ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

猫との散歩は不要不急の極み

2021年09月30日 09時41分31秒 | 犬猫
 以前は犬も飼っていた。犬も猫も世話が面倒臭いので飼うつもりは全く無かった。犬はというと、俺が川崎を引き払って山梨に戻った日に別荘の縁の下で鳴いてるのを見つけた。鳴いてたというより泣いてたんだろう。これも何かの縁かと飼うことにした。メメはというと、これも飼う気は無かった。そもそも家が猫を飼うような事を想定してない。そのせいで一々外に出せの中に入れろの我儘な命令に従わないといけない。


呼んでも知らん顔状態


 たまに散歩に連れていく。100mほど歩くと先に歩き出す。そして呼んでも中々戻って来なくなる。なので勝手にどうぞと俺は引き返す。その後メメは1時間くらい勝手に何処かをうろついている。でも今回は一緒に戻ってきた。




凛々しいようだけど実態はキョドってるっ感じだ。








 犬を飼うと散歩することになるので社会との接点が幾つも生まれる。それを機に知り合いになった人も居る。今親しくしてくれる近所の婆さんは犬が居なかったらタダ挨拶だけの関係だったかもしれない。その人は時々野菜をくれる。ヨメ兄もよく野菜をくれる。ジーバーイーツだなと俺は思っている。

 犬と一緒なら大人が一人で行ったら怪しまれるような集落の袋小路でも怪しまれない。一人なら絶対相手にしてくれないおねえさんとお話も出来る。もっともその域に達するには老若男女、全ての人を受け入れるようになってないといけない。恐らく美人だの若いのなんてより好みをしていると誰も寄ってこないかもしれない。でも一番肝心なのは撫でてみたいくらい可愛い犬でないとダメという身も蓋もない結論。

 社会との接点を求めて犬を飼うかって話もあるけど高齢者だと最後まで面倒を見れない可能性が高くなるので積極的にはなれない。ちなみにオウムなんてのは60年とか70年生きるので昔みたいないつも三世代同居みたいな家族でないと無理。
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