尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中野慶『岩波書店取材日記』を読むー「戦後の理想」はどう移り変わったか

2022年06月12日 22時31分49秒 | 本 (日本文学)
 中野慶岩波書店取材日記』(かもがわ出版)という本の紹介。東京新聞(2月26日)に紹介されていたが、知らない人が多いだろう。実はその前に著者本人から贈って頂いていたのだが、読むのが遅れてしまった。5月末に読んだが、なかなか感想が書きにくい本だ。「リアルすぎるユーモア小説です」と帯にある。しかし、そのユーモアに付いて行くにも、ある程度の知的素養が要りそうだ。何しろ「岩波書店」と明記して、その内部の様々な出来事を書いている本なのである。著者は中野慶名義だけど、以前書いた「大塚茂樹「原爆にも部落差別にも負けなかった人びと」を読む」と同じ人である。
(『岩波書店訪問日記』)
 題名に反して、なかなか岩波書店を訪れない。プロローグが38頁もあるのである。そこでは大学を卒業して、「中小企業家をサポートする」コンサルタント会社「GKⅢ」に勤めることになった芳岡美春という女性の事情が語られる。この芳岡という若い女性は鳥取出身で、歴史好きの父親が突然事故で亡くなる。その後、父からかつて教えられた川崎市高津区にある円筒分水を訪れる。それは何だろう? 実は聞いたこともなかったのだが、国の登録文化財になっている。調べてみると日本各地にあって、サイフォンの原理を利用して農業用水を必要な村に分配する仕組みだった。これが本書のテーマと絡んでいると後で思い当たった。
(川崎の円筒分水)
 岩波書店は1913年に岩波茂雄が開いた古書店に始まり、1914年に夏目漱石こゝろ』を刊行して出版業に進出した。その後、1927年に岩波文庫、1938年に岩波新書の刊行が始まり、日本の知的世界の牽引者となった。この年数はウィキペディアで見たが、そこには従業員数も出ていて、200名とある。他の会社を見てみたら、講談社は920名、小学館は692名、集英社は760名とあった。新潮社や文藝春秋は300人台で、岩波はずいぶん少ないんだなと思った。

 一番知られた国語辞書の『広辞苑』や児童書(リンドグレーンの本やエンデの『モモ』など)もあるから、何か岩波の本を持ってる人は多いだろう。でも、日々減り続ける町の本屋では、岩波新書や岩波文庫をあまり見ない。岩波書店の本は「買い取り制」だからである。多くの出版社の本は取次会社を通した「委託・返品」で、基本的には本屋は展示場と同じである。町の小書店では売れない場合に返品できない岩波の本を扱わない(扱えない)ところが多い。僕は時々大型書店に寄って、各文庫、新書をチェックしているが、そうでもしないと岩波新書新刊を見ないで終わってしまう。(実際に手に取らずにネットで買うことは原則としてしない。)
(岩波書店)
 さて、先の芳岡美春という女性は、何故かその後岩波書店に何回か通って「研修」することになる。なんだかこの辺の成り行きが今ひとつ判らなかったのだが、最後になってやはり事情があったと判明する。その「研修」には上司の国友、先輩である直島尚美(「皇室ファン」を自認し、折々暴走するこの人物が絶品で爆笑)が同行するときもある。岩波書店では専務や「卓越編集者」、「組合のエース」らと会ってゆくのだが、そこで見たのはイマドキ珍しい労使関係だった。毎月「経営協議会」が開かれ、経営方針や人事を組合側に報告して同意を得るのである。

 再び帯を引用すると「吉野源三郎の志を受け継ぎ、理想職場をめざした人々の葛藤と」である。「平等」をめざし、学歴などにとらわれない賃金体系を取ることで、労働時間や各職場の特性を考慮しない弊害も生む。良書を作ろうと深夜まで働いても残業代が出なかった。しかし、それをきちんとするために労働時間の縛りがきつくなることを嫌がって改革が遅れたという。これは学校の働き方の弊害の議論と共通性がある。出版不況の中で、90年代には年間700点も刊行されたため、労働時間の超過が激しくなった。今は残業代も支払われるようになったが、反面で勤務時間の管理も厳しくなったという。

 学校でももともと「教員の人材確保法」だったはずの「給特法」が、「定額働かせ放題」と言われるようになった。昔は行事や生徒指導で遅くまで残ったとしても、その代わり勤務時間の縛りも緩かった。部活動は大変には違いないが、若い教員が毎年のように新規採用されていたので、何とか回っていたのである。教員労働のあり方が変えられてしまうと同時に、新採教員が少なくなり現場の負担が増大してしまう。岩波の話なんだけど、結局自分は学校の問題としてしか語れないなあと思った。
(中野慶氏)
 「理想の職場」の戦後史とともに、登場人物のあれこれがユーモラスに語られる。国友の自宅を訪れて魚料理をする場面など実に美味そう。そこをもっと大きく取り上げた本も期待したいところ。この本でも女性二人の造形が見事で、面白く読むことが出来る。しかし、ベースは岩波書店を通した「戦後の理想の変遷(崩壊?)過程の考察」だろう。実に多くの人名が登場し、若い人には何の感慨も生まない名前もあるだろう。(戸村一作はその一例。)その知の饗宴のごとき人名の中に、自分のこだわりと関わる人が出て来るかで、この本の印象も変わると思う。僕は128頁で斎藤茂男氏に触れられ、次の頁に本田路津子一人の手」が出て来たところで、いろいろと思い出してしまった。

 最近本田路津子(読み方が判らない人がいると思うけど、「るつこ」である)の「秋でもないのに」を急に口ずさんでいた。連休後に暑くなったり寒くなったり…。秋でもないのに寂しいのは今頃かとハタと気付いたのである。斎藤茂男さんは共同通信の記者として50年代の冤罪「菅生事件」の真犯人(共産党員が起こしたとされた爆弾事件の犯人は実は警察官だった!)を見つけた人だが、後に多くの労働現場のルポを書いた。他にも様々な分野に関心を持っていた人なので、1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」というのを開いた時に、僕が連絡してシンポジウムのメンバーとして出て貰った。

 そういうことを熟々(つらつら)思い出して読んだのだが、前に書いたことがあるが僕の高校時代の卒業記念品は「岩波新書の一冊」だった。担任団の教員が一冊ずつ選び、生徒会が早乙女勝元東京第空襲」を加えて、9冊の中から一つ選ぶ。岩波新書が「知の標準」としてまだ生きていたのである。その後、70年代後半には「韓国からの通信」を読むために岩波の雑誌「世界」を毎号買っていた時代がある。見田宗介さんの本もずいぶん岩波で読んだ(『宮沢賢治』『時間の比較社会学』などの他、著作集が岩波)。

 「岩波教養主義」と批判的に呼ばれたものを語りたい気もあるが、今はいいだろう。僕は岩波書店の本をずいぶん読んできたが、その会社の内実など何も知らないし、気にしたこともなかった。「ユーモア小説」と言うんだから、気楽に読めばいいとも思うけど、そう気楽にもなれないのがやはり「岩波」という感じがする。そう思う人には面白いと思うから一読をお勧め。なお、著者は岩波書店に1987年から2014年まで勤務した。自分の会社を書けるのはいろんな意味で凄いというか素晴らしい。僕は学校を舞台に小説は書けない。面白いエピソードは山のようにあるけど、墓の中まで持っていく「守秘義務」になるだろうな。
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