2001年に米軍がアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し、新しい政府が樹立された。しかし、2021年8月にアメリカ軍が撤退の方針を発表すると、あっという間にタリバンが首都を制圧した。そのことは8月16日に「タリバン、アフガニスタンを制圧ー鍵は中国が握る」で書いた。その後、9月7日にタリバンが「暫定政府」の主要閣僚を発表した。僕はタリバンの細かな人脈や政治傾向を知らないから、その名簿を見てもよく判らないけれど。
(暫定政権の樹立)
タリバンは政権発足の式典を開く予定で、それに中国、ロシア、パキスタン、カタール、トルコ、イランを招待したと言われる。しかし、10日にロシアは出席しない意向を表明した。ロシアのラブロフ外相は、さまざまな国内勢力が政権に加わることを前提に式典参加の意向を示していた。暫定政府がタリバンの独占になっていることに忌避感があるということだろう。式典が行われるのか、その場合他国は参加するのかは現時点で不明だが、ロシアが出ないのに中国やイランが出るわけにもいかないだろう。
「暫定政府」は「暫定」であって、全閣僚が決定したわけではない。だから女性や少数民族に今後小さなポストが提供される可能性はあると思うが、すでに主要閣僚(首相、外相、内務省など)はタリバンの幹部が占めているのだから、それは「お飾り」という以上のものではない。今回は「国民和解政府」を作るだろうというような楽観的な見方もあったが、そう簡単なものではない。20年間武力で攻撃されてきて、ようやく「占領軍を追い出した」のだから、宗教的に純粋な政権を求める動きもあるだろう。「論功行賞」を求める勢力もあるに違いない。
ただし、反タリバン勢力が全国各地で蜂起して内戦になる可能性は少ないだろう。最後まで残ったタジク人地区のパンジシール渓谷もタリバンが制圧したと伝えられる。いや抵抗が続いているという報道もあるが限定的なものになると思う。その意味では国内情勢に関しては「タリバンのもとで安定する」可能性が高い。タリバンに対抗できる武力勢力はないし、周辺諸国も援助はしないだろう。大方の民衆も延々と続く内戦の混乱よりは、タリバン政権下の不自由の中で生きていく方を選ぶに違いない。
どうしても宗教的な圧政に耐えられない人、あるいは前政権に協力したことで追求を恐れている人は海外に逃れるしかないだろう。国外移住の自由は基本的な人権である。タリバンが国際的に正統政府と認められたいなら、出国の自由を保障しなければならない。日本の駐アフガニスタン大使館は日本関連で出国を望む多数の人を置き去りにして、海外に逃げてしまった。まるでソ連軍侵攻にあたってさっさと逃亡した関東軍を思い出すと言ったら言い過ぎだろうか。日本政府は大きな責任を放棄したのではないか。
タリバン政権は前回ほどの圧政、歌舞音曲の一斉禁止などまでは見せていない。「女性の教育」も認めると言っている。しかし、それは「男女別学」でなければならない。また「女性のスポーツ」は認めないとしているようだ。「コーラン」のどこにそんなことが書いてあるのかなどと言っても意味はないだろう。スンナ派のタリバン、シーア派のイランと宗派は違っても、基本的に「イスラム法学者支配」なのだから、同じような体制になると予測できる。イランはそれでも世俗政治に関しては選挙を行うが、アフガニスタンでは選挙が行われないだろう。
(反タリバンの女性デモ)
日本では何故か「タリバンはそんなに悪くない」と主張する人がかなりいた。多くは故・中村哲氏のタリバン経験をもとにしているようだ。中村氏は「ペシャワール会」という名で判るように(ペシャワールはパキスタン西部の都市)、パシュトゥン人地区で活動してきた。パキスタンにも近いし、もっとも「純粋タリバン」が支配し士気も高かったと思う。タリバンは「アフガニスタンに平和と秩序をもたらした」という中村氏の考えを僕は全面的に否定はしない。しかし、中村氏がハザラ人やタジク人地区で活動していたら、それほど楽観的な発言はしなかったのではないだろうか。
米軍の攻撃(特に「誤爆」も多かったとされる)がかえってタリバンへの支持を増やしたと言われる。米軍の戦争政策に反発する人は、その分タリバンに「同情」、あるいはそこまで言わなくても「タリバン勝利やむなし」と思いやすいのではないか。イランも中国も独裁政権だが、付き合わないわけにはいかない。ミャンマーの軍事政権は完全に「一線を越えた」ので、当面国際的に認められないだろう。では「タリバン」はどうだろうか。今のままでは中国やロシア、パキスタンなど、本心では早く承認したい国々もタリバン承認は難しいのではないか。
タリバン政権のもとでは明らかに国際水準から見て人権上の問題が起きる。だが多くの民衆にとっては、いつ終わるとも判らない戦争が延々と続くよりはマシ、ということになっていくのだろうと思う。イスラム諸国の人権は非常に厄介な問題で、解決の糸口さえ見つからない現状だ。イスラム教内部からの変革を求めていくしかないんだろうと思う。キリスト教や仏教は基本的に「世俗宗教」になっているが、イスラム教は本質的に「世俗宗教」ではない。でもそれでは生きていけない部分があって、人々は適度に飲酒を認めたりして生きていると思う。いずれ「国家」と「宗教」が分離される日も来るに違いない。
(暫定政権の樹立)
タリバンは政権発足の式典を開く予定で、それに中国、ロシア、パキスタン、カタール、トルコ、イランを招待したと言われる。しかし、10日にロシアは出席しない意向を表明した。ロシアのラブロフ外相は、さまざまな国内勢力が政権に加わることを前提に式典参加の意向を示していた。暫定政府がタリバンの独占になっていることに忌避感があるということだろう。式典が行われるのか、その場合他国は参加するのかは現時点で不明だが、ロシアが出ないのに中国やイランが出るわけにもいかないだろう。
「暫定政府」は「暫定」であって、全閣僚が決定したわけではない。だから女性や少数民族に今後小さなポストが提供される可能性はあると思うが、すでに主要閣僚(首相、外相、内務省など)はタリバンの幹部が占めているのだから、それは「お飾り」という以上のものではない。今回は「国民和解政府」を作るだろうというような楽観的な見方もあったが、そう簡単なものではない。20年間武力で攻撃されてきて、ようやく「占領軍を追い出した」のだから、宗教的に純粋な政権を求める動きもあるだろう。「論功行賞」を求める勢力もあるに違いない。
ただし、反タリバン勢力が全国各地で蜂起して内戦になる可能性は少ないだろう。最後まで残ったタジク人地区のパンジシール渓谷もタリバンが制圧したと伝えられる。いや抵抗が続いているという報道もあるが限定的なものになると思う。その意味では国内情勢に関しては「タリバンのもとで安定する」可能性が高い。タリバンに対抗できる武力勢力はないし、周辺諸国も援助はしないだろう。大方の民衆も延々と続く内戦の混乱よりは、タリバン政権下の不自由の中で生きていく方を選ぶに違いない。
どうしても宗教的な圧政に耐えられない人、あるいは前政権に協力したことで追求を恐れている人は海外に逃れるしかないだろう。国外移住の自由は基本的な人権である。タリバンが国際的に正統政府と認められたいなら、出国の自由を保障しなければならない。日本の駐アフガニスタン大使館は日本関連で出国を望む多数の人を置き去りにして、海外に逃げてしまった。まるでソ連軍侵攻にあたってさっさと逃亡した関東軍を思い出すと言ったら言い過ぎだろうか。日本政府は大きな責任を放棄したのではないか。
タリバン政権は前回ほどの圧政、歌舞音曲の一斉禁止などまでは見せていない。「女性の教育」も認めると言っている。しかし、それは「男女別学」でなければならない。また「女性のスポーツ」は認めないとしているようだ。「コーラン」のどこにそんなことが書いてあるのかなどと言っても意味はないだろう。スンナ派のタリバン、シーア派のイランと宗派は違っても、基本的に「イスラム法学者支配」なのだから、同じような体制になると予測できる。イランはそれでも世俗政治に関しては選挙を行うが、アフガニスタンでは選挙が行われないだろう。
(反タリバンの女性デモ)
日本では何故か「タリバンはそんなに悪くない」と主張する人がかなりいた。多くは故・中村哲氏のタリバン経験をもとにしているようだ。中村氏は「ペシャワール会」という名で判るように(ペシャワールはパキスタン西部の都市)、パシュトゥン人地区で活動してきた。パキスタンにも近いし、もっとも「純粋タリバン」が支配し士気も高かったと思う。タリバンは「アフガニスタンに平和と秩序をもたらした」という中村氏の考えを僕は全面的に否定はしない。しかし、中村氏がハザラ人やタジク人地区で活動していたら、それほど楽観的な発言はしなかったのではないだろうか。
米軍の攻撃(特に「誤爆」も多かったとされる)がかえってタリバンへの支持を増やしたと言われる。米軍の戦争政策に反発する人は、その分タリバンに「同情」、あるいはそこまで言わなくても「タリバン勝利やむなし」と思いやすいのではないか。イランも中国も独裁政権だが、付き合わないわけにはいかない。ミャンマーの軍事政権は完全に「一線を越えた」ので、当面国際的に認められないだろう。では「タリバン」はどうだろうか。今のままでは中国やロシア、パキスタンなど、本心では早く承認したい国々もタリバン承認は難しいのではないか。
タリバン政権のもとでは明らかに国際水準から見て人権上の問題が起きる。だが多くの民衆にとっては、いつ終わるとも判らない戦争が延々と続くよりはマシ、ということになっていくのだろうと思う。イスラム諸国の人権は非常に厄介な問題で、解決の糸口さえ見つからない現状だ。イスラム教内部からの変革を求めていくしかないんだろうと思う。キリスト教や仏教は基本的に「世俗宗教」になっているが、イスラム教は本質的に「世俗宗教」ではない。でもそれでは生きていけない部分があって、人々は適度に飲酒を認めたりして生きていると思う。いずれ「国家」と「宗教」が分離される日も来るに違いない。