尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「ミステリーズ 運命のリスボン」

2012年11月29日 23時51分14秒 |  〃  (新作外国映画)
 長大な映画を今年は何本か見たけれど、フランス映画「ミステリーズ 運命のリスボン」も4時間26分の映画。なかなか行けなかったけれど、東京のロードショーは明日までなので、今日の夕方から見た。せっかく長いのをみたので書いておこうと思うけど、この映画は僕の好きなタイプの映画ではなかった。ただし、つまらないということはない。筋も面白く映像も美しい。舞台となる19世紀初頭のポルトガルでそのままロケしたような屋敷や風景が素晴らしい。でも、どうもあまり僕の中でヒットしないのは何故だろう。プログラムの中で古賀太氏が「どこかマノエル・ド・オリヴェイラやジョアン・セーザル・モンテイロ、ペドロ・コスタのような現代ポルトガル映画の香りがする。」と書いているのを読んで、そうだなと腑に落ちた。僕も何となく見ながらオリヴェイラみたいだなあと思っていた。僕はこれらの監督作品がどうもダメなのである。長いからかなあと思っていたけど、短い「ブロンド少女は過激に美しく」(オリヴェイラ)もダメだった。小説の語りをそのまま映像にしたようなスタイルがピンとこないのである。

 ラウル・ルイス(1941~2011)監督の最後の作品。100本以上の作品を作ったという、この監督。昨年亡くなったけれど、新聞に訃報も載らず、僕もよく知らなかった。「見出された時-『失われた時を求めて』より」や「クリムト」などの作品があると言うが、僕は見ていなかった。今年日仏学院で特集があったけれど、そこでも見ていない。元々チリの出身で、若くして活躍していたらしいが、1973年のCIAによるアジェンデ政権打倒クーデタ後にフランスに亡命した。フランスでたくさん作っているようだが、ほとんど公開されなかったので、僕は知らない。独自の表現で世界的評判になるまえに、実にたくさんの映画を作っているというのは昔の監督にはよくあった。ラウル・ルイスも途中で亡命して、生活のためにスター映画を量産していたのかもしれない。

 今回の「ミステリーズー運命のリスボン」という映画は、ポルトガルの19世紀の小説の映画化だという。そういう古風な文芸映画のムードが確かにある。ミステリーと言っても、犯罪が起こって犯人捜しというのではなく、血と運命にあやつられるまま恋と復讐があざなえる縄のごとく絡まりあっていく様を描いている。登場人物の出自の真相は何なのか、誰が誰の子で、誰と誰がどういう関係なのかが謎で、そういう話が何十年にわたり続いて行く。因果は巡る糸車という話で、マルキ・ド・サドの「恋の罪」という小説なんかもそういう感じで似ているなあと思った。背景はフランス革命とナポレオン戦争の時代。ポルトガルは直接は関係しないが、フランスに留学したり思想的に影響を受けたりしているので、関係が出てくる。時代としては波乱万丈である。

 身分制度は揺るぎ始めながら、まだまだ根強い。カトリック教会の力も強い。しかし、自由思想と恋愛という新しい時代も始まっている。ポルトガルでは新大陸の植民地ブラジルが独立しようという時代。ある孤児が修道院で教育を受けているが、姓も判らない、両親を知らないという状態でいじめられている。この子を心配する神父が実の母に合わせてくれ、いろいろ面倒を見てくれるが、この子もその神父も驚くべき運命のもとにあるのだった。という話が、複数の語りで視点を変えながら、紙芝居のような説明場面をはさんで、長大な物語を大河のように語っていく。何だか最後の頃になるとよく判らなくなってくるところもあるが、まあそういう映画。この前見た「演劇」も長かった。「カルロス」「ジョルダーニ家の人々」も長かった。けど、長い作品が公開されるのは、長いけど面白いからで、長くて長くて閉口したという映画は一本もない。でも肩や腰が疲れるし、お金も余計にかかる。短い映画でも値段は同じなので、あまり短いと損した気もするが、まあ2時間程度までがやはりいいなと思うよね。
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