町田市から戻って、新宿の紀伊國屋サザンシアターで文学座公演『田園1968』(作・東憲司、演出・西川信廣)を見た。25日まで。時々お芝居を無性に見たくなるけれど、あまり遠くまで行きたくない。今回は1968年という時代設定に魅力を感じて、見ようかと思った。ただし、チラシにある「時は1968年(昭和43年)。ベトナム戦争の激化、キング牧師、ロバート・ケネディーの暗殺、フランス五月革命。日本でも学生運動が激しさを増し、世界全体が大きく揺れていた」というほど、時代性を強く描くわけではない。高度成長下の農村で生きるある家族の「ひと夏」をコミカルに描き出す佳作という感じである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/dd/a6f335a42c7e09ad2747af83d0670cbc_s.jpg)
内容に触れる前に、何と言っても祖母・梁瀬サワ役の新橋耐子(しんばし・たいこ、1944~)の元気さが素晴らしい。長男が農地を売ろうとしているのに対し、絶対に売らせないと頑張って農業を続ける。まあ、劇中では夏の終わりに亡くなってしまうが、ご本人はまだまだ元気なようだ。今まで文学座の芝居で、あるいは一番思い出にある『頭痛肩こり樋口一葉』などで、ずいぶん楽しませてもらったけれど、まだまだ活躍して欲しいなと思う。今度舞台女優を引退するという渡辺美佐子とは12歳の差があるんだから。
(祖母役の新橋耐子を中心に)
冒頭は浪人生の梁瀬文徳(やなせ・ふみのり=武田知久)の語りである。1968年、世界も日本の激動の中、浪人だから勉強しなくちゃいけないのに、町の映画館に入りびたっている。アメリカやフランスの映画を見まくって、自分でシナリオを書いたりしている。「浪人なのに映画ばかり見ていた」のは、この数年後の自分とそっくり。しかし、この時代の「数年」の違いは大きい。1968年の僕は中学1年生で、8月下旬に起きたソ連によるチェコスロヴァキア侵攻に大きな衝撃を受けていた。
出演者一同)
ある地方の農家梁瀬家も、今は父親の孝雄(加納朋之)は土建会社をやっている。会社が不調で農地を売って事業資金に回したいが、農地は売らせないと祖母のサワが頑張っている。長男の博徳(ひろのり=越塚学)は皆がうらやむ優等生だったが、小学6年生の時、台風の日に大けがをして片足が不自由になった。引け目を感じてしまって高校へも行かず、中卒で印刷会社に勤めたが、今辞めてしまったところ。祖母を助けて農業をやろうというのである。長女の睦美(磯田美絵)は東京の大学に行かせてもらったが、学生運動に夢中になって、今はワケありで故郷に戻っている。母はすでに亡くなり、梁瀬家5人のひと夏が始まる。
(祖母と孫睦美)
そこに様々な闖入者が現れる。祖父がかつてやっていた農民学校を再建したい長男博徳。そこに近所の団地に住む女性が協力者として現れる。突然大学から消えた睦美には、片思いの男が突然押しかけてくる。映画館の娘はかつて長男に憧れていたらしい。次男の文徳とは映画館で親しくなって、シナリオを読んであげる。そんな中で一家にカタストロフィが起きるのは、再び台風が農園を襲った後だった。祖母+長男の「農業やりたい連合」対父親の「早く農地を売りたい」対立がドラマの争点だった。それが農地が大きな被害を受けてしまうことによって、家庭内の関係が一挙に変転する。そこに長男と近所の女性との関係。そして女性の夫(高橋克明)が乱暴者として登場して、場をさらってしまう。
(東憲司)
西川信廣の演出は、登場人物をコミカルに描きわけていく。しかし、東憲司の台本は、いくつかの要素が詰め込まれて整理されていない感じもした。映画好きの次男の目から見た「1968年の夏」。田園が無くなっていく高度成長下という時代背景。幾つものすれ違いの恋愛関係。それらは見慣れた光景だが、切実に思い出すものがある。一応満足感があったけれど、もう一つ深い感動が欲しかった気もする。各人物はよく描きわけられていて、僕は皆がどこかで会った気がしてならなかった。演劇や映画で俳優を見たのではなく、自分の実人生のどこかで出会ったような気がする人が多かった。
自分は東京生まれ、東京育ちだが、それは地名が東京都に入っているだけのことである。東京と言っても周辺部の農村地帯だったから、小学生時代は田んぼのあぜ道を通って登校したのである。だから、あちこちに空き地や雑木林があって、秘密基地というか、どこにカブトムシがいるとかを知っていたものだ。それが東京五輪からの数年間で、ほぼ消えてしまった。前にあったはずの林がいつの間にか無くなっていた。それが僕にとっての「高度成長」という時代だった。この劇は「田園1968」と題されているが、ラストで農地は売られる。あっという間に「都市近郊」の日本中同じような風景が広がる分岐点だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/dd/a6f335a42c7e09ad2747af83d0670cbc_s.jpg)
内容に触れる前に、何と言っても祖母・梁瀬サワ役の新橋耐子(しんばし・たいこ、1944~)の元気さが素晴らしい。長男が農地を売ろうとしているのに対し、絶対に売らせないと頑張って農業を続ける。まあ、劇中では夏の終わりに亡くなってしまうが、ご本人はまだまだ元気なようだ。今まで文学座の芝居で、あるいは一番思い出にある『頭痛肩こり樋口一葉』などで、ずいぶん楽しませてもらったけれど、まだまだ活躍して欲しいなと思う。今度舞台女優を引退するという渡辺美佐子とは12歳の差があるんだから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/7c/a10ba4bcfd9003c9d22c9525bf554abd_s.jpg)
冒頭は浪人生の梁瀬文徳(やなせ・ふみのり=武田知久)の語りである。1968年、世界も日本の激動の中、浪人だから勉強しなくちゃいけないのに、町の映画館に入りびたっている。アメリカやフランスの映画を見まくって、自分でシナリオを書いたりしている。「浪人なのに映画ばかり見ていた」のは、この数年後の自分とそっくり。しかし、この時代の「数年」の違いは大きい。1968年の僕は中学1年生で、8月下旬に起きたソ連によるチェコスロヴァキア侵攻に大きな衝撃を受けていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/02/ad/7ffbc8842edba8740b92e0fdf04ff5e9_s.jpg)
ある地方の農家梁瀬家も、今は父親の孝雄(加納朋之)は土建会社をやっている。会社が不調で農地を売って事業資金に回したいが、農地は売らせないと祖母のサワが頑張っている。長男の博徳(ひろのり=越塚学)は皆がうらやむ優等生だったが、小学6年生の時、台風の日に大けがをして片足が不自由になった。引け目を感じてしまって高校へも行かず、中卒で印刷会社に勤めたが、今辞めてしまったところ。祖母を助けて農業をやろうというのである。長女の睦美(磯田美絵)は東京の大学に行かせてもらったが、学生運動に夢中になって、今はワケありで故郷に戻っている。母はすでに亡くなり、梁瀬家5人のひと夏が始まる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/33/429c7ba6867dd621bbbaac172b48be13_s.jpg)
そこに様々な闖入者が現れる。祖父がかつてやっていた農民学校を再建したい長男博徳。そこに近所の団地に住む女性が協力者として現れる。突然大学から消えた睦美には、片思いの男が突然押しかけてくる。映画館の娘はかつて長男に憧れていたらしい。次男の文徳とは映画館で親しくなって、シナリオを読んであげる。そんな中で一家にカタストロフィが起きるのは、再び台風が農園を襲った後だった。祖母+長男の「農業やりたい連合」対父親の「早く農地を売りたい」対立がドラマの争点だった。それが農地が大きな被害を受けてしまうことによって、家庭内の関係が一挙に変転する。そこに長男と近所の女性との関係。そして女性の夫(高橋克明)が乱暴者として登場して、場をさらってしまう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/18/4a/019fb03cf6f5731808bb8fac896babda_s.jpg)
西川信廣の演出は、登場人物をコミカルに描きわけていく。しかし、東憲司の台本は、いくつかの要素が詰め込まれて整理されていない感じもした。映画好きの次男の目から見た「1968年の夏」。田園が無くなっていく高度成長下という時代背景。幾つものすれ違いの恋愛関係。それらは見慣れた光景だが、切実に思い出すものがある。一応満足感があったけれど、もう一つ深い感動が欲しかった気もする。各人物はよく描きわけられていて、僕は皆がどこかで会った気がしてならなかった。演劇や映画で俳優を見たのではなく、自分の実人生のどこかで出会ったような気がする人が多かった。
自分は東京生まれ、東京育ちだが、それは地名が東京都に入っているだけのことである。東京と言っても周辺部の農村地帯だったから、小学生時代は田んぼのあぜ道を通って登校したのである。だから、あちこちに空き地や雑木林があって、秘密基地というか、どこにカブトムシがいるとかを知っていたものだ。それが東京五輪からの数年間で、ほぼ消えてしまった。前にあったはずの林がいつの間にか無くなっていた。それが僕にとっての「高度成長」という時代だった。この劇は「田園1968」と題されているが、ラストで農地は売られる。あっという間に「都市近郊」の日本中同じような風景が広がる分岐点だった。