原発がいったん制御できなくなったら、あらゆる努力や苦労が基本的に徒労と化し、暴走しなくなったのもそれこそ「なぜ」なのか不明のまま、制御できると思う方が間違っているのではないかと思えるほどで、思った時はすでに手遅れということになる。
官邸と東電と現場の間の齟齬を含めて、個人と個人の間の感情とは関係なく(役者たちはそれぞれ好演している)もっと大きなメカニズムの一部として捉えられている。
視点は基本的には引き気味な一方、細部には密着している(必ずしも正確ということではない)。
冒頭の地震と津波を除いてむしろタッチは淡々としており、その後にはひたすら後始末が続く。
いくつかある感動的なシーンも、すぐにダレてきてブレーキがかかる。
意地悪というより、悪意を超えている。
原発事故を扱ったドラマシリーズとすると「チェルノブイリ」があるのだが、あれは大きな軸として党幹部と実務派との対立がはっきりしており、ロシア製ではなく英語作品であって第三者的視点が入っていてメリハリが効いていた。
ここでは官邸、東電本店が半ば敵役だが良くも悪くも両義的で現場の悪戦苦闘とのコントラストでそう見える。
役所広司の無精ヒゲが伸びないあたり、どうハサミを入れてるのかなと思った。
2011年にはスマートフォンが出ていたはずだが、ガラケーが目立つ。