映像が思いのほか鮮明。かなり手をかけてレストアしたとおぼしいが、それ以前に撮影時に相当大量の照明を当てて元から鮮明に撮るようにしていたのが、照明が強くてまぶしくてかなわなかったという楯の会の一人の証言からもわかる。
TBSの記者が同席していたり、スチルカメラマンがいたりと、このイベント(なんて言葉は当時なかったろうが)を記録する価値をかなり意識していたのだろう。ただ三島がああいう最後を遂げたので封印されていたと思われる。
それにしても、これは当時放映されたのだろうか。
望遠で撮られた三島のアップの前に「地獄の黙示録」のオープニングばりにモヤが流れる。タバコの煙ですね。三島や相対する全共闘の学生も客席の学生たちもみんなぷかぷか吸っている、時には三島と全共闘がタバコを交換したりするのが時代の違いをありありと思わせる。
この対論は本では読んでいたが、映像には文字だけでは伝わらない情報が多量に写っている。
芥正彦の赤ちゃんが典型で、小難しい対論とはまるで無関係にきょとんとしているのが可愛くて可笑しい。今どうしているのだろう。
対論の間、何人かの間を受け渡しされていつの間にか後ろの方で女性がだっこしている。そういえばここにはほとんど男しか出てこない。東大だからではあるだろうが、東大にも全共闘にも女性はいたはず(樺美智子とか)。
楯の会のメンバーも早稲田や外語大という一流大学で、右左関係なくエリートのやや上滑りした活動という印象はする。
黒板に小川(伸介)プロ三部作は201教室(で上映)とか書いてある。三里塚闘争とその記録の季節でもあるのがわかる。そしてそれが実は終わってなどいないことからも、この対論が今と地続きであることもわかってくる。
左翼活動は一部は先鋭化過激化してあさま山荘事件を起こして収束したわけだが、全体としては敗北というより社会に拡散したのですよという今は70過ぎの全共闘世代の言も必ずしも負け惜しみとは思えない。
余談だが、この山荘立てこもりと機動隊との対峙の生中継は、ほとんどはただの山荘が写っているだけだったのに日本のテレビ史上最高の視聴率をあげたわけだがその映像はかなり長いこと表に出なかった。
小林正樹監督が「食卓のない家」(1985)を作った時には鉄球で山荘を壊す実写映像を使うのに非常に苦労したというが、いつの間にか普通に見られるようになっている。どうなってるの。
この時「総括」(リンチ)によって殺された連合赤軍の死体がゴロゴロ出てきた映像も中継されたはずだが、これは今は見られない。
さらに余談になるが、この時の死体が出てくる映像は状況から考えてあらかじめ死体を見つけていた当局が「演出」してメディアに撮らせたのではないかと五木寛之が当時書いている。ありそうな話ではある。
自決後、介錯された三島の生首もリアルタイムでは新聞に載ったが、今ではなかなか見られない。メディアコントロール(あるいは「自粛」)はもちろん当時からやっていたわけ。
それにしてもそういう場面をピックアップしたにせよ、街頭での直接行動による闘争は「革命」が本当に起こるのではないかという恐れを抱かせたというのもわからないではない激しさ。
対論といっても、朝生みたいな相手の言説のつぶし合いではなく、きちんと言葉が交わされている。ましてやツイッターでの不毛なやり取りとは比べるのもばかばかしい。言葉が成立した時代であり、空間だった、というのを映画の作り手も強調している。
正直、言っていることが抽象的あるいは前提を省きすぎで何を言っているのかよくわからないところが多いが、コトバの周辺のノンバーバルな伝達を含めて話が通じているのはわかる。これは今はもちろんだし、左翼内部の闘論でもむしろ珍しいことではなかったか。
左右に分かれているようで、反米独立という志向では案外同じ地平に立っている、ただし左は天皇は認めない、認めれば手を握れると三島は言うが、当時の新左翼は天皇(天皇制と昭和天皇と)をどう位置付けていたのだろうか。新左翼はもちろんはっきり天皇制=国体を否定していた戦前の武装共産党とは違うわけだが。
今の日本共産党は曖昧に天皇制を容認しているみたいだが、それもまた釈然としない。何より、昭和天皇と今の天皇とでは天皇制が同じなのやら違うのやら、曖昧。曖昧だから天皇制ということかもしれないが。
ぼくはジョーカーを持っているんだよ、天皇というジョーカーをね、という三島のセリフが出てくるかと思ったら出てこなかった。
この巣ごもり中に、三島の最後の作品になった「豊穣の海」四部作を読んだわけだが、その内容とこの闘論と、三島の最後とをつなげようとするとつながりそうでどうもうまくつながらない。
舞台の「豊穣の海」で狂言回しの本多繁邦を演じた東出昌大がナビゲーター(ナレーション)をつとめたわけだが、不倫騒動があっても差し替えなかったのは良かった。そんなことでいちいち過剰反応されたらたまらない。