風がちょっと強かったものの暖かい日の今日、いつもの「散歩道」を歩くつもりで家を出ました。
遠回りになりますが、先に用事を済ませてしまおうと駅の方へ向かいました。
駅前にある銀行に寄って、「元の道」を引き返そう・・・と考えたのですが・・・「違う道を歩いてみよう~~♪」と思いつきました(笑)。
銀行から5分も歩くと「我が町の産業」の一つである「小松石」を世に知らしめた「石工先祖の碑」がありますので、まずはそこへ~~。
平安末期に石材業を始めた「土屋氏」や、江戸城造営の採石にあたり、小松石の「口開丁場」を開拓した「黒田長政」の支配下であった「7人の石工」の業績を称えた碑ですが、江戸末期に再建されて今に至っています。
この碑を見るのは10年ぶり以上。
長い石段を登りながら「こんなに急で長かったかしら?」と、思いつつ頑張りました~~(笑)。
途中には、「疲れて一休みしたいと感じる人たちのためか、「小松石のベンチ」が置かれていました。
さすが「小松石」の産地ならではですね~~。
その碑のある場所からは、同じ道を戻るのもなぁ・・・と考え、一度も歩いたことのない道を進んでみました(笑)。
「どこかに出るだろう・・・急ぐ旅でもなし・・駄目なら引き返そう」と、まったく無謀な私(笑)。
小さな路地で迷いましたが、「私有地につき・・・」と書かれている看板の道を何人かの人が通っていたので通り抜けさせていただきました(ごめんなさい)。
電車の線路に沿った知っている大きな道路に出たのでほっ~~~(苦笑)。
そこを少し歩いて「I地区」へ降りる道へ~~。
「赤い帽子を被った小さなお地蔵さん」と、まだ若い「紅白の梅の木」が、とてもマッチしている可愛い風景を見つけ、思わず「ニコッ」~~♪
その坂を下りた所には、三年前まで「子ども達の元気な声」が聞こえた小学校があるのですが、今はもう一つの小学校に統合されてしまいましたので、静か・・・。
校舎も校庭も「し~~ん」として寂しい・・・。
学校の横にある古いお寺の山門前には、大きな「五層の搭」があります。
これは、廃寺となった「岩松山光西寺」にあった遺物だそうですが、造られたのは江戸初期(1654年)。
何よりすごいのは、この「搭身」が「一つの石」で造られているということです!
当時の「彫刻技術」や「石工の腕の水準」の高さを表す貴重な資料となっています。
改めてその腕に「感心」しながら(笑)、ゆっくり眺めて海岸方面へ~~。
そうそう、「閻魔大王様」にも会って行こう~~と、思いつき「如来寺跡」という場所に寄りました。
10年くらい前、家々の横の細い道をグルグル回って行った記憶があったのですが、数年前には、とうとう分からなくて・・・(トホホ)。
あきらめて帰ってきてしまったので、今日も心配でしたが、案外すんんなりと分かりました~~♪
今から380年ほど前の1620年に建てられたといわれる「帰名山如来寺」の跡で、古い境内には石窟があり、中に石造りの十王像や菩薩形座像(聖観音像)、地蔵菩薩像などが配置されています。
「厳かな雰囲気漂う石像たちが眠る洞窟」と書かれているパンフもありますが・・・私には「暗くて怖い・・・」という印象です(苦笑)。
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photo by
harusan 特にこの「閻魔大王様」って、怖い!
子どもの頃、通っていた幼稚園に「閻魔堂」があり「悪いことをすると閻魔堂に入れるよ」と脅かされていたので、そのせい?(笑)
そうそうに退散して、海岸へ。
この砂浜は「源頼朝」が、石橋山の合戦に破れて、千葉へ逃げるために船を漕ぎ出したという「頼朝船出の浜」として、史実に残る場所です。
今は、夏場は多くの海水浴客で賑わい、その他の季節は、多くの釣り客が訪れる所でもあります。
ヨットハーバーにもなっていて、何艘ものヨットが繋留されているので、見て歩くのも楽しいですよ。
浜を横目に見ながら、細い道を進み大通りに出ました。
でも、そこは私のこと~~~、
またもや「何年ぶりかの道」を記憶をたどりながら歩き始めました(笑)。
あっちこっち~~、
「確かここだったかな?」
「あれっ?新しい家がいっぱい!
「わ~っ、分譲地になったんだ!」
数年歩かないと、変わるものですね・・・・。
小さな町でも「散策」するたびに「楽しい発見」があることを再認識しました~~♪
(散策の途中で写した写真は、Blog=loveでUPします)