4日の日光ウォーク自体はそれほどハードではなかったんだけど、早朝から出て帰りは渋滞の日帰りドライブに完全にダウン。いつもは見てる「イ・サン」も見ないで寝てしまった。で、一日寝たら回復して、池袋新文芸坐で2本映画を見て、ハンセン病集会にちょっと資料を貰いに行って、その後下北沢の本多劇場へ。ここでやってる、トム・プロジェクト公演「欺瞞と戯言」(ぎまんとたわごと)を見る。(11日まで公演。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3d/20/eb0227fb7eecd2e45cc650b797afce10_s.jpg)
で、「行方不明の夫を探す妻。夫の友人たちの話から、その夫の知らない過去が次々と明らかになる。そして夫の行方は…」とチラシにあるけど、これは実際の舞台とだいぶ違った。作・演出の中津留章仁(1973~)はこの前「背水の孤島」を見た感想を記事に書いたけれど、原発事故に触発された作品を書いて大ブレークした若手。今回の「欺瞞と戯言」も、確かな構成力とセリフの凝集力、見事なセットと俳優の演技力を十分に味わえる作品になっている。しかし、話はかなり変で、それこそ「欺瞞と戯言」なので何が言いたいのかよく判らないとも言える。
大体話が現代ではなく、昭和20年代頃と思われる設定。旧華族である滝川財閥の洋館、2階建てのセットが素晴らしい。登場人物は5人だけで、しかも皆外国人風の名前が付いてる。ある休日の午後、独身の社長(憲斗=真山章志)が組合長(檀安里=長谷川初範)と会う予定にしている。ところがそのあとで急にお見合い相手だった娘(西条可憐=岸田茜)が来るという。このお見合いを進めている叔父(譲二=下條アトム)と兼斗の母親(麗羅=竹下景子)がいろいろ口を出している。どうやら麗羅の夫で憲斗の父、前社長の先代はいないらしい。何でも3年前の滝川財閥恒例の正月の鹿狩りで行方不明になったらしい。そのため息子の憲斗が鉱山会社の社長になったが、経営はあまりうまく行ってないうえに、まだ大人になり切っていない部分があるようだ。華族出身者として「品格」が大事だが、旧華族でない可憐を嫁に迎えることは是か非か。そのような議論が進んでいる間に、妻を亡くしている叔父の譲二が、夫を事実上失っている麗羅と再婚したがっていること、一方組合長の檀は昔麗羅と愛し合った過去があり、社長と仲たがいして中東に飛ばされていたのが社長交代後、前社長夫人である麗羅の求めで帰国して、今は組合長であるということがわかってくる。そこへ、お見合い相手の娘が訪れる。皆自分の都合だけで、いろいろ主張する人物で、娘は「誰でもいいから好きだった男を忘れるための結婚」に踏みきろうとし、身分の差はなくしてみせると言う。憲斗は娘の義兄が銀行家なので、それを目当ての結婚をもくろむ。そのあとで、麗羅をめぐって、譲二と檀の争いが持ち上がり、あっと驚く展開で譲二がケガをする。そこまでが1場。
2場になると、麗羅と譲二が結婚し、可憐は妻になり妊娠中。憲斗社長は事業を拡大したが従業員の賃上げ要求には断固応じない。そんな中で可憐は事ごとに文句を言われ実家に帰ると宣言し、そこで急に産気づく。その夜交渉で組合長の檀が訪れ、怒った組合員は石を投げて洋館のガラスを割る。そんな中で人間の本質が露呈していく…。と言う筋立てで、これではよく判らないと思うが、階級と性をめぐる自由の議論が全体として展開されていくが、滝川一族は皆が自分を守るための「欺瞞と戯言」を言っている。嫁が産気づいても放っておいているトンデモナイ冷酷さで、結局「身分」が背景にある。労働者に対する蔑視もひどいものがある。そんな中で悩みながら暮らしてきた母親麗羅が、最後に驚くべき決断をする。これもよく判らないが、子どもを守るためには何でも母親はするものなのか。これはいずれ破たんすることが目に見えている。実際、譲二の人生は完全に破たんしてしまう。
セリフも面白く、構成も大変に練られていて、とても面白い。だけど登場人物に感情移入できない。それはいいんだけど、なんだかどこで何が間違ったのか、よく判らない。明らかに最後は悲劇なんだけど、何だか見ている方が宙ぶらりんに放置されるような終わり方で、それが狙いと言えば狙いなんだろうけど。ではいったい何が問題だったのか。華族という昔の身分か。資本家対労働者の問題か。男と女という性差も大きい。新しい時代(トランジスタラジオと自動車の時代)と古い時代か。戦争を経験したものとそうでないものなのか。いろいろ触れられている。竹下景子演じる麗羅に至っては、湯川秀樹の親戚で原子力発電には反対だという主張まで入っている。あまりにもいろんな論点があるが、僕は「品格」ということを言う者ほど品格がないことがよく判った気がする。華族だったものとして、社長として、経営者として「品格」が大切という憲斗社長こそ「品格」に乏しいことが後半に暴露されていく。しかしそういう息子を育ててしまったのは母親が自由に生きなかった報いでもあると思えるが。階級的立場と恋愛が交錯し、複雑な人間関係を2階のセットで巧みに処理する手際は見応えがある。役者は皆うまいが、今やこういう劇のヒロインにピッタリの舞台女優となった竹下景子の存在感は抜群。下條アトムの嫌味な演技も素晴らしい。ただ、今の観客にただ「カゾク」と言って通じるだろうか。登場人物が皆名前が外国風なのは何なんだろうかと言う気もする。
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で、「行方不明の夫を探す妻。夫の友人たちの話から、その夫の知らない過去が次々と明らかになる。そして夫の行方は…」とチラシにあるけど、これは実際の舞台とだいぶ違った。作・演出の中津留章仁(1973~)はこの前「背水の孤島」を見た感想を記事に書いたけれど、原発事故に触発された作品を書いて大ブレークした若手。今回の「欺瞞と戯言」も、確かな構成力とセリフの凝集力、見事なセットと俳優の演技力を十分に味わえる作品になっている。しかし、話はかなり変で、それこそ「欺瞞と戯言」なので何が言いたいのかよく判らないとも言える。
大体話が現代ではなく、昭和20年代頃と思われる設定。旧華族である滝川財閥の洋館、2階建てのセットが素晴らしい。登場人物は5人だけで、しかも皆外国人風の名前が付いてる。ある休日の午後、独身の社長(憲斗=真山章志)が組合長(檀安里=長谷川初範)と会う予定にしている。ところがそのあとで急にお見合い相手だった娘(西条可憐=岸田茜)が来るという。このお見合いを進めている叔父(譲二=下條アトム)と兼斗の母親(麗羅=竹下景子)がいろいろ口を出している。どうやら麗羅の夫で憲斗の父、前社長の先代はいないらしい。何でも3年前の滝川財閥恒例の正月の鹿狩りで行方不明になったらしい。そのため息子の憲斗が鉱山会社の社長になったが、経営はあまりうまく行ってないうえに、まだ大人になり切っていない部分があるようだ。華族出身者として「品格」が大事だが、旧華族でない可憐を嫁に迎えることは是か非か。そのような議論が進んでいる間に、妻を亡くしている叔父の譲二が、夫を事実上失っている麗羅と再婚したがっていること、一方組合長の檀は昔麗羅と愛し合った過去があり、社長と仲たがいして中東に飛ばされていたのが社長交代後、前社長夫人である麗羅の求めで帰国して、今は組合長であるということがわかってくる。そこへ、お見合い相手の娘が訪れる。皆自分の都合だけで、いろいろ主張する人物で、娘は「誰でもいいから好きだった男を忘れるための結婚」に踏みきろうとし、身分の差はなくしてみせると言う。憲斗は娘の義兄が銀行家なので、それを目当ての結婚をもくろむ。そのあとで、麗羅をめぐって、譲二と檀の争いが持ち上がり、あっと驚く展開で譲二がケガをする。そこまでが1場。
2場になると、麗羅と譲二が結婚し、可憐は妻になり妊娠中。憲斗社長は事業を拡大したが従業員の賃上げ要求には断固応じない。そんな中で可憐は事ごとに文句を言われ実家に帰ると宣言し、そこで急に産気づく。その夜交渉で組合長の檀が訪れ、怒った組合員は石を投げて洋館のガラスを割る。そんな中で人間の本質が露呈していく…。と言う筋立てで、これではよく判らないと思うが、階級と性をめぐる自由の議論が全体として展開されていくが、滝川一族は皆が自分を守るための「欺瞞と戯言」を言っている。嫁が産気づいても放っておいているトンデモナイ冷酷さで、結局「身分」が背景にある。労働者に対する蔑視もひどいものがある。そんな中で悩みながら暮らしてきた母親麗羅が、最後に驚くべき決断をする。これもよく判らないが、子どもを守るためには何でも母親はするものなのか。これはいずれ破たんすることが目に見えている。実際、譲二の人生は完全に破たんしてしまう。
セリフも面白く、構成も大変に練られていて、とても面白い。だけど登場人物に感情移入できない。それはいいんだけど、なんだかどこで何が間違ったのか、よく判らない。明らかに最後は悲劇なんだけど、何だか見ている方が宙ぶらりんに放置されるような終わり方で、それが狙いと言えば狙いなんだろうけど。ではいったい何が問題だったのか。華族という昔の身分か。資本家対労働者の問題か。男と女という性差も大きい。新しい時代(トランジスタラジオと自動車の時代)と古い時代か。戦争を経験したものとそうでないものなのか。いろいろ触れられている。竹下景子演じる麗羅に至っては、湯川秀樹の親戚で原子力発電には反対だという主張まで入っている。あまりにもいろんな論点があるが、僕は「品格」ということを言う者ほど品格がないことがよく判った気がする。華族だったものとして、社長として、経営者として「品格」が大切という憲斗社長こそ「品格」に乏しいことが後半に暴露されていく。しかしそういう息子を育ててしまったのは母親が自由に生きなかった報いでもあると思えるが。階級的立場と恋愛が交錯し、複雑な人間関係を2階のセットで巧みに処理する手際は見応えがある。役者は皆うまいが、今やこういう劇のヒロインにピッタリの舞台女優となった竹下景子の存在感は抜群。下條アトムの嫌味な演技も素晴らしい。ただ、今の観客にただ「カゾク」と言って通じるだろうか。登場人物が皆名前が外国風なのは何なんだろうかと言う気もする。