尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

宏池会はなぜ政権から遠ざかったのかー自民党の派閥の歴史③

2021年09月20日 22時48分59秒 | 政治
 「宏池会」(こうちかい)と言ってもなじみがないかもしれないが、現在の岸田派である。宏池会は自民党きっての名門派閥で、池田勇人の系譜を継ぎ、大平正芳鈴木善幸宮澤喜一と4人の総理を輩出した。20世紀の自民党のど真ん中にいたのに、21世紀になってからは「清和会」出身の首相ばかり続いた。今回岸田文雄が首相に指名されたら、宏池会出身としては約30年ぶりということになる。
(宏池会の流れ)
 2回目に書いた清和会の場合、岸信介から福田赳夫、福田から安倍晋太郎へと異論なく派閥が継承された。しかし、自民党の派閥継承の歴史を見ると、そういうケースはむしろ珍しい。清和会でも安倍以後は三塚博と加藤六月の「三六戦争」が起こった。宏池会はもともと大蔵官僚出身の池田を慕う官僚出身の政治家が多く「公家集団」と言われた。「体育会系」の田中角栄派に比べて「ひ弱」と言われたが、実は内紛が多かった。

 池田急死後は前尾繁三郎が継ぎ、66年、68年の総裁選で佐藤栄作に挑戦したが、いずれも大差で敗れた。特に68年には反主流派で弱小派閥の三木武夫にも敗れて3位に沈んだ。70年総裁選には立候補せず佐藤4選に協力したが見返りがなく、田中六助ら派内の若手議員の突き上げで、会長の座を大平正芳に渡すことになった(大平クーデター)。大平は78年から80年に総理を務めたが、総選挙中に急死して鈴木善幸が後を継いだ。鈴木は当初から中継ぎとされ、後継には宮澤喜一が本命とされた。

 大蔵官僚出身の宮澤喜一は福田赳夫とも相通じ「知性派」として知られた。一方田中角栄はタイプが反する宮澤を嫌い、たたき上げの党人派田中六助に近かった。田中六助は宮澤の会長就任に反対し「一六戦争」と呼ばれた抗争が起きた。田中六助は中曽根内閣で幹事長を務めるなど権勢を振るったが、80年代に入ってからは糖尿病が悪化して入院することが多く、1985年に62歳で病死した。結果的にこれで一六戦争が決着し、1986年に宮澤喜一が会長に就任した。宮澤は1991年の総裁選で渡辺美智雄、三塚博を破って当選し首相となった。

 1993年6月、野党が提出した宮澤内閣不信任案に小沢一郎・羽田孜らが賛成し可決された。宮澤は直ちに衆議院を解散したが、小沢らは離党して新生党を結成し、社会党などとの連合政権を目指した。結果的に日本新党細川護熙を新生党、社会党などが連立して首相に擁立し、自民党は結党以来初めて野党に転落した。宮澤は総裁を辞任し、後継には宮沢内閣の官房長官だった河野洋平が選ばれた。河野は政界入りした当初は河野一郎派を継いだ中曽根派に所属していた。しかし1976年に自民党を離党して「新自由クラブ」を結成した。
(新自由クラブ結成を発表する河野洋平)
 新自由クラブのことはここで詳しく触れる余裕がないが、一時は非常に人気が高かったものの、内紛も多く党勢は伸び悩んだ。1983年には自民党と連立を組み、1986年の衆参同時選挙で自民党が大勝すると、解党して(田川誠一を除き)自民党に復党することになった。保守新党の試みは何度かあるが、自民党の勢力が一時的に弱っても再び支持率を回復するため成功しない。河野洋平は復党後に、中曽根派を復帰せず政策的に近い宮澤派に加入した。しかし、宮澤派内では外交官出身の加藤紘一が早くから「プリンス」と目されていた。河野総裁時代に加藤は政調会長を務めていたが、1995年の総裁選では河野の再選を支持せず、橋本龍太郎を支持した。このように宮澤後継をめぐって、加藤と河野が激しく争い「KK戦争」と呼ばれた。

 結局河野は総裁選不出馬を表明し、橋本総裁のもとで加藤が幹事長に就任した。当時は「自社さ連立」の村山内閣だったが、96年に村山が辞任し橋本が首相となる。しかし、97年に金融危機が起こり98年の参院選で自民党は大敗した。責任を取って橋本首相は辞任し、加藤も幹事長を辞任した。橋本の後任として小渕恵三が首相となり、加藤も党内2位の派閥リーダーとして存在感を示していた。ところが1998年の総裁選に現職の小渕に対抗して、加藤紘一山崎拓が出馬した。小渕が大差で再選され、加藤、山崎は「総裁候補に名乗りを上げる」ことが目的だったにもかかわらず、小渕は現職に対抗したことを許さなかった。

 「KK戦争」はこの頃加藤後継で決着し、河野洋平麻生太郎ら反加藤系議員15名は離脱して「大勇会」(たいゆうかい)を旗揚げした。90年頃から加藤紘一は三塚派の小泉純一郎、渡辺美智雄派の山崎拓と派閥を越えたつながりを持ち「YKK」と呼ばれた。小泉はこれを「友情と打算」と呼んだが次世代リーダーとみなされた。大勇会は「河野グループ」と呼ばれたが、総裁経験者の河野ではなく麻生太郎が総裁への意欲を持っていた。

 2000年4月に小渕首相が突然倒れて回復不能と診断された。(6月に死去。)その後、政府・自民党幹部5人が密室で森喜朗を後継と決めたとして批判された。森は「神の国」発言、「無党派は寝ていてくれれば」などの「失言」が多く、国民の支持率も上がらなかった。秋口には支持が2割台、不支持が5割を超える不人気ぶりだった。秋の臨時国会で野党が内閣不信任案を提出する方向になると、加藤紘一は「不信任案に賛成、または欠席する」と表明した。この動きはマスコミで大きく取り上げられ、国民の支持も大きかった。当時黎明期のインターネットでは加藤のホームページに応援の声が殺到した。これが「加藤の乱」である。

 そもそも加藤が総裁選に立候補しなかった場合、小渕首相も加藤派を無視できず、加藤が重要閣僚や党三役に起用されていた可能性が高い。加藤が内閣や党の一員だったら、小渕が倒れた時の「密室協議」に呼ばれたはずで、森ではなく加藤が後継に選ばれたのではないか。それは「運命」としか言えないが、加藤は運命の女神に見放されたのである。そこで国民の支持を背景にして、不人気の森内閣に対する公然たる倒閣運動に乗り出した。それは加藤にとって乾坤一擲の「義挙」だったのだろうが、離党せずに不信任案に賛成するのは議会政治の邪道である。

 「加藤の乱」に立ち向かったのは、幹事長の野中広務だった。竹下派の分裂騒動、社会党委員長を担いで政権に復帰する「自社さ連立」など数多くの修羅場をくぐってきた「武闘派」の野中が本気で切り崩しを図れば、宏池会はやはり弱かった。加藤派ではボスに従って欠席したもの21名に対し、本会議に出席して反対したもの24名と派内の過半数が加藤に従わなかったのである。一方、同調した山崎拓は派内の出席2名に対し17名が欠席したため、「鉄の団結」を評価され関ヶ原の戦いの大谷𠮷継のように「敗北した勇将」として名を挙げた。
(加藤の乱 左=加藤紘一、右=谷垣禎一)
 本会議が開かれようとしたとき、加藤、山崎は責任を取って二人だけでも出席して賛成票を投じようとした。それに対して、加藤派の谷垣禎一が「加藤先生は大将なんだから!」と必死に止めた。その場面はテレビに撮られていて、「加藤の乱」敗北を象徴するシーンとしてよく取り上げられる。欠席に止まったことから除名は免れたものの、派閥の半数以上が離脱して加藤グループは党内6位の小派閥となり政治力は大きく損なわれた。2002年には「金庫番」を長く勤めた秘書が「口利き」で得た収入の「脱税」で逮捕された。加藤本人の責任も指摘され、離党した上で議員辞職に追い込まれた。その後、無所属で当選して復党するが、総裁候補としては完全に失脚した。

 「加藤の乱」後に離脱したグループも同様に「宏池会」を名乗ったため、同じ名前の派閥が2つ同時に存在することになった。時々左翼団体で起きるような話である。離脱派は堀内光雄が会長になったので「堀内派」、加藤グループは加藤の離党後、小里貞利が代表になって「小里派」と呼ばれた。小里は2005年で引退し、谷垣禎一が会長になって「谷垣派」となった。一方の堀内派では郵政民営化法案に堀内が反対し離党に追い込まれ、その後は「丹羽・古賀派」となった。小派閥では影響力が少ないため、2006年頃から「河野グループ」(麻生派)を含めて「大宏池会」を結成する動きが起こったが、谷垣、麻生と二人の総裁候補がいて実現不能だった。

 結局2008年に麻生派抜きでまとまることになり、古賀誠が会長になり「古賀派」と呼ばれた。2008年に麻生政権が出来るが、2009年に民主党に政権交代。麻生の後継総裁に谷垣が立候補して当選した。しかし、2012年の総裁選で古賀が谷垣の再選に反対し、谷垣系は宏池会を離脱して「有隣会」を結成した。2016年に谷垣が自転車事故で重傷を負い、翌年の総選挙に立候補せず引退したが、現在も「旧谷垣グループ」として続いている。一方の古賀派では会長の古賀誠が2012年に引退し、後継に岸田文雄が就任し「岸田派」となった。

 このように宏池会は実は内紛が多かった。戦国時代の後北条氏のようにすんなり後継が決まったことはなく、上杉謙信没後の越後上杉氏の「御館の乱」のような派閥を二分する争いが何度も起こったのである。特に加藤紘一河野洋平は共に党内リベラル派で、政策にも通じた政治家だった。どちらかでも首相になっていたら、その後の日本に良い影響を残したのではないだろうか。それが「両雄並び立たず」のことわざ通り、宏池会を分裂に導くことになった。これは21世紀の日本政治が右傾化、保守化が進んで理由の一つになったと言える。もう巻き戻しの効かない歴史になってしまったが、政治家の出処進退を越えて考えさせられる。
コメント (1)
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