11月12日(日)、奈良・西ノ京駅に降り立ちました。前夜の低気圧が通り過ぎ、昼頃から晴れては来ましたが、「北風」が吹き始め、ちょっと寒さを感じる日になりました。
近鉄線・西ノ京駅の出口を出ると、右手は「薬師寺」左手は「唐招提寺」への道です。
まずは「薬師寺」へ~~。
薬師寺は、天武天皇が「建立」を願い、持統天皇によって「本尊開眼」、文武天皇の時代に飛鳥の地に完成しました。その後平城遷都に伴い、現地に移されました。
およそ1300年を経ていますが、この間、幾多の災害にあっていますので、建築当時「わが国随一の大伽藍」と称された壮美は失われています。
「金堂」を中心に、「東西両塔」、「講堂」、「回廊」が立ち並び、なかでも「裳階=もこし」を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは「龍宮造り」と呼ばれたそうです。
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駅から徒歩2~3分で「北」の門の受付があります。(これは裏になります。車やバスの方たちは「南門」「中門」と正面から入ることができます。入場料金800円)。
→「大講堂」
伽藍最大の建物で、金堂より大きいのは、当時の通例でした。それは、多くの学僧が集まり経典を学んだ場所だからです。
本尊は「弥勒三尊像」。中には、仏足石や仏足跡歌碑等も置かれています。
「鐘楼」もどっしりとした感じで時代を感じました。
→国宝の「東院堂」です。
養老年間に建てられた最初のものは焼失、1285年に建て替えられています。奈良時代は土間が通常でしたが、床板を敷き履物を脱いで上がるようになっています。
「禅」の影響があったようです。
中には、これも「国宝」の「聖観音菩薩像=しょうかんのんぼさつぞう」が安置されております。美しい指の動きや直立不動の姿勢に、気品を感じる像です。
←「南門」「中門」
おなじみの「雷神・風神」を持つ門です。
→「金堂」
二重二閣、五間四面、瓦葺きの建物で各層に裳階(もこし)をつけた美しい堂です。「堂内の荘厳は美をつくし、燈火がなくても金色に光輝く」と伝えられているとか・・・。
この堂の中で、薬師寺の僧の方が「お説教」をしてくださいます。
中に安置されている「国宝」の「薬師三尊像」の由来から「欲を捨て、あるがままに生きよう」と説かれました。
中心の薬師如来様、右側の日光菩薩様、左側の月光菩薩様、・・・思わず頭を下げずにはいられない荘厳さがありました。
→「東塔=とうとう」
←「西塔=さいとう」
本当は「三重の塔」なのに、、一見、六重の塔に見えるのは各階に「裳階=もこし」をつけているからです。
この裳階は、屋根の重みを支えたり、雨避けの意味もあったようです。
享禄元年に焼失してしまった西塔は、昭和56年に創建当時の当初の「白鳳様式」の華麗なものに復興されました。
一見、東塔の方が「昔のまま」なのかと思いましたが、本当はこんなに美しいものであったんですね。
二つの塔を比べると「高さ」は多少違います。再建された西塔が元の高さなのだそうです。
長い年月の地盤沈下で、東塔は少し低くなってしまったとか・・・
それに、屋根のそりも西塔が本物。東塔は長い時代の風雪に耐え今の姿になっているのです。
新・旧の塔の対比の美しさ・・・
「行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一片の雲」
と「佐々木信綱」氏が詠まれた光景が目の前にある・・・不思議な雰囲気の秋の日でした。
→「回廊」、
鮮やかな朱色と緑のコントラストに、白鳳伽藍当時の華やかさを再現しています。
まだ全体は出来上がっていませんが、いずれは大講堂まで繋がるようです。
玄奘三蔵院伽藍(げんじょうさんぞういんがらん)
大唐西域壁画殿(だいとうさいいきへきがでん)
この玄奘塔は、玄奘三蔵の骨の安置しお祀りしてあります。
平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて完成された「壁画」が「絵身舎利=えしんしゃり」としてお祀りされている壁画殿は、春・秋に一般公開されます。
私が訪れた日は、ちょうど公開日にあたりラッキー~~♪
「ヒマラヤ」を中心に、午前、午後の山々と人々の風景が描かれた壮大なものです。
薬師寺のご住職とのお約束で、平山画伯が描いたこの壁画を、見ることなく亡くなられたご住職のために、絵の一部に「仏様」となったご住職が書かれています。
この壁画に魂が入れられたのは2001年の12月31日。。。と聞いたような気がします。