1989年に「ベルリンの壁崩壊」「東欧革命」が起こり、中国では天安門事件が起こった。1991年末にソ連が崩壊し、アメリカが「唯一の超大国」と言われた。その間の1990年にイラクがクウェートに侵攻し、1991年初頭にアメリカを中心にした多国籍軍がイラクを攻撃し、クウェートからイラクを撃退した。この「湾岸戦争」がアメリカ覇権体制の頂点だった。当時の米大統領はジョージ・ブッシュ(父)である。
アメリカの歴史学者フランシス・フクヤマ(1952~)は1992年に「歴史の終わり」を著し、「政治的自由主義」「経済的自由主義」が人類の最終的体制となると論じた。「社会主義」の夢は破綻し、自由民主主義体制と市場経済体制の優位性が確認されたというのである。それは「歴史の終わり」だと言うのである。
30年経って判ったことは、「歴史は終わってなかった」どころか、21世紀になって「新しい歴史が始まった」ことだ。もちろん30年前から予想されたことであって、そもそも自由民主主義国家に生きた人など全世界にはわずかしかいない。「歴史」が終わるどころか、「歴史」が始まってさえいない数多くの民族もある。ネオコンのイデオローグには見えなかったことが多かった。(フクヤマは後にイラク戦争を批判した。)
アフガニスタンもイラクも、アメリカが簡単に考えたようには「自由民主主義国家」にならなかった。これは当然のことであって、そもそも「国民国家」ではないところに、単純に「民主主義」を持ち込んで選挙をやっても機能しない。西アジアの旧オスマン帝国領だった地域に第一次大戦後に建国した国家は、列強の都合で引かれた国境線に囲まれている。民族や宗教がモザイク状に入り乱れ、国民的共同性が存在しない国が多い。
2001年にアメリカが攻撃を開始したアフガニスタンから20年目に米軍が撤退した。アフガニスタンはソ連介入も退け、アメリカの介入も成功しなかった。撤退方針を明らかにした途端にタリバンが首都を制圧した。もともとガニ大統領の統治には問題があったようだが、ここまで早いとは想定できなかった。まさに「砂上の楼閣」のような体制だった。このような結果になって、「他国に民主主義を育てる」ことの不可能性を改めて思う。
(アフガン撤退を発表するバイデン米大統領)
北ヴェトナムがサイゴンを制圧しヴェトナム戦争が終結したのは1975年だった。1975年はまた第1回の「先進国首脳会議」(サミット、最初は米英仏と西ドイツ、日本の5ヶ国)が開かれた年でもある。すでに戦争でドル価値が下落し、旧敗戦国の日独が経済的に無視できなくなった。この段階でアメリカの覇権には陰りが見えた。しかし、当時はソ連が崩壊するとは誰も思わず、また中国は文化大革命の混乱が続いていて、世界市場には登場していなかった。ほぼ半世紀前だが、思えば隔世の感がある。
1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し、これがソ連の命取りになった。「ペレストロイカ」が始まり、ソ連体制の分裂が始まっていく。ソ連圏が崩壊したことで、90年代初頭には一見「アメリカが唯一の超大国」という時代が始まったかに見えた。しかし、そのアメリカも2001年にアフガニスタンに、2003年にはイラクに侵攻することで、国力を費消していく。この間に中国が世界市場に登場し、中国やロシアも含めた「G20」が開かれるようになる。
(「覇権」の移り変わり)
最近は「米中の覇権」という言い方もされる。しかし、それはどうなんだろうか。中国は2022年に北京冬季五輪を開催し、党大会で習近平主席が(2期続いた)慣例を破って3選されると見込まれている。最近は「習近平思想」などとも呼ばれ、国内で思想統制が強まっていると報道されている。国外に対しても「覇権的ふるまい」が見られるのも確かだろう。だが中国の人口構造の不均衡などを見ると、2050年になったときには「2020年が最高だった」と振り返られるのではないだろうか。
今後は「地域大国」をめぐる小さな対立が頻発すると予想される。イランやトルコを含めた西アジア、北アフリカはもちろん、中南部アフリカで大きな混乱が予想される。ヨーロッパでもEUを中心に一つにまとまるというのは幻想だったとはっきりした。コロナウイルスだけではない次のパンデミックや気候変動も予想しておかなくてはいけない。民族や宗教による分断は「自由民主主義体制」ではなかなか乗り越えが難しい。だから「歴史は永遠に続く」ことがはっきりしてしまったのが、この20年だった。
アメリカの歴史学者フランシス・フクヤマ(1952~)は1992年に「歴史の終わり」を著し、「政治的自由主義」「経済的自由主義」が人類の最終的体制となると論じた。「社会主義」の夢は破綻し、自由民主主義体制と市場経済体制の優位性が確認されたというのである。それは「歴史の終わり」だと言うのである。
30年経って判ったことは、「歴史は終わってなかった」どころか、21世紀になって「新しい歴史が始まった」ことだ。もちろん30年前から予想されたことであって、そもそも自由民主主義国家に生きた人など全世界にはわずかしかいない。「歴史」が終わるどころか、「歴史」が始まってさえいない数多くの民族もある。ネオコンのイデオローグには見えなかったことが多かった。(フクヤマは後にイラク戦争を批判した。)
アフガニスタンもイラクも、アメリカが簡単に考えたようには「自由民主主義国家」にならなかった。これは当然のことであって、そもそも「国民国家」ではないところに、単純に「民主主義」を持ち込んで選挙をやっても機能しない。西アジアの旧オスマン帝国領だった地域に第一次大戦後に建国した国家は、列強の都合で引かれた国境線に囲まれている。民族や宗教がモザイク状に入り乱れ、国民的共同性が存在しない国が多い。
2001年にアメリカが攻撃を開始したアフガニスタンから20年目に米軍が撤退した。アフガニスタンはソ連介入も退け、アメリカの介入も成功しなかった。撤退方針を明らかにした途端にタリバンが首都を制圧した。もともとガニ大統領の統治には問題があったようだが、ここまで早いとは想定できなかった。まさに「砂上の楼閣」のような体制だった。このような結果になって、「他国に民主主義を育てる」ことの不可能性を改めて思う。
(アフガン撤退を発表するバイデン米大統領)
北ヴェトナムがサイゴンを制圧しヴェトナム戦争が終結したのは1975年だった。1975年はまた第1回の「先進国首脳会議」(サミット、最初は米英仏と西ドイツ、日本の5ヶ国)が開かれた年でもある。すでに戦争でドル価値が下落し、旧敗戦国の日独が経済的に無視できなくなった。この段階でアメリカの覇権には陰りが見えた。しかし、当時はソ連が崩壊するとは誰も思わず、また中国は文化大革命の混乱が続いていて、世界市場には登場していなかった。ほぼ半世紀前だが、思えば隔世の感がある。
1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し、これがソ連の命取りになった。「ペレストロイカ」が始まり、ソ連体制の分裂が始まっていく。ソ連圏が崩壊したことで、90年代初頭には一見「アメリカが唯一の超大国」という時代が始まったかに見えた。しかし、そのアメリカも2001年にアフガニスタンに、2003年にはイラクに侵攻することで、国力を費消していく。この間に中国が世界市場に登場し、中国やロシアも含めた「G20」が開かれるようになる。
(「覇権」の移り変わり)
最近は「米中の覇権」という言い方もされる。しかし、それはどうなんだろうか。中国は2022年に北京冬季五輪を開催し、党大会で習近平主席が(2期続いた)慣例を破って3選されると見込まれている。最近は「習近平思想」などとも呼ばれ、国内で思想統制が強まっていると報道されている。国外に対しても「覇権的ふるまい」が見られるのも確かだろう。だが中国の人口構造の不均衡などを見ると、2050年になったときには「2020年が最高だった」と振り返られるのではないだろうか。
今後は「地域大国」をめぐる小さな対立が頻発すると予想される。イランやトルコを含めた西アジア、北アフリカはもちろん、中南部アフリカで大きな混乱が予想される。ヨーロッパでもEUを中心に一つにまとまるというのは幻想だったとはっきりした。コロナウイルスだけではない次のパンデミックや気候変動も予想しておかなくてはいけない。民族や宗教による分断は「自由民主主義体制」ではなかなか乗り越えが難しい。だから「歴史は永遠に続く」ことがはっきりしてしまったのが、この20年だった。