記録映画『私のはなし 部落のはなし』を見に行った。東京で最初に上映されたユーロスペースは終わってしまい、キネカ大森まで見に行ったのだが、何しろ205分という長さが大変である。題材からしても、中途半端な描き方は出来ず、ある程度長くなるのもやむを得ないかと思うが、この長さ(途中休憩あり)は見る前に覚悟がいる。内容的に覚悟して見よということかもしれない。

監督の満若勇咲(みつわか・ゆうさく、1986~)は大阪芸大在学中に『にくのひと』(2007)という映画を作った人である。この映画内で触れられているが、牛が肉になる過程に関心を持って屠場を取材したのだという。その映画は評判を得て東京で劇場公開が予定されたが、部落解放同盟兵庫県連から批判を受けて、封印されたという。当時の関係者が出て来るが、ずいぶん公開の道を探ったものの了解に達しなかった。その後テレビドキュメンタリーの撮影をしていたというが、2019年にフリーになった。そして大島新がプロデューサーとなって、この映画を製作したというから、持続した志に深く感じるものがある。
(満若勇咲監督)
冒頭から何人もの人々が集まって、自分の人生、自分の思いを語り合う。その語りの魅力がこの映画だと思うが、そこが長いのも間違いない。「被差別部落」とは何なのか。解説の部分は黒川みどり氏(静岡大学教育学部教授)が担当して、歴史的な説明を行っている。ここで「部落差別」とは何か、あるいは「部落解放運動」をどう捉えるかなどを考え始めると、長くなってしまう。僕もそこまで深く関わったことはない。東京にも被差別部落はあるけれど、「同和教育」を実施したことはない。東日本では大体同じだろう。外国籍や障害の生徒に対するいじめ、からかいなど、身近にあって指導しなければならない課題は別なのである。
ここでビックリしたのは、鳥取の「示現舎」の宮部という人が出て来ることである。戦前に作られた「部落地名総鑑」をネット上に掲載し、公刊もしようとした人である。それに対し、刊行差し止め、ネットからの削除と損害賠償を求める裁判が起こされて、2021年秋に東京地裁で差し止め、削除を認める判決が出た。賠償をめぐって一部が認められず、双方が控訴している段階。常識的に考えて「どうかと思う」人物だが、さらにあちこちの被差別部落を回って、ネット上に写真を載せたりしているというから、僕には差別行為としか思えない。しかし、映画は彼の部落訪問に同行しカメラに収めている。どう考えればいいのだろうか。
本人は本人なりに一応配慮はしているとのことで、子どもの写真は撮らないなどと言っている。ネットに載せることについても、情報自体は中立的なものであって、差別に悪用する人が悪いという主張をしている。情報がなければ差別しようがないだろうに、わざわざ差別心がある人に対して「差別する道具」を与えていることをどう思っているのか。これはドナルド・トランプの銃規制反対論と同じ構造をしている。銃は悪くなくて、銃で犯罪を起こす人が悪いという発想である。しかし、悪用する人が必ず出て来ると判っていて、その準備をする行為は犯罪ではないのか。毒ガスのサリンを作った人は悪くなくて、撒いた人(撒くことを命じた人)だけが悪いのか。裁判ではそうではない判断が出ているではないか。
そのように思うけれど、実際に映画に出て来ているということは何なのだろう。他にも「差別心を持つ人」を取材して、重層的な取材になっているが、ある意味でそんな取材を受ける人がいるのも驚きである。相互に理解し合う場もなく、お互いに「恐怖」を持っているのがよく判る。歴史的には「同和」という言葉が行政用語として定着し、「同和対策事業」が進められたことの「功罪」が随所で出てくる。「同和」という言葉は「人心惟レ同シク民風惟レ和シ」という昭和天皇の即位時の詔勅から作られた言葉だという。昭和期になってからの、上からの「一視同仁」を表わす官製用語だったのである。
(映画「西九条」)
中で昔作られた映画が出て来る。60年代末、京都の朝鮮人集落だった地域を18歳の共産党員が撮影したんだという。完成したときは、党と解放同盟の関係が破綻していて、解同の宣伝映画と批判されて党を除名されたという。封印されていた8ミリ映画はもう見られなくなり掛かっていた。何とか専門業者に依頼して修復作業を行って、その一部が出て来る。それを見ると、わずか半世紀ほど前の日本にこれほどの貧困地区があったのかと驚く。映画などで見る発展途上国のスラムという感じである。このような貧困がまだまだ残されていた時代には、国による対策事業は必要だっただろう。
長くて見るのも大変だけど、社会問題に関心がある人だけしか見ないのはもったいない。こういうテーマだと、いわば「社会科教員」向けとなるが、記録映画としての出来映えからしても、是非多くの人が接する機会があれば良いと思う。だけど、まあいくら見ても「差別の本質」は何だか判らない。この「何だか判らない」空気のようなものに動かされることが、日本社会という気がする。

監督の満若勇咲(みつわか・ゆうさく、1986~)は大阪芸大在学中に『にくのひと』(2007)という映画を作った人である。この映画内で触れられているが、牛が肉になる過程に関心を持って屠場を取材したのだという。その映画は評判を得て東京で劇場公開が予定されたが、部落解放同盟兵庫県連から批判を受けて、封印されたという。当時の関係者が出て来るが、ずいぶん公開の道を探ったものの了解に達しなかった。その後テレビドキュメンタリーの撮影をしていたというが、2019年にフリーになった。そして大島新がプロデューサーとなって、この映画を製作したというから、持続した志に深く感じるものがある。

冒頭から何人もの人々が集まって、自分の人生、自分の思いを語り合う。その語りの魅力がこの映画だと思うが、そこが長いのも間違いない。「被差別部落」とは何なのか。解説の部分は黒川みどり氏(静岡大学教育学部教授)が担当して、歴史的な説明を行っている。ここで「部落差別」とは何か、あるいは「部落解放運動」をどう捉えるかなどを考え始めると、長くなってしまう。僕もそこまで深く関わったことはない。東京にも被差別部落はあるけれど、「同和教育」を実施したことはない。東日本では大体同じだろう。外国籍や障害の生徒に対するいじめ、からかいなど、身近にあって指導しなければならない課題は別なのである。
ここでビックリしたのは、鳥取の「示現舎」の宮部という人が出て来ることである。戦前に作られた「部落地名総鑑」をネット上に掲載し、公刊もしようとした人である。それに対し、刊行差し止め、ネットからの削除と損害賠償を求める裁判が起こされて、2021年秋に東京地裁で差し止め、削除を認める判決が出た。賠償をめぐって一部が認められず、双方が控訴している段階。常識的に考えて「どうかと思う」人物だが、さらにあちこちの被差別部落を回って、ネット上に写真を載せたりしているというから、僕には差別行為としか思えない。しかし、映画は彼の部落訪問に同行しカメラに収めている。どう考えればいいのだろうか。
本人は本人なりに一応配慮はしているとのことで、子どもの写真は撮らないなどと言っている。ネットに載せることについても、情報自体は中立的なものであって、差別に悪用する人が悪いという主張をしている。情報がなければ差別しようがないだろうに、わざわざ差別心がある人に対して「差別する道具」を与えていることをどう思っているのか。これはドナルド・トランプの銃規制反対論と同じ構造をしている。銃は悪くなくて、銃で犯罪を起こす人が悪いという発想である。しかし、悪用する人が必ず出て来ると判っていて、その準備をする行為は犯罪ではないのか。毒ガスのサリンを作った人は悪くなくて、撒いた人(撒くことを命じた人)だけが悪いのか。裁判ではそうではない判断が出ているではないか。
そのように思うけれど、実際に映画に出て来ているということは何なのだろう。他にも「差別心を持つ人」を取材して、重層的な取材になっているが、ある意味でそんな取材を受ける人がいるのも驚きである。相互に理解し合う場もなく、お互いに「恐怖」を持っているのがよく判る。歴史的には「同和」という言葉が行政用語として定着し、「同和対策事業」が進められたことの「功罪」が随所で出てくる。「同和」という言葉は「人心惟レ同シク民風惟レ和シ」という昭和天皇の即位時の詔勅から作られた言葉だという。昭和期になってからの、上からの「一視同仁」を表わす官製用語だったのである。

中で昔作られた映画が出て来る。60年代末、京都の朝鮮人集落だった地域を18歳の共産党員が撮影したんだという。完成したときは、党と解放同盟の関係が破綻していて、解同の宣伝映画と批判されて党を除名されたという。封印されていた8ミリ映画はもう見られなくなり掛かっていた。何とか専門業者に依頼して修復作業を行って、その一部が出て来る。それを見ると、わずか半世紀ほど前の日本にこれほどの貧困地区があったのかと驚く。映画などで見る発展途上国のスラムという感じである。このような貧困がまだまだ残されていた時代には、国による対策事業は必要だっただろう。
長くて見るのも大変だけど、社会問題に関心がある人だけしか見ないのはもったいない。こういうテーマだと、いわば「社会科教員」向けとなるが、記録映画としての出来映えからしても、是非多くの人が接する機会があれば良いと思う。だけど、まあいくら見ても「差別の本質」は何だか判らない。この「何だか判らない」空気のようなものに動かされることが、日本社会という気がする。