う。僕が1回見た限りでは「ヴェルクマイスター・ハーモニー」が一頭他を抜いた傑作のように思った。145分を37カットという、これはまた極端に長回しの映画で、画面は見つめるだけで動かない。動かないってことはないんだけど、実に静かにゆっくりと動いて行く。だから疲れているときっと寝る。

 時代は判らないが、戦車やヘリコプターは出てくる。ある地方の都市の広場に、クジラを見世物にするトラックがやってくる。それをきっかけに暴動が起き、人間関係が変容していく。という筋では判らない。何でクジラが来ると町がおかしくなるのか、さっぱり判らない。まあ象徴という意味で理解するしかないんだろうけど。この街の様子が、光と闇の映像で美しく描きだされる驚異の映像叙事詩。だけど物語的には、なんだかよく判らない。でもその長回しと町の夜の美しい映像は忘れられない。
(「ヴェルクマイスター・ハーモニー」)
 「倫敦から来た男」は、ジョルジュ・シムノン原作の港町の映画。だからハンガリーではない。フランスかベルギーか、フランス語の映画。そこでロンドンから来た男は行方不明になり、金がなくなる。偶然にその大金を入手した男が、人生を狂わせていく。光と影の白黒映像の美しさはこれが一番かもしれない。でも、長回し、静かな映像という点は他の映画と共通する。これは犯罪が出てくる「フィルム・ノワール」に入ると思うけれど、世界映画史上もっとも変わった犯罪映画ではないかと思う。犯罪、犯人、それをめぐるサスペンスを言うところにこの映画の焦点はない。犯罪をきっかけに変わっていく人間のありさまを、ただ見つめる、そういう映画。138分。夜のとばりを美しく表現する映像は、まさに語義通りの「黒い映画」(フィルム・ノワール)と言ってもいい。
(「倫敦から来た男」
 人間の顔だって、どんな美人の顔もただ見つめていれば、ほくろやシミ、しわが目についてくる。これらの映画でも、じっくりと人間を見つめる(人間だけでなく、すべての眼前にあるものを)ので、「世界の原形質」みたいなものが露出してくる地層を掘っている感じ。そういう原初的な感動がある。ただ普通の意味で面白いと言えるかは、かなり疑問である。タルコフスキーにならちゃんとあるストーリイやテーマが、タル・ベーラには見えにくい。「ミニマリズム映画」というべきか、「静かな映画」(「静かな演劇」に対応して)というべきか。まあアート映画に特別に関心がある人以外は見ない方がいいと思うけど、そういう世界を知りたい人は見て損はない。
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映画「情熱のピアニズム」

2012年11月13日 18時37分47秒 |  〃  (新作外国映画)
 「情熱のピアニズム」という記録映画を見た。是非多くの人に見てもらいたい、驚くような映画である。僕は予告編を見て、ビックリしてしまい是非見たいと思った。(東京では渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。)
 

 これはフランス生まれのジャズ・ピアニストミシェル・ペトルチアーニ(1962~1999)の生涯を追ったドキュメンタリー映画である。だから素晴らしいジャズを聞けるんだけど、ジャズの映画というより「人間の映画」。僕はジャズに詳しくないので、この映画で初めて名前を知ったんだけど、このピアニストは「身体障害者」だったのだ。先天性(遺伝性)の「骨形成不全症」という病気だった。生まれたときには全身の骨が折れた状態だった。骨が先天的に弱く、従って骨が身体を支えられず身長が伸びない。なんと身長は1メートルほどだった。いわゆる「小人症」ではない。ホルモンの異常ではなく、骨の問題。

 そういうからだで生まれながら、彼は「神様から最も並外れた贈り物をもらった男」でもあった。4歳の時にテレビで昔のデューク・エリントンを聞いて、親にピアノを買ってと言う。親がおもちゃのピアノを買い与えたら、バカにされたと思ってそのピアノを壊してしまった。親は仕方なく、古いものながら本物のピアノを買ってあげた。彼はまさに天性のピアニストだった。凄まじいまでに動き回る両手が、神の音色を奏でていく。いやあ、ホントすごいですよ。日本公演もあったらしいんだけど、当時は全然知らなかった。13歳で最初のコンサート、20歳でジャズの本場アメリカに渡り、すぐに評価されて活躍した。フランス人で初めて有名なジャズ・レーベル「ブルーノート」と契約した。

 彼は自分ではピアノまでは歩いていけない。自分だけではピアノの鍵盤には届かない。抱っこして椅子に座らせてもらうしかない。足は届かないから、特製の足踏みがある。でも、そんなことは気にしない。いつも明るくて、皆が親しみを持ち、女性にもモテた。「彼を運ぶと特別な関係が生まれるんだ。心音を聞くと動揺したよ。」「運んでもらう人が女性だと喜んだわ。特に胸が大きいと。」「僕は自分以外のものになりたくない。何が不満なんだ?」

 しかし、老化も人より早く訪れてくる。相次ぐ公演の疲れもあり、不摂生のためか体重が多くなってくる。頭髪もない。若い時はけっこうハンサムなんだけど。そんな「チビ、ハゲ、デブ」の三拍子そろった彼が、しかし女性にはモテる。しかも公演先で出会うと突然恋心を抱き、彼女が楽屋を訪ねると「妻だ」と友人に紹介したりする。故郷にはホンモノの妻がいたりするのに。熱情的かつ発作的、はたまた「生き急ぐ」とはこのことかという愛し方。そうして何人かの妻を持ち、彼女たちがインタビューに答えている。子どもも生まれたが、その子は同じ遺伝病を持っていた。そんな人の人生の記録。この凄さは映像で見ないと判らない

 監督のマイケル・ラドフォードは、イギリスの映画監督で名作「イル・ポスティーノ」(94)を作った人。「ヴェニスの商人」もユダヤ人の立場からシェークスピアを描いた興味深い作品だった。劇映画の監督だが、これは記録映画。
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