尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『ウッツ男爵』、コレクターの人生ーブルース・チャトウィンを読む②

2022年06月14日 22時30分35秒 | 〃 (外国文学)
 ブルース・チャトウィンのデビュー作にして代表作『パタゴニア』(1977)の次に読むべき本は何か。まあ本当は出た順番に読むべきなんだろうけど、入手しやすいのは『ウッツ男爵 ある蒐集家の物語』(1988)だ。池内紀訳で白水Uブックスに入っている。解説まで入れて220頁ほどで、訳文も読みやすい。他の本は長いようなので、これが一番読みやすいと思う。チャトウィンは1989年1月に49歳で亡くなった。死因はエイズとされる。そのため『ウッツ男爵』は生前に発表された最後の本になった。

 『パタゴニア』の解説を池澤夏樹が書いているのだが、これが実に面白い。チャトウィンという人は、作品以上に本人の人生の方が面白かったような人らしい。18歳で競売会社サザビーズの美術部門に勤めるようになったが、その時は単なる運搬係である。しかし、仕事しているうちに美的感覚があることが知られるようになった。真贋を見極める能力があったのである。埋もれていたゴーギャンの本物を見つけたこともあった。若くして印象派の専門家になったのだが、6年勤めたところで目に異常を覚えて、しばらく仕事を離れたほいうが良いと言われて、チャトウィンはアフリカに赴いた。まだ24歳だった。

 『ウッツ男爵』はそんな経験が反映しているような作品である。1994年に『マイセン幻影』(ジョルジュ・シュルイツァー監督)という映画になっている。日本でも公開されたが、見ていない。英語の小説なのにドイツ文学者の池内紀が訳しているのは、これがプラハの物語だからだろう。「私」はイギリス人だが、主人公のウッツはチェコに住んでいる。父は第一次大戦で戦死し、母方のユダヤ人の祖母から財産を受け継いだ。そして若き日にマイセン磁器に魅せられて一生を収集に費やした。
(マイセン磁器)
 冒頭はまずウッツの葬式である。1974年3月7日のことだった。最初に主人公が死んでしまい、葬儀も非常に寂しい。社会主義政権は教会での伝統的儀式は朝8時半までに終わるように定めていた。そして「私」がウッツを訪ねた1967年に舞台が変わる。この年は「プラハの春」とワルシャワ条約軍による侵攻の前年のことだった。ウッツは政治的には「中立」だが、騒乱は歓迎した。世に隠れていた美術品が市場に現れるからである。「戦争、大弾圧、革命、この三つだね」が口癖だった。チェコはナチスドイツに占領され、戦後はソ連圏に組み込まれた。その時代をいかに生き延びていったか。
 (映画『マイセン幻影』)
 祖母も母も亡くなって、遺産を自由に収集に使えるようになった時、ナチスがやってくる。ウッツは時勢を予測して、収集品は田舎の実家に移して守ったが、ナチスに協力したとも言われた。イギリスの服を着続け、祖母がユダヤ人だったウッツはいかにナチスを生き延びたか。父が戦死したドイツ軍人だったことを強調したのである。そして美術品がどこにあるかの情報をナチスに渡していた。しかし、そのことでユダヤ人の友人を救ったのである。ナチスの敗北を見越して収集品を守ったウッツだったが、戦後にやって来た共産党政権はずっと手強かった。芸術は全人民のものであり、個人的に所蔵するべきものではないとしたからだ。

 50年代初頭、ついにウッツはチェコを捨てる覚悟を決めた。うつ病という診断書を書いてもらい、フランスのヴィシーでの療養を要すとされたのである。チェコにはマリエンバート(マリアーンスケー・ラーズニェ)やカルルスバート(カルロヴィ・ヴァリ)のような有名な温泉地がある。果たして出国を認められるか。それが不思議なことにヴィシーは特別らしかった。財産は秘密にスイスの銀行に預けてあるから、外国でも暮らせる。チェホフの「犬を連れた奥さん」のような展開を夢見たのだが…。ところが住んでみた「西側」に幻滅して、ウッツは当局も思ってなかった帰国に踏み切るのである。

 ウッツと友人の学者オルリーク、ウッツ家に仕えるマルタしか出てこないような小説である。不可思議な謎が多い。もともと狷介なところがあったウッツは、戦後のチェコの中で鬱屈して生きる。現代の大収集家を通して、時代を考える。一体コレクターとは何なのだろう。僕には人生を賭けたコレクション趣味はなく、よく判らないとしか言えない。そして、死後にその収集品はどこに行ったか。生前には死後には国家に寄贈するということで、私有を許されていた。「私」は死後に再びプラハを訪ねて探し回ったが見つからない。ウッツの人生には多くの謎があり、最後まで謎の人生を送ったのである。この本は1988年に出され、チャトウィンは89年1月18日に死んだ。だからもう少し生きていたら見られた「ベルリンの壁崩壊」「チェコのビロード革命」を知らずに死んだ。
(マイセン市)
 マイセンはドイツの東部、ドレスデン近郊にある小さな町である。中国や日本から輸入するしかなかった磁器をヨーロッパで初めて作った。昔のザクセン王国の国王がのめり込んで国家財政を破綻させた。そこで錬金術師を呼びつけて、初めは金を作ろうとするが、うまく行かないから今度は磁器の製作を求めた。そして1709年に白磁の製造に成功した、なんて歴史も初めて知った。その錬金術師ベドガーは王に幽閉されて研究を強制され、磁器の成功後には染付の複製を求められた。成功しないまま幽閉された状態で死んだという。37歳だった。ひどい話である。コレクターという人生には苦労が多い。
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