通常国会も会期末が近づき、もうすぐ参議院選挙である。しばらく政治の話題も書いてないが、内閣も提出法案を絞り「対決法案」はほとんどない。「子ども庁は要らない」ということを以前書いたけれど、「子ども」どころか「家庭」が加わって「子ども家庭庁」なんてものが出来そうである。行革などと言ってる割に、「デジタル庁」とか新しい組織を作って「やってる感」を出すのが好きなのは困る。今の日本では、ウクライナ戦争、円安が続く中、燃料や食品の値上げが相次いでいる。それにどう対処するべきか、本格的な政策論議を期待したいところだが、なんだか「やむを得ない」みたいなムードで選挙に突入しそうだ。
会期末になって、立憲民主党が内閣不信任案を提出した。同時に細田衆議院議長の不信任案も提出して、どちらも簡単に否決されて終わった。細田議長は選挙区割りの問題で法律を逸脱する発言をしたりしていたが、その後「週刊文春」に「セクハラ疑惑」が報道された。それに対しては会期終了後の「法的措置」を取るなどと言ってるが、国会での説明を拒否している。週刊誌報道で不信任はどうかという意見もあるが、どうにも不誠実な感じはしてしまう。ここでは内閣不信任案の話を中心に書くので、議長の問題はこれ以上書かないが、なんだか不可解なままである。
(内閣不信任案を否決)
内閣不信任案はあっという間に否決されてしまった。賛成106、反対346だった。細田議長の不信任案に対しては、賛成105、反対288だったので、賛成票(立民、共産、社民)はほぼ同数だが、反対票に大きな違いがある。これは日本維新の会、国民民主党が「棄権」したことによる。セクハラ問題を抱えた議長の不信任案には反対しづらいということだろう。それに対し、この両党は内閣不信任案にはっきりと「反対票」を投じたのである。(「れいわ新選組」は両案に棄権。)
(不信任案に対する各党の対応)
ここで考えてみたいのは、会期末に提出される「内閣不信任案」は「茶番」なのかということである。この言葉を使って立憲民主党を批判しているのは、「れいわ新選組」の高井崇志幹事長である。維新、国民の2党も似たようなことを言っている。各党の批判を見る前に、そもそも「茶番」とは何だろうか。僕もちゃんと知らなかったので、まずそっちを調べてみた。
そうしたら、「茶番」とは「お茶くみ当番」のことだと出ていて驚いた。Web版の「実用日本語表現辞典」には「かつての芝居小屋では、下働きの役者見習いが茶番をしたが、その茶番らが暇を見つけて余興演芸に興じるようになり、その即興の芝居を茶番というようになった。これが転じて「見え透いた下手くそな」「ばかばかしい」行動を指すことになった」と出ていた。いや、知らなかったな。「結果が決まってるようなバカバカしいこと」を茶番劇というのは知ってても語源は知らない人が多いと思う。
さて各党の対応だが、問題の3党だけを紹介したい。典拠はNHKニュースのウェブサイト。まず日本維新の会の馬場共同代表。「国会の会期末が来れば内閣不信任案を出すということが続いていて、提出した立憲民主党はもっともらしいことを言っているが、そこに本当に緊張感があるのか。今後は政策や法案の議論を積み重ねるなど、国家国民のためになる政治に時間を使うべきで、猛省を促したい。」国民民主党の玉木代表は「国内が非常に厳しい状況にある中で、政治空白を作ることは国民のためにならないということで反対した。立憲民主党の会派だけの提出になったのは、野党の中でも思いが一致していなかったということだろう。」
れいわ新選組の高井幹事長は「野党第一党がこの国会、本気で戦ってきたのか、不信任案提出に値するのかということは厳しく問いたい。参議院選挙前に、やっている感を出すためだけの茶番に付き合うことはできず、棄権した。」維新の会もそうだけど、れいわ新選組も高井幹事長が岸田内閣を批判している。「国民生活を苦しめ、25年にわたるデフレが続き、コロナ大不況の中で、国民生活を全く顧みていない今の政権を、断じて続けさせるわけにはいかない。岸田内閣も細田議長も信任には値しない。」だったら常識的に考えて、不信任案に賛成するはずだと思うけど。
内閣不信任案は与党が分裂しない限り、否決されるに決まっている。では内閣不信任案を出すのは「茶番」なのだろうか。実は国民民主党、れいわ新選組を含む野党5党は、8日に選択的夫婦別姓を導入する民法改正案などジェンダー関連3法(他は「性的少数者の差別を禁じる法案」「性暴力被害者支援法案」)を衆議院に提出している。もちろん会期末に議員立法を提出しても、成立の見通しは全くない。それどころか審議さえ行われず廃案になるだろう。そういう法案を何故出すのか。こっちは「茶番」ではないのか。僕はこの法案が成立しないとしても、国会に提出する意味はあると思っている。(過去の国会でも出して来ている。)参院選を前にして、自らの政策を有権者に示すのは投票先を決める時に役立つからだ。
そもそも「茶番」というなら、野党が国会審議に参加しても、結局は与党が多数で決定してしまう。結果が決まってるから「茶番」だというなら、野党の自己否定にならないか。選挙で自民党が圧倒的に強い選挙区では、野党支持者や無党派は選挙に行かなくても良いのか。落ちる確率が高い大学を受験してはいけないのか。レギュラーになれそうもない技量の持ち主は強い部活に入部してはいけないのか。なんて、話がどんどん広がっていく。大体、人間は全員死んでしまうわけだから、じゃあ頑張って生きる意味はあるのかということにもなってしまう。
国民民主党に関しては、補正予算どころか、本予算にも賛成した。従って、当然の成り行きで不信任案にも反対したというべきだろう。「気分はもう与党」である。昔存在した「自公民」(自民・公明・民社)の枠組に戻っていると言うべきだ。だからダメというのではなく、良いか悪いかはそれぞれ有権者の判断である。不信任案を提出したことで、その事がはっきりしたわけで、有権者に判断の材料が与えられたというべきだ。「日本維新の会」はあれこれ言ってるけど、もともと「準与党」なんだから、いざという時に自民党に肩入れするのが役割の「体制内野党」だと考えている。中国やロシアに存在するような政党のあり方である。
訳が判らないのは「れいわ新選組」。立憲民主党を批判するのは良い。僕も今国会での立憲民主党のあり方にはどうかと思う点が多い。しかし、内閣不信任案というのは、立憲民主党に対する不信任案ではない。岸田内閣を良いとするなら「反対」、岸田内閣を代えるべきと思うなら「賛成」すべきものだ。野党は小なりと言えど、いつかは自民党に代わって政権を担いたいと思って参院選に臨むのなら、当然「不信任案」に賛成するべきだろう。「れいわ新選組」はロシア非難決議案にも棄権している。独自の主張をするのはいいけれど、「賛成」か「反対」か国民に二択が迫られたときに、答えを示さない政党ではおかしい。
会期末になって、立憲民主党が内閣不信任案を提出した。同時に細田衆議院議長の不信任案も提出して、どちらも簡単に否決されて終わった。細田議長は選挙区割りの問題で法律を逸脱する発言をしたりしていたが、その後「週刊文春」に「セクハラ疑惑」が報道された。それに対しては会期終了後の「法的措置」を取るなどと言ってるが、国会での説明を拒否している。週刊誌報道で不信任はどうかという意見もあるが、どうにも不誠実な感じはしてしまう。ここでは内閣不信任案の話を中心に書くので、議長の問題はこれ以上書かないが、なんだか不可解なままである。

内閣不信任案はあっという間に否決されてしまった。賛成106、反対346だった。細田議長の不信任案に対しては、賛成105、反対288だったので、賛成票(立民、共産、社民)はほぼ同数だが、反対票に大きな違いがある。これは日本維新の会、国民民主党が「棄権」したことによる。セクハラ問題を抱えた議長の不信任案には反対しづらいということだろう。それに対し、この両党は内閣不信任案にはっきりと「反対票」を投じたのである。(「れいわ新選組」は両案に棄権。)

ここで考えてみたいのは、会期末に提出される「内閣不信任案」は「茶番」なのかということである。この言葉を使って立憲民主党を批判しているのは、「れいわ新選組」の高井崇志幹事長である。維新、国民の2党も似たようなことを言っている。各党の批判を見る前に、そもそも「茶番」とは何だろうか。僕もちゃんと知らなかったので、まずそっちを調べてみた。
そうしたら、「茶番」とは「お茶くみ当番」のことだと出ていて驚いた。Web版の「実用日本語表現辞典」には「かつての芝居小屋では、下働きの役者見習いが茶番をしたが、その茶番らが暇を見つけて余興演芸に興じるようになり、その即興の芝居を茶番というようになった。これが転じて「見え透いた下手くそな」「ばかばかしい」行動を指すことになった」と出ていた。いや、知らなかったな。「結果が決まってるようなバカバカしいこと」を茶番劇というのは知ってても語源は知らない人が多いと思う。
さて各党の対応だが、問題の3党だけを紹介したい。典拠はNHKニュースのウェブサイト。まず日本維新の会の馬場共同代表。「国会の会期末が来れば内閣不信任案を出すということが続いていて、提出した立憲民主党はもっともらしいことを言っているが、そこに本当に緊張感があるのか。今後は政策や法案の議論を積み重ねるなど、国家国民のためになる政治に時間を使うべきで、猛省を促したい。」国民民主党の玉木代表は「国内が非常に厳しい状況にある中で、政治空白を作ることは国民のためにならないということで反対した。立憲民主党の会派だけの提出になったのは、野党の中でも思いが一致していなかったということだろう。」
れいわ新選組の高井幹事長は「野党第一党がこの国会、本気で戦ってきたのか、不信任案提出に値するのかということは厳しく問いたい。参議院選挙前に、やっている感を出すためだけの茶番に付き合うことはできず、棄権した。」維新の会もそうだけど、れいわ新選組も高井幹事長が岸田内閣を批判している。「国民生活を苦しめ、25年にわたるデフレが続き、コロナ大不況の中で、国民生活を全く顧みていない今の政権を、断じて続けさせるわけにはいかない。岸田内閣も細田議長も信任には値しない。」だったら常識的に考えて、不信任案に賛成するはずだと思うけど。
内閣不信任案は与党が分裂しない限り、否決されるに決まっている。では内閣不信任案を出すのは「茶番」なのだろうか。実は国民民主党、れいわ新選組を含む野党5党は、8日に選択的夫婦別姓を導入する民法改正案などジェンダー関連3法(他は「性的少数者の差別を禁じる法案」「性暴力被害者支援法案」)を衆議院に提出している。もちろん会期末に議員立法を提出しても、成立の見通しは全くない。それどころか審議さえ行われず廃案になるだろう。そういう法案を何故出すのか。こっちは「茶番」ではないのか。僕はこの法案が成立しないとしても、国会に提出する意味はあると思っている。(過去の国会でも出して来ている。)参院選を前にして、自らの政策を有権者に示すのは投票先を決める時に役立つからだ。
そもそも「茶番」というなら、野党が国会審議に参加しても、結局は与党が多数で決定してしまう。結果が決まってるから「茶番」だというなら、野党の自己否定にならないか。選挙で自民党が圧倒的に強い選挙区では、野党支持者や無党派は選挙に行かなくても良いのか。落ちる確率が高い大学を受験してはいけないのか。レギュラーになれそうもない技量の持ち主は強い部活に入部してはいけないのか。なんて、話がどんどん広がっていく。大体、人間は全員死んでしまうわけだから、じゃあ頑張って生きる意味はあるのかということにもなってしまう。
国民民主党に関しては、補正予算どころか、本予算にも賛成した。従って、当然の成り行きで不信任案にも反対したというべきだろう。「気分はもう与党」である。昔存在した「自公民」(自民・公明・民社)の枠組に戻っていると言うべきだ。だからダメというのではなく、良いか悪いかはそれぞれ有権者の判断である。不信任案を提出したことで、その事がはっきりしたわけで、有権者に判断の材料が与えられたというべきだ。「日本維新の会」はあれこれ言ってるけど、もともと「準与党」なんだから、いざという時に自民党に肩入れするのが役割の「体制内野党」だと考えている。中国やロシアに存在するような政党のあり方である。
訳が判らないのは「れいわ新選組」。立憲民主党を批判するのは良い。僕も今国会での立憲民主党のあり方にはどうかと思う点が多い。しかし、内閣不信任案というのは、立憲民主党に対する不信任案ではない。岸田内閣を良いとするなら「反対」、岸田内閣を代えるべきと思うなら「賛成」すべきものだ。野党は小なりと言えど、いつかは自民党に代わって政権を担いたいと思って参院選に臨むのなら、当然「不信任案」に賛成するべきだろう。「れいわ新選組」はロシア非難決議案にも棄権している。独自の主張をするのはいいけれど、「賛成」か「反対」か国民に二択が迫られたときに、答えを示さない政党ではおかしい。