「新年」というのはまあいいけど、「新春」ってどこに春があるんだという寒さ。東京も寒いし、妻の実家の新潟も寒い。帰ってくると東京も寒い。僕は「年賀状」というものを作らなくなってずいぶん経つけど、今日は新年の初めに「年賀状」というものを考えてみたい。初めに断わっておくけど、僕も年賀状をいっぱい作っていた時があるし、「郵便による書状」はなくしてはいけない文化だと思っている。最近ありがちの「電子メール」で済ましてしまうのが良いと思っているわけではない。でも、学校などは住所録というものが無くなったから、郵便は出しようもない時代なんだろう。
僕が年賀状に疑問を持つようになったのは、いくつかのきっかけがあるが、最大のものは最後に回す。まず、最初に思ったことは、「日本人の大部分は暦年で暮らしていない」ということである。政府(役所)や学校だけでなく、企業の大部分の決算も、4月から3月の「年度」で行われている。新たな気持ちになったりするのも、桜が咲いて年度が代わる4月の方ではないか。新年の抱負なんていっても、とりあえず受験に合格するとか、年度末に向け頑張るのが先だろう。時には、年度代わりに転任(あるいは新規に入学、就職)するので、新たに挨拶状をもらったりする。それなら、正月ではなく年度代わりに昨年度の報告と新年度の抱負を出す方がいいではないか。
時々もらう「年賀欠礼」というハガキも変なものである。そもそも亡くなった時には連絡をもらってない場合がほとんどである。中には誰が死んだのか書いてないのさえある。それなのに「喪中につき年賀の儀欠礼」というのは、出すことになっているらしい。そうすると、年賀状には「一年の報告」「新年の抱負」など時にはけっこう大事なことが書いてあるのに、「喪中」の人にだけ伝えられない。それでも、「喪中」なんだから悲しみにくれて喪に服しているのかと思えば、「年賀欠礼」のハガキをくれた同僚が忘年会や新年会を喪中につき欠席した例を知らない。これは僕だけのことではあるまい。喪中だったら、忘年会もクリスマスもあったものではないはずではないのか。年賀状だけ「欠礼」する意味が判らない。
そういう風になってしまうのは何故だろうか。そもそも「年賀状」というものが誤解されているのではないかと思う。半七捕物帳を読んでると、半七は正月に年始回りを欠かさない。昔は多くの人が町内程度の規模で暮らしていたので、正月には世話役には顔を見せておくものだったのだろう。会社でも、ある程度の役職者は上役の家に年始のあいさつに行ったものだと思う。その時代は地方から都会へ出てきて地元に帰れない人、または正月は帰省するので都会で年始の挨拶に行けない人が、「年始回りに行けないので、失礼ながら書状で挨拶いたします」というのが、本来の年賀状というものだろう。だんだんそういう年始回りの風習もなくなってきて、ハガキで済ますのも失礼とは思われなくなったので、今度は「出しておかないと失礼」という感覚が生じてくる。でも、正月(松の内)に会う間柄(仕事や学校などはほとんど松の内に始まるだろう)は、新年に最初にあった時に挨拶すればそれで十分なはずである。年賀状を出すことで親しくなりたい「下心」でもあれば格別、普通は仕事の同僚や学校の同級生程度の関係なら、年賀状は必要ないんだと思う。
それを思えば、昔は自分も若かった。自分をPRしたいと思っていたし、知る限りの知人には出すべきものだと思っていた時代もある。それはそれでいいと思う。人間にはそういう時代もある。「礼儀正しい」とか「律儀」とか評価されたいと思ったわけである。また、学生時代には年賀状にかこつけて、好きな相手に連絡したということもある。電話は敷居が高い(親が出る)けど、年賀状は「季節の儀礼」の範囲だからお互いに抵抗が少ない。ケータイなどというものがなかった時代の話である。面白い趣向を込めて、自己評価を高くしたいと工夫した。昔の知人には「今年こそ逢いましょう」「たまには一緒に飲みたいですね」などと一言書いたものである。ウソではなく、実際に飲み会を企画したりした。そういう時もあったけど、だんだん「たまには逢いましょう」と書いても、来年も合わないだろうなあという人ばかりになってくる。そうなると、そもそも「一年の報告」たる年賀状を出す意味があるんだろうか。
ところで、それ以上に僕が思ってしまうのは、「新年明けましておめでとう」とどうして平気で言えるのかが僕には判らなくなってしまったのである。2014年はいい年と言うよりは悪い年だった。2015年はもっと悪い年になりそうである。それなのに、昨年は無事に過ごしましたと書く人もいるが、「集団的自衛権」の一事を取ってみても、僕には去年も今年も全然無事な年とは思えない。少なくとも「明けてめでたい」年ではない。でも、そういう年は今年だけではない。東京都の教育がガラッと変わり始めたころ、それは21世紀になった頃からだが、毎年毎年職場環境が悪くなる一方で、明けても全然面白くない年になりそうな、そんな年ばかりになってしまった。僕はもう年賀状を出さないでいいだろうと思ったのである。悪くなっていく日本に少しでも抗って、それを何かのかたちで(今はブログに書くということで)表わしていけば、それでいいだろうと思っているのである。だから、今年も年賀状は作らなかったし、相変わらず大して読まれず影響力もないブログを書いて行きたいと思うだけ。
僕が年賀状に疑問を持つようになったのは、いくつかのきっかけがあるが、最大のものは最後に回す。まず、最初に思ったことは、「日本人の大部分は暦年で暮らしていない」ということである。政府(役所)や学校だけでなく、企業の大部分の決算も、4月から3月の「年度」で行われている。新たな気持ちになったりするのも、桜が咲いて年度が代わる4月の方ではないか。新年の抱負なんていっても、とりあえず受験に合格するとか、年度末に向け頑張るのが先だろう。時には、年度代わりに転任(あるいは新規に入学、就職)するので、新たに挨拶状をもらったりする。それなら、正月ではなく年度代わりに昨年度の報告と新年度の抱負を出す方がいいではないか。
時々もらう「年賀欠礼」というハガキも変なものである。そもそも亡くなった時には連絡をもらってない場合がほとんどである。中には誰が死んだのか書いてないのさえある。それなのに「喪中につき年賀の儀欠礼」というのは、出すことになっているらしい。そうすると、年賀状には「一年の報告」「新年の抱負」など時にはけっこう大事なことが書いてあるのに、「喪中」の人にだけ伝えられない。それでも、「喪中」なんだから悲しみにくれて喪に服しているのかと思えば、「年賀欠礼」のハガキをくれた同僚が忘年会や新年会を喪中につき欠席した例を知らない。これは僕だけのことではあるまい。喪中だったら、忘年会もクリスマスもあったものではないはずではないのか。年賀状だけ「欠礼」する意味が判らない。
そういう風になってしまうのは何故だろうか。そもそも「年賀状」というものが誤解されているのではないかと思う。半七捕物帳を読んでると、半七は正月に年始回りを欠かさない。昔は多くの人が町内程度の規模で暮らしていたので、正月には世話役には顔を見せておくものだったのだろう。会社でも、ある程度の役職者は上役の家に年始のあいさつに行ったものだと思う。その時代は地方から都会へ出てきて地元に帰れない人、または正月は帰省するので都会で年始の挨拶に行けない人が、「年始回りに行けないので、失礼ながら書状で挨拶いたします」というのが、本来の年賀状というものだろう。だんだんそういう年始回りの風習もなくなってきて、ハガキで済ますのも失礼とは思われなくなったので、今度は「出しておかないと失礼」という感覚が生じてくる。でも、正月(松の内)に会う間柄(仕事や学校などはほとんど松の内に始まるだろう)は、新年に最初にあった時に挨拶すればそれで十分なはずである。年賀状を出すことで親しくなりたい「下心」でもあれば格別、普通は仕事の同僚や学校の同級生程度の関係なら、年賀状は必要ないんだと思う。
それを思えば、昔は自分も若かった。自分をPRしたいと思っていたし、知る限りの知人には出すべきものだと思っていた時代もある。それはそれでいいと思う。人間にはそういう時代もある。「礼儀正しい」とか「律儀」とか評価されたいと思ったわけである。また、学生時代には年賀状にかこつけて、好きな相手に連絡したということもある。電話は敷居が高い(親が出る)けど、年賀状は「季節の儀礼」の範囲だからお互いに抵抗が少ない。ケータイなどというものがなかった時代の話である。面白い趣向を込めて、自己評価を高くしたいと工夫した。昔の知人には「今年こそ逢いましょう」「たまには一緒に飲みたいですね」などと一言書いたものである。ウソではなく、実際に飲み会を企画したりした。そういう時もあったけど、だんだん「たまには逢いましょう」と書いても、来年も合わないだろうなあという人ばかりになってくる。そうなると、そもそも「一年の報告」たる年賀状を出す意味があるんだろうか。
ところで、それ以上に僕が思ってしまうのは、「新年明けましておめでとう」とどうして平気で言えるのかが僕には判らなくなってしまったのである。2014年はいい年と言うよりは悪い年だった。2015年はもっと悪い年になりそうである。それなのに、昨年は無事に過ごしましたと書く人もいるが、「集団的自衛権」の一事を取ってみても、僕には去年も今年も全然無事な年とは思えない。少なくとも「明けてめでたい」年ではない。でも、そういう年は今年だけではない。東京都の教育がガラッと変わり始めたころ、それは21世紀になった頃からだが、毎年毎年職場環境が悪くなる一方で、明けても全然面白くない年になりそうな、そんな年ばかりになってしまった。僕はもう年賀状を出さないでいいだろうと思ったのである。悪くなっていく日本に少しでも抗って、それを何かのかたちで(今はブログに書くということで)表わしていけば、それでいいだろうと思っているのである。だから、今年も年賀状は作らなかったし、相変わらず大して読まれず影響力もないブログを書いて行きたいと思うだけ。