テレビスターと11歳の少年の「文通」というのを、2006年というスマートフォンは出てなくても携帯電話は登場してメールが使われるようになった時期に設定したのが巧妙なところ。
直接会ったことはないというチャイコフスキーに対するフォン・メック夫人ばりの異様なプラトニック?ぶりがかえって危ない感じがする。
ナタリー・ポートマンが母親役で男が絡まないというのも珍しいのではないか。
息子に手を焼いている感じがドノヴァンの母親スーザン・サランドンと共通する。
文通した子供が成長して女性ジャーナリストのインタビューを受けて話す内容が主な本筋になるわけで、「市民ケーン」みたいな構成になるのかと思うと、彼が知らないドノヴァンの親や男娼との関係などは特に誰かの視点を経ないでくっつけられてしまい、なんだか座りが良くない。
オープニングのアウトフォーカスの思いきった使い方に引き付けられ、その後のインタビューシーンなども背景のボケ味の生かし方が印象的。
エンドタイトルを見ていると大作映画というわけでもないのに部分的に65mmフィルムを使っているのに気付く。