尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

カリフォルニア・ドールズ

2012年11月21日 21時59分18秒 |  〃  (旧作外国映画)
 シアターN渋谷という映画館が12月2日で閉館する。昔ユーロスペースがあったところで、7年前にユーロスペースがBunnkamuraの近くに移転した後に、新たな名前で映画館をやっていた。そこの最後の番組の一本として、1981年のアメリカ映画、ロバート・アルドリッチ監督作品、「カリフォルニア・ドールズ」をやっている。なんでも音楽の著作権問題でDVDが発売されていないという。公開当時見て、ものすごく面白かった記憶があって、もう一度見てみたいと行ってきた。いやあ、面白い。昔の映画だから、多分知らない人の方が多いと思うけど、だまされたと思って見て欲しい映画。ただし、女子プロレスの映画なので、格闘シーン満載である。他人が映画の中で殴られているのも耐えられないというくらいの、身体共感能力豊かな「平和主義者」には辛いかもしれないが。そうでなかったら、痛快なアクション映画で素晴らしいロード・ムーヴィーを楽しめること請け合い。
 
 ロバート・アルドリッチ(1918~1983)という監督は、1954年の「ベラクルス」というアクション映画で知られるようになった。以後「攻撃」「何がジェーンに起こったか?」「特攻大作戦」などの映画を作った。戦争映画、西部劇、サイコ・サスペンスなどアクションを中心に多彩な娯楽映画を作った監督である。70年代になると、ホーボー(鉄道タダ乗りの放浪者)と鉄道警備員の闘いを描く「北国の帝王」(1973)、バート・レイノルズが囚人のアメリカン・フットボールチームを活躍させる「ロンゲスト・ヤード」(1974)などの忘れられない「男の闘い映画」を作った。今回同時にリバイバルされている「合衆国最後の日」(1976)も含めて、ほぼすべて男性アクション映画である。そういうアルドリッチの遺作になってしまったのが、この「カリフォルニア・ドールズ」(1981)で、82年のキネ旬ベストテン8位に選ばれた。唯一のベストテン入選であり、女性中心の映画という意味でも珍しい。

 スポーツ映画はアメリカで数多く作られている。ボクシングと野球が一番多い。もう枚挙にいとまないほどの名作が作られてきた。大体パターンは決まっていて、弱い球団、年老いたボクサーなんかが人間としてのプライドを掛けて最後の闘いに挑む。しかし、やられまくって、もうダウン(引退)寸前であるが、家族とか偏屈な名監督なんかの助言で、奇跡が起こるかもしれない。頑張れ!頑張れ!起これよ、奇跡! そして大体奇跡のような勝利が舞い込むわけである。判っているけど、演出と演技で迫真のスポーツシーンになると、見てる側も熱中してしまうし、驚くような技で逆転するのがカタルシスを呼ぶわけである。

 まあ、そういう意味では、この映画もスポーツ映画の定型に当てはまっている。ただし、女子プロレスというジャンルが珍しい。そしてマネージャー役の男性と3人組でアメリカ各地をおんぼろ車でドサ回りする。このマネージャーがピーター・フォーク。オペラを流しながら、小金を求めてさすらいの旅を続けながら、なんとか這い上がろうとする落ちぶれた男を大変印象的に演じている。正直言って、もう刑事コロンボと「ベルリン・天使の詩」しか覚えていなかったんだけど、この映画も記憶しておかないといけない。「誇り高き頑固者」を全身で演じている。

 ピーター・フォークがなんとかして取ってきた「トレドの虎」というチャンピオンとのノンタイトル・マッチ。敵地の試合なので当然負けるべきところ、「カリフォルニア・ドールズ」は本気出してアウェイで勝ってしまう。以後宿敵となった両者が合計3度闘う。泥んこになって裸になっちゃうアトラクションなんかに嫌々出ながら、だんだんレスラーの階段を上っていく「ドールズ」の二人。嫌味な興行師と泣く泣く付き合って「トレドの虎」とタイトルマッチ。雌雄を決する最後の決戦は、荒れに荒れ、もう残り一分、負けに決まってるんだけど…。この最後のプロレスシーンは、とても見応えがあって、興奮必至。

 ボクシング映画だと大体、八百長を持ちかけるギャング組織が敵役になるんだけど、この映画ではそれはない。まあ、プロレスは興行色が強く、いまさら八百長を仕掛けるようなものではないのかもしれない。女子プロレスには、八百長ではなくセクハラ。高校中退で今さら仕事するにも大した仕事はない。なんとか2人+男1人で、プロレスで頂上を目指すのだという、そのど根性。そして最後の闘いにかけた秘策とは…。これは紅白歌合戦かと思うシーンにボー然。観客はほとんどドールズの応援になってしまう。

 男のプロレス映画では、「レスラー」という名作映画が数年前にあった。韓国で作られた「力道山」も忘れがたい。女子大生のプロレス(学生だからプロじゃないけど)を扱った日活ロマンポルノ「美少女プロレス 失神10秒前」というのも今年見たけど…。またプロレスの記録映画も数多い。しかし、プロレス映画の最高傑作は「カリフォルニア・ドールズ」にとどめを指すと思う。これはスポーツ映画というジャンルではあるが、同時に「元気で頑張る女性映画」というジャンルの傑作でもある。「テルマ&ルイーズ」(1991)とか。あるいは「ビッグ・バッド・ママ」(1975)というトンデモナイ女性ギャング映画があった。「フライドグリーントマト」(1991)なんかも南部を生き抜く女性の強さが印象的だった。アメリカの大衆映画の中に脈々と続く、「元気な女たち」の映画というジャンルの一本でもあるだろう。面白くて元気になる映画を見たい人は是非。

 なお、「ロンゲスト・ヤード」も「午前10時の映画祭」でやっている。これからあちこちで見られる可能性があるが、是非見ておきたい傑作である。ちょっと「お下品」なとこもあるけど。「もう一度見てみたい」って、「ロンゲスト・ヤード」を公開の時に見た人はそれほど多いわけでもないでしょうに。よく「午前10時の映画祭」に入ったもんだ。誰か大ファンがいたのか。僕は大学に入ったばかりの時に、蓮見重彦さんの「映画表現論」を取ってしまった。立教大学に来ていたのである。蓮見氏は「ロンゲスト・ヤード」とドン・シーゲルの「ドラブル」を見に行くようにと指示を出した。まあアート映画ではなくて、この両作を見せたいというところに特徴があるが、学生がロードショーを見るのは大変である。なんで見せられたんだと思いながら見た記憶があるのが、「ロンゲスト・ヤード」である。面白かったですけど、名画座で見ればいいような気がしたのも事実である。これもスポーツ映画の代表作と言える。

 シアターN渋谷は、ユーロスペース時代というか、その前の「欧日協会」の時代から映画を見てきた。世界の珍しい映画を見ることが多かった。スイスの映画監督アラン・タネールの「ジョナスは2000年に25歳になる」「光年のかなた」の連続上映というのが思い出に残っている。ドイツの「鉛の時代」「秋のドイツ」もここで見た。ペドロ。アルモドバルの初期作品もここで知られていった。ヒットしたのは何と言っても「ゆきゆきて神軍」だろうか。80年代、90年代の名作、問題作の多くをこの場所で見た思い出の場所だったのだが。
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記録映画「演劇1」「演劇2」

2012年11月21日 00時22分41秒 | 映画 (新作日本映画)
 想田和弘監督が、劇団青年団を率いる劇作家、演出家の平田オリザに密着取材した記録映画「演劇1」「演劇2」を見た。これが滅法面白いんだけど、合わせて5時間42分もあるから、一日がかりとなる。用事があったり体調が悪い時はいけない。そうこうしているうちに時間が経ってしまった。当初は23日まで上映かと思っていたが、24日以後も朝の上映があるようだ。ただし、2本連続では見られない。渋谷のシアター・イメージフォーラムで。


 想田監督は「選挙」「精神」などの「観察映画」を作ってきた。今回は劇団のまさに「舞台裏」をつぶさに「観察」する。ナレーションや映画のテーマのようなものは提示されない。平田オリザは「静かな演劇」と言われるような、「現代口語演劇」を作ってきた。はっきり言って、どっちもそれほど面白いものではない気がするんだけど、映画はマイナスとマイナスを掛けたような面白さに満ちている。

 「演劇1」は主に青年団の劇団活動を中心に追っている。多分、どんな世界でも「舞台裏」をのぞくことは楽しいんじゃないかと思う。特に平田オリザの演出が「秒単位」で役者のセリフを訂正していく様が「観察」されている。これはなかなか面白い見物で、どうしてああいう「静かな演劇」が出来上がるかが示されている。劇中で劇団員がロベール・ブレッソンの「バルタザールどこへ行く」というフランス映画を見ている場面がある。ブレッソンのこの映画は、「少女ムシェッと」と並んで僕は好きな映画だけれど、他のブレッソン映画は僕にはつまらない。そのつまらなさは、こうしてみると平田オリザの劇世界と似ている。俳優を劇世界の「道具」として使い、世界の原形質を露呈させていく。そういう考えなんだろうけど、そうして現れた世界はあまり豊饒な感じがしない。

 平田オリザが書く演劇論などは非常に面白い。非常に面白いし、読んで役に立つ。この映画でも平田オリザが演劇のワークショップを行う場面が多く撮影されている。特に「演劇2」では、鳥取県倉吉の中学で演劇の授業を行う場面、そのあと教師向けにワークショップを行う場面がかなり長く撮影されている。この場面は非常に面白い。中身的には確かに平田の本に出てくるような場面なんだけど、本を読むより実際の映像で見る方が判りやすいし、実際の中学生の反応が判る。

 そのような平田オリザの社会的活動、演劇の社会的役割などの場面が「演劇2」には多く出てくる。鳥取の「鳥の演劇祭」では「ヤルタ会談」という劇を上演し、県知事や市長と歓談する。また冒頭では、撮影当時(2008年)には野党だった民主党の、今は政権中枢にいる玄葉外相、前原国家戦略相、細野政審会長、古川前国家戦略相などの顔が見える。「冒険王」という外国を放浪している日本人を題材にした劇を見て語り合うという企画の打ち上げであるようだ。当時の民主党には、こうした「文化政策」に親近感を持つ清新さがあったわけである。その後平田は鳩山内閣の参与となり、施政方針演説に関わったりした。そういうことを考えると、今ではこの場面を見ると、「政治」に近づいたことの是非が問われると言ってもいいだろう。しかし、それも演劇を普及させるという目的、舞台に国庫助成を求める戦略とも考えられる。「メンタルヘルス」の講演会に招かれて語る場面には特に平田オリザの考えが示されていると思う。自殺がこれほど多い日本という国で、「こころ」には予算を使わない国。「こころ」は芸術と宗教が担うが、政教分離の日本では宗教には予算が付かない。芸術を支援するということしかない。「芸術保険」に近い考えが外国にはあるという。健保が3割自己負担という感じで、7000円の演劇を見たら、自己負担は2100円になるというような発想。

 「演劇2」ではロボットと舞台をつくる試みも描かれる。フランスに行って演劇を作り上げる様子も出てくる。そこで語られるフランスの状況は、非常にうらやましい。公的劇場に美術部門があって、大道具をつくることができる。「劇場は出来上がった演劇を上演するだけのところではなく、演劇を作り上げていくところ」という考えなのである。このように「演劇2」では、日本だけでなくフランスまでも視野を広げて語られるが、そこでは演出だけでなく、予算面も含めて現実的な側面も出てくる。まさに八面六臂の活躍を続ける平田オリザとはいったい何者なのか。「演劇1」の冒頭で、15分休憩と告げると、15分経ったら起こしてと言いあっという間に寝てしまい、いびきも聞こえる。15分で起こされるとすぐに稽古に戻る。ちょっとその早業、すぐ寝て、すぐ稽古に戻れる姿が常人離れしている。そういう平田という人物の面白さがこの映画を支える一つの柱である。(もう一つの柱が演出やワークショップを間近に見る面白さ。)

 ただしこの映画で問われないものもある。ロボットとやる演劇が出てくるが、あれは面白いのか?舞台裏はどんな劇団も、いや映画製作のメイキングなんかも面白いと思うし、政治や裁判の舞台裏なんかはもっと面白いんだと思う。(できないだけで、もし裁判員裁判を評議を含めて全部「観察」できたら、たぶんもっと面白い映画になるだろう。)だからロボットとつくる苦労話は面白かったけど、できた演劇が面白そうには思えなかった。そういう一番根源的な問いは発せられない。だから、なんで「演劇」というタイトルなのかもわからない。演劇はもっともっと多様なものだから、違う劇作家や劇団に密着観察したら、また違う面白さが出てくると思う。僕は余計な場面も多いと思ったので、大胆にカットして3時間くらいの映画にしてくれた方が多くの人に見やすくなって良かったのではないかと思う。
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