いつまで書いてもネタは尽きないが、そろそろ幕末維新の話を終わりにしたい。読んでいて思うのは、この時期が日本史上最大の変革期だということだ。ペリーが来てから15年で明治になる。その激動は他の時期には見られないほど激しい。実に多くの興味深い人物が登場する。だけど、この時期の一番重要な問題は、日本にはもっと別の近代社会がありえたのかだろう。
2019年1月7日、このブログを書いている日は、昭和天皇の死去からちょうど30年目だ。そして30年たって再び天皇が交代する。そのこともあって、新年冒頭から皇室ニュースがあふれている。現在の皇室成員はなぜか秋から冬の生まれの人が多いので、2018年秋から事ごとに誕生日の発言が注目された。2019年は天皇制度をどう考えるか、多くの議論があるだろう。そもそもどのように近代天皇制が創出されたのかをしっかりと理解しておく必要がある。
この本を読むと、幕末に幕府に対する信頼感がガタガタと崩れてゆく様がよく判る。ある時点まで誰も疑わなかった幕府政治を、幕末に至って皆が見放す。政治史だけ見ていては判らない豪農商などの史料を読むと、幕府への信頼が地に落ちたと判る。「幕府」とは「将軍のいる場所」という意味で、もともと戦時指揮官のテントのことだ。将軍は正式には「征夷大将軍」、つまり外国勢力を打ち払う軍事指揮官の意味である。まさに外国勢力が日本にやってきたとき、戦っても勝てないから条約を結びますと言っては存在価値がなくなる運命だった。
幕府に代わるものは、「朝廷を中心にした政治体制」しかない。この段階で選挙をやろうとか、共和国にしろとか、そんな主張をしている勢力はどこにもないんだから当然だ。幼少の明治天皇が自分で政治をするわけにはいかない。「朝廷」という場に、国内の有力者を集めて決定をしていく方法しかない。その時、平和的に有力者が参集するとなったら、将軍ではなくなっても日本最大の大名である(最大の領地を持つ)徳川家を外すことはできない。しかし徳川家を中心に各大名勢力が勢ぞろいしていたら、明治になっても「廃藩置県」はできなかったのではないか。
だからこそ、薩長を中心とする討幕勢力は、多くの人々の血の代償をもって独裁政権を作ったのである。しかしその新政権は多くの人々の期待を完全に裏切る。力がなくて裏切ったのではなく、確信的に裏切ってゆく。農民も旧武士も新政府に多くの不満があった。廃藩置県で殿様がいなくなったのに、なんで「年貢」を納める必要があるのか。しかも大事な働き手である男子を「徴兵」に取られるのか。当時の農民は全く判らなかっただろう。しかし、当時の日本には関税自主権がないわけだから、貿易で国庫を賄うわけにはいかないのである。
富国強兵、殖産興業を進めてゆくための原資は、農民から収奪するしかないのである。それを進めるには、一部の藩閥官僚による独裁以外にはない。それが明治初期に政権中枢にいた大久保利通の判断だっただろう。実際に後に選挙を行うようになると、「地租軽減」を掲げる「民党」が勝利する。選挙で生じた深刻な政争は、日清戦争による国内一致ムードまで続くのである。
(大久保利通)
旧武士たちも何で新政府が自分たちを切り捨てて外国と貿易を続けるか理解できなかった。朝廷や討幕派が掲げて来た「攘夷」を信じていたのである。「徴兵令」が敷かれ、旧武士たちは少額の債権を与えられてリストラされた。徴兵令じゃなくて、旧武士たちで日本軍を創成すれば、農民の不満も減るし、多くの士族反乱もなかったのではないか。しかし、その武士による軍隊では対外戦争を行えただろうか。出来なかったんじゃないだろうか。
当時最大最強の帝国はイギリスなんだから、イギリスにならった「立憲君主制」を取り入れてもいいはずである。でも(大久保暗殺後に政権を担う)伊藤博文は、ドイツ(プロイセン)にならった君主権の強い憲法を導入した。そういう選択肢になってゆくのは、要するに「対外戦争が日本には不可欠」だったからだ。もっと正確に言えば、当時の欧米社会の常識からすると、日本との条約改正に応じるためには「日本の国際的地位の向上」、つまりは日本が植民地を保有して「欧米に肩を並べる」必要があったのである。
大久保政権による「明治初頭の日清戦争危機」、今ではほとんど忘れられている事態がこの本で大きく取り上げられている。台湾出兵に伴う日清交渉の難航、大久保による北京での交渉、ほとんど決裂寸前で戦争も予測された中、最終盤で清国が折れてくる。この段階で日清間に戦争が起こっていたら、どうなっていただろうか。誰にも予測できない。しかし、はっきりしているのは、清に、朝鮮にと勢力を伸ばしてゆくこと。そのような軍事体制を支える装置としての近代天皇制。そして「内務省」を設置して国内を支配し、鉱工業を発展させるという意味でも、明治初期の大久保政権が「幕末維新変革」の行き着いたところだった。
2019年1月7日、このブログを書いている日は、昭和天皇の死去からちょうど30年目だ。そして30年たって再び天皇が交代する。そのこともあって、新年冒頭から皇室ニュースがあふれている。現在の皇室成員はなぜか秋から冬の生まれの人が多いので、2018年秋から事ごとに誕生日の発言が注目された。2019年は天皇制度をどう考えるか、多くの議論があるだろう。そもそもどのように近代天皇制が創出されたのかをしっかりと理解しておく必要がある。
この本を読むと、幕末に幕府に対する信頼感がガタガタと崩れてゆく様がよく判る。ある時点まで誰も疑わなかった幕府政治を、幕末に至って皆が見放す。政治史だけ見ていては判らない豪農商などの史料を読むと、幕府への信頼が地に落ちたと判る。「幕府」とは「将軍のいる場所」という意味で、もともと戦時指揮官のテントのことだ。将軍は正式には「征夷大将軍」、つまり外国勢力を打ち払う軍事指揮官の意味である。まさに外国勢力が日本にやってきたとき、戦っても勝てないから条約を結びますと言っては存在価値がなくなる運命だった。
幕府に代わるものは、「朝廷を中心にした政治体制」しかない。この段階で選挙をやろうとか、共和国にしろとか、そんな主張をしている勢力はどこにもないんだから当然だ。幼少の明治天皇が自分で政治をするわけにはいかない。「朝廷」という場に、国内の有力者を集めて決定をしていく方法しかない。その時、平和的に有力者が参集するとなったら、将軍ではなくなっても日本最大の大名である(最大の領地を持つ)徳川家を外すことはできない。しかし徳川家を中心に各大名勢力が勢ぞろいしていたら、明治になっても「廃藩置県」はできなかったのではないか。
だからこそ、薩長を中心とする討幕勢力は、多くの人々の血の代償をもって独裁政権を作ったのである。しかしその新政権は多くの人々の期待を完全に裏切る。力がなくて裏切ったのではなく、確信的に裏切ってゆく。農民も旧武士も新政府に多くの不満があった。廃藩置県で殿様がいなくなったのに、なんで「年貢」を納める必要があるのか。しかも大事な働き手である男子を「徴兵」に取られるのか。当時の農民は全く判らなかっただろう。しかし、当時の日本には関税自主権がないわけだから、貿易で国庫を賄うわけにはいかないのである。
富国強兵、殖産興業を進めてゆくための原資は、農民から収奪するしかないのである。それを進めるには、一部の藩閥官僚による独裁以外にはない。それが明治初期に政権中枢にいた大久保利通の判断だっただろう。実際に後に選挙を行うようになると、「地租軽減」を掲げる「民党」が勝利する。選挙で生じた深刻な政争は、日清戦争による国内一致ムードまで続くのである。
(大久保利通)
旧武士たちも何で新政府が自分たちを切り捨てて外国と貿易を続けるか理解できなかった。朝廷や討幕派が掲げて来た「攘夷」を信じていたのである。「徴兵令」が敷かれ、旧武士たちは少額の債権を与えられてリストラされた。徴兵令じゃなくて、旧武士たちで日本軍を創成すれば、農民の不満も減るし、多くの士族反乱もなかったのではないか。しかし、その武士による軍隊では対外戦争を行えただろうか。出来なかったんじゃないだろうか。
当時最大最強の帝国はイギリスなんだから、イギリスにならった「立憲君主制」を取り入れてもいいはずである。でも(大久保暗殺後に政権を担う)伊藤博文は、ドイツ(プロイセン)にならった君主権の強い憲法を導入した。そういう選択肢になってゆくのは、要するに「対外戦争が日本には不可欠」だったからだ。もっと正確に言えば、当時の欧米社会の常識からすると、日本との条約改正に応じるためには「日本の国際的地位の向上」、つまりは日本が植民地を保有して「欧米に肩を並べる」必要があったのである。
大久保政権による「明治初頭の日清戦争危機」、今ではほとんど忘れられている事態がこの本で大きく取り上げられている。台湾出兵に伴う日清交渉の難航、大久保による北京での交渉、ほとんど決裂寸前で戦争も予測された中、最終盤で清国が折れてくる。この段階で日清間に戦争が起こっていたら、どうなっていただろうか。誰にも予測できない。しかし、はっきりしているのは、清に、朝鮮にと勢力を伸ばしてゆくこと。そのような軍事体制を支える装置としての近代天皇制。そして「内務省」を設置して国内を支配し、鉱工業を発展させるという意味でも、明治初期の大久保政権が「幕末維新変革」の行き着いたところだった。
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