女優の津島恵子さんが、8月1日に死去。86歳。
自分でも「大女優ではない」「代表作がない」と川本三郎「君美わしく」で語っているけど、僕は戦後初期の日本映画の傑作に数々出演した津島恵子さんが昔から好きだった。松竹の清純派でデビューしたけど、マジメでしっかり者、顔だちも好きなタイプで、憧れる感じで見ていた。(ちなみに川本さんの本は、17人の女優にインタビューした本だが、今年だけで淡島千景、山田五十鈴、津島恵子と3人も亡くなっている。)
新聞の訃報では「ひめゆりの塔」の教師役、「七人の侍」の村娘役を取り上げている。言われてみれば、それも津島恵子の忘れがたい作品ではあるだろうけれど、それらの映画を思い浮かべるときに最初に津島恵子を思い出す人は少ないだろう。小津安二郎監督「お茶漬けの味」も妻小暮実千代の姪役で、主演ではない。主演ではない作品ばかりで語られてしまう人。僕が何の映画を見ていいなと思ったのかも、実はよく覚えていない。大佛次郎原作の「帰郷」(大庭秀雄監督)や田宮虎彦原作の「足摺岬」(吉村公三郎監督)などではないかと思う。
1926年生まれなので、10代がほぼ戦争にかぶさった世代。今は男子高校のみ残る自由ヶ丘学園(小学校と幼稚園が黒柳徹子が通ったトモエ学園となった)の卒業。ちなみにその学校があったため、自由ヶ丘という駅名になったという。そこでモダンダンスを学んだという。東京大空襲のあと飛騨高山に疎開していたが、戦後ダンスを見込まれて松竹大船撮影所に教えに行った。21歳の時で、そこで吉村監督にスカウトされ映画界入り。その後、いろいろ松竹を退社、頑張って他社作品にたくさん出て、戦後の名作を彩った。
去年見た内田吐夢監督「たそがれ酒場」では不思議な空間の酒場で踊るストリッパー役。ストリップと言っても、裸にはならないおとなしいストリップだが、踊りはたっぷり見られる。千葉泰樹監督「鬼火」という中編映画でも、病気の夫を抱える妻の悲しい愛情の行く末がよく描かれている。デビューした時に21歳だから、少しすると当時の感覚で言えば清純派から、妻や年上の女役が多くなってしまう。その結果、名作の助演がたくさん残ったけれど、確かに「代表作」というと難しいかもしれない。でも、戦後映画に忘れがたい気品をもたらした女優として忘れられない。その後、60年代からはテレビ作品のたくさん出て、元気な中年、老年女性を演じ続けた。
自分でも「大女優ではない」「代表作がない」と川本三郎「君美わしく」で語っているけど、僕は戦後初期の日本映画の傑作に数々出演した津島恵子さんが昔から好きだった。松竹の清純派でデビューしたけど、マジメでしっかり者、顔だちも好きなタイプで、憧れる感じで見ていた。(ちなみに川本さんの本は、17人の女優にインタビューした本だが、今年だけで淡島千景、山田五十鈴、津島恵子と3人も亡くなっている。)
新聞の訃報では「ひめゆりの塔」の教師役、「七人の侍」の村娘役を取り上げている。言われてみれば、それも津島恵子の忘れがたい作品ではあるだろうけれど、それらの映画を思い浮かべるときに最初に津島恵子を思い出す人は少ないだろう。小津安二郎監督「お茶漬けの味」も妻小暮実千代の姪役で、主演ではない。主演ではない作品ばかりで語られてしまう人。僕が何の映画を見ていいなと思ったのかも、実はよく覚えていない。大佛次郎原作の「帰郷」(大庭秀雄監督)や田宮虎彦原作の「足摺岬」(吉村公三郎監督)などではないかと思う。
1926年生まれなので、10代がほぼ戦争にかぶさった世代。今は男子高校のみ残る自由ヶ丘学園(小学校と幼稚園が黒柳徹子が通ったトモエ学園となった)の卒業。ちなみにその学校があったため、自由ヶ丘という駅名になったという。そこでモダンダンスを学んだという。東京大空襲のあと飛騨高山に疎開していたが、戦後ダンスを見込まれて松竹大船撮影所に教えに行った。21歳の時で、そこで吉村監督にスカウトされ映画界入り。その後、いろいろ松竹を退社、頑張って他社作品にたくさん出て、戦後の名作を彩った。
去年見た内田吐夢監督「たそがれ酒場」では不思議な空間の酒場で踊るストリッパー役。ストリップと言っても、裸にはならないおとなしいストリップだが、踊りはたっぷり見られる。千葉泰樹監督「鬼火」という中編映画でも、病気の夫を抱える妻の悲しい愛情の行く末がよく描かれている。デビューした時に21歳だから、少しすると当時の感覚で言えば清純派から、妻や年上の女役が多くなってしまう。その結果、名作の助演がたくさん残ったけれど、確かに「代表作」というと難しいかもしれない。でも、戦後映画に忘れがたい気品をもたらした女優として忘れられない。その後、60年代からはテレビ作品のたくさん出て、元気な中年、老年女性を演じ続けた。