尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

冤罪増やす?刑訴法改正

2016年06月06日 23時23分13秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「愛国心」をあおる人々が昨今よく目につく気がする。「国を守る気概」を国民に求める人もいる。しかし、日本に限らず、どこの国の国家権力も間違いを犯すし、権力の暴走が起きる。「国家の過ち」に直面したときには、「愛国心」を主張する人々は「真っ先に過ちをただす努力」をするはずだと思う。愛すべき国家が実は間違いを犯していると知ったら、愛国者なら黙っていられないはずだから。

 というのはもちろん、タテマエというか皮肉。実際は「愛国心」をもてあそぶ人々は、「国家の過ちに目を閉ざす」ことが多いだろう。だけど、「冤罪」(えんざい=無実の罪に問われること)という問題を考えると、どうして「愛国心」を大声で語ることができるのか、僕には不思議である。あるいは「ヘイトスピーチ」というものもそう。冤罪やヘイトスピーチのある国を、どうして「愛するべきだ」と他の人に訴えることができるのか? 恥ずかしくて、僕にはそんなことはできない。まず「不正義」をただすように力を尽くすというのが、「本来の愛国者」というものではないのか。

 さて、通常国会会期末に、いくつかの重要法案が成立した。まず「ヘイトスピーチ規制法」は複雑な経過をたどって、参議院で修正された法案が衆議院で成立した。正式には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」である。この名前には大きな問題があるのは明らか。「本邦外出身者」以外にもヘイトスピーチの対象にされている人々がいるのだから。しかし、「ないよりはマシ」なのも間違いないと思われる。僕は細かく立法経過を追ってきていないので、今まで触れていない。いずれ時間があったら、この問題も書いておきたいと思っている。

 一方、同じ5月24日に衆議院で成立したのが「刑事訴訟法改正」である。これは数年前の「村木厚子さん事件」などの冤罪事件、不適正な捜査手法の続出に対して、法制審議会で審議されてきたものの立法化である。だけど、その間に「部分可視化」になる一方で、捜査側に「司法取引」や「通信傍受の拡大」などが認められ、実際の冤罪被害者には反対の声が強かった。

 5月10日には参議院議員会館で反対集会が行われた。そこでは東住吉事件で再審がまさに今行われている青木恵子さんが出席し、「一部ではなく、一から十まで全部録画することによって密室の取り調べ状況が分かるようにすべきだ」と訴えた。今、この言葉は東京新聞の5月17日つけ記事から引用した。見出しには大きく「部分可視化は『冤罪生む』」とある。ところで、週刊金曜日6月3日号の山口正紀氏の記事によると、この集会を報じたのは東京新聞だけだという。

 だけど、この法改正には「一定の評価」をする人もいる。日弁連も賛成だった。国会では共産党と社民党が反対で、民進党は賛成に回った。日弁連は同日、会長声明を出している。(「取調べの可視化の義務付け等を含む「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」の成立に当たっての会長声明」)「全体として刑事司法改革が確実に一歩前進するものと評価する」という立場である。それを見ると、「被疑者国選弁護制度の勾留全件への拡大証拠リストの交付等の証拠開示の拡大裁量保釈の判断に当たっての考慮事情の明確化等、複数の重要な制度改正が実現した」という。なるほど、報道されている以外にも様々な側面があるということは判る。

 だけど、日弁連会長声明にも、「別件起訴後の事件」に関して「運用を厳しく監視することが求められる」という部分がある。先に「今市事件」について書いたときに、「別件逮捕」して何十日も勾留して、その後に「自白」したときの「録画」だけを公判に提出するというのはアンフェアでおかしいということを書いたと思う。だが、林真琴法務省刑事局長の国会答弁では、「別件起訴後の勾留中の被告人に対する取り調べには録音録画の義務がない」と言っている。(週刊金曜日、前記山口「報道役割を放棄したメディア」)一方、日弁連会長声明では「別件の被疑者勾留中における対象事件の取調べと同様に、録音・録画の義務付けの対象となることが明らかである」と言っている。

 ところで、本来は「別件逮捕」自体が大問題。「別件」と言っても「本件」と密接に関連があるケースもある。殺人事件における死体遺棄のような。死体遺棄自体が重罪であり、その「死体」に関する追及を捜査側がするのは当然だろう。だけど、殺人を疑われた容疑者に対して、まったく関係ない「微罪」で身柄を確保するのは、そもそも憲法違反である。その場合、「別件」と言っても全部録画するのは当然だと思うが、それも「すべての取り調べを録画する」と決めてしまえば、問題そのものがなくなる。

 そうなっていない以上、捜査側は「録画しない」ことも出てくるだろう。「突然自白を始めたので、録画の準備がなかった」などと捜査当局が言い放つと思う。いくら弁護側が要求しても、ないものは仕方ないので、いくら言ってもどうにもならない。やむを得ずそのまま裁判が進行し、検察側が都合のいいところだけ録画を提出する。裁判員はそれを見て「迫真性」を感じる。それが心配されるわけだ。これでは「冤罪増加法」ではないか。そうなったらおかしいではないか。

 ちょっと前まで、「全部の取り調べを録画するのは、時間的にも経費的にも現実性がない」という意見があったと思う。でも、今はそれは通らない。街角にあれほど「監視カメラ」が氾濫してるんだから、取調室が日本でいくつあるか知らないが、すべてにカメラを設置することがそんなに大変だとは思えない。一度に全部は無理でも、計画的に進めていけば数年でできるはずである。強引な取り調べ、無理な自白強要をしていないと言うなら、すべての取り調べを録画することに反対できなはず。国民の側からすれば、取調室における「特別公務員暴行陵虐罪」や「特別公務員職権濫用罪」という犯罪が起こりやすい現場に「防犯カメラ」を設置するという意味がある。一刻も早い全取り調べの録音・録画を実現するべきだ。(なお、司法取引に関しても書くつもりで用意していたのだが、時間がなくなってきたので今回は省略する。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする