前回に続き、5月19日(金曜日)の読み聞かせの話です。
1冊目の本として『きつねとねずみ』を読み、2冊目は『たからさがし』を読みました。
ご存知のとおり、この『たからさがし』は、ぐりとぐらの黄金姉妹、中川李枝子さんと山脇百合子さん(描かれた当時は、大村百合子さんですが)による作品で、主人公は、ゆうじとうさぎのギック。
「あ、どこかで見たことある!」「あの絵本に出てきた」と、気がつく子もいるかもしれないなあと思い‥まったく、ゆうじとギックのことを知らなくても、山脇百合子さんの絵を見たことがない子は、おそらくいないはず‥と思いました。
認知はしていなくても、なんとなく知っているなあ、の気持ちが、安心感に繋がるのではないかと考えたのです。
こどもたちのよく知っている絵、よく知っている登場人物、という点から言えば、ぐりとぐらのシリーズの中から選んでもよかったのですが、いつだって仲良しの、ぐりとぐらの関係よりも、見つけた棒を取り合いする、ゆうじとギックの関係のほうが、なんか新1年生にふさわしい感じがしたのです。
ゆうじは かわらへ たからさがしに いきました。
魔法の杖にちょうどいい棒を見つけ、おどりあがった ちょうど そのとき、うさぎのギックが、とんできて、「ぼくが、さきに みつけたんだよ」 とすぐに取りあいっこがはじまります。どっちが先に見つけたのか言い合って、かけっこで勝ったほうが棒をもらうことにしようと決めるのですが、ふたりとも、かぜのように はやいので、決着はつきません。
次に相撲で決めようということになりますが、どちらも譲らず、どちらも動かず、また決着がつきません。
「それなら、はばとびをしよう」 と2人は力いっぱい飛びますが、「ああ、また、おんなじだ!」
ふたりは、見つけた棒を自分のものにするために、相手と競い合っているわけですが、走ったり、相撲をとったりしているうちに、競い合いそのものが、いつのまにか、棒を取り合っているライバルとの「遊び」に進展していることに、当のふたりは、気がついていないように思えます。
ギックのおばあちゃんに、勝負をつけてもらおうと、おばあちゃんの家を訪ねたときも、棒の支配権をめぐる争いに、決着をつけてもらうというよりも、遊びのネタがつきてきたので、新しいアイデアを出してもらおう、という感じに見えますし。
そして、おばあちゃんから「たからさがし」の課題を出されて、ふたり同時に仲良く駆け出して‥
「ぼく、いいものを しっているなあー」と、はしりながら ゆうじがいうと、
「ぼくだって、いいもの しってるなあー」と、ギックが いいました。
そしてふたりが、また一緒につかんだのが、あの すばらしいぼう なんです。そんなに大事な棒なのに、はらっぱに放置したままだったんですね。常識的な大人の考えでは、二人で争っているものなら、どっちのものか決ってなくても、目の届くところに置いておきます。
さっきまで、ふたりとも棒のことなんか、ほんとは忘れていたんじゃないの? と思わずつっこみたくなる言動ですが、また、同時に見つけたので「たいせつなぼう」に戻ったのかもしれません。
ふたりが一緒に、その棒を欲しくなるところがポイントなんですよね。
「たからさがし」の、ほんとの【たから】は、こうやってふたりで遊んでいる時間そのものなのかもしれないなあ、と思うのです。
それで、おばあちゃんがその棒を「自分の杖」にしてしまうと、
ゆうじは ギックの みみに くちをつけて、そっと いいました。
「あのぼう、ぼくは もうほしくない」
すると ギックも、ゆうじの みみに くちをつけて、
「ぼくも ほしくないや」と、いいました。
とっても正直なんです、ふたりとも。
私が、この本の中でとっても好きなのは、ギックがおばあちゃんを呼ぶところ。こういうふうに書けるなんて、ほんとに中川李枝子さんは、すごいなあと思うです。
ギックは、おおきなこえで「おばあちゃん、うさぎのおばあちゃん、ぼくのおばあちゃん」と、よびました。
2冊読んでも、まだすこし時間があったので、家にあった「こどものとも年少版」の中から、1999年10月号『ぞうっていいなあ』 を読みました。
文は『まゆとおに』 の富安陽子さん。絵は寺村輝夫さんの王さまシリーズの絵でおなじみの和歌山静子さんです。
夕ご飯の後、「おのこしはいけませんよ!」とおかあさんに叱られたまあちゃんが、
「ぞうって いいなあ。
ぼく、ぞうなら よかった」
と、次々と、ゾウだったらこんなにいいことがある、を見つけていくお話です。
こどものとも年少版は、少ないページの中にも、きちんと起承転結をつけたお話や、ふわっと包み込むような暖かいお話、小さい子どもにもわかる身近な題材からのお話、時には「!」びっくりするものなど、なかなかの内容のものが揃っていると、思っています。へえー、この方たちが、こんなお話や絵を描いているんだあというものが時々みつかり、年少さんとはまったく縁がなくなったにもかかわらず、図書館などでは、今もまめにチェックしています。