prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「飛行士の妻」

2020年06月14日 | 映画
マリー・リヴィエールの超スレンダーな身体にばかに小さなスキャンティーという格好がざっくりしていてエロチック。
エリック・ロメールの作品は服装にすごく気を使っているのだが、これもその一例。

えんえんと未練がましくまとわりついてかき口説くあたり、ストーカーすれすれ。
その後15歳の女の子とおしゃべりしだすとなんとなくおしゃべりが止まらなくなる、その転調のおかしさ。

とにかくよくしゃべる。おしゃべりの内容以上にしゃべること自体が好意の表現になっているつもりのよう。




「ハリエット」

2020年06月13日 | 映画
時あたかもアメリカで黒人男性が警察官に殺された事件に対する抗議デモが続きトランプ大統領が対立を煽るツイートをして問題が大きくなっている時期の公開になった。映画の製作時には直接は想定しなかっただろうが、類似の事例はこれまで何度も繰り返されていたから意外性はもちろんなかっただろう。

黒人奴隷と自由黒人との差異が、こういう自由な黒人もいたのだというエクスキューズではなく、人が人を「所有」する理不尽と罪、断絶とを明確にする。

自分も脱走し故郷の奴隷を脱走させるヒロインが、白人の奴隷主にヘブライ人をエジプトから脱出させた預言者モーゼと呼ばれるのが女と黒人との二重の蔑視と偏見を物語る。

ヒロインはかなり神がかっていて、子供の時に頭を殴られたせいでか意識がときどき飛ぶのが神の導きのようでもある描き方。

黒人が白人の宗教(おおもとは違うが)であるキリスト教を信仰しているのはいくらか違和感はある。マルコムXが途中からイスラムに帰依するようになったのもわからなくはないが、これまた少し違和感はある。では何ならいいのか、アフリカの原始宗教かというともこれまたムリがある。
しかしキリスト教とはいっても白人のものを鵜呑みにするのではなく、ゴスペルといった歌として神の恩寵といったものを独自のものを表現しているのわかる。

白人奴隷主たちも弱小なものは経済原則の中で追い詰められていくのが皮肉。
奴隷制が、特にアメリカのそれが資本主義の一環であることが明らかにされている。




「ブランカニエベス」

2020年06月04日 | 映画
白雪姫の物語をスペインの闘牛界に移して白黒・サイレント(効果音・セリフはないが、音楽は入るいわゆるサウンド版)で作るという凝った趣向。スペインの映画賞ゴヤ賞で10部門にわたって受賞。
闘牛中の事故で半身不随になった闘牛士の財産目当てに結婚した継母にいじめられる闘牛士の娘という具合にアレンジしてある。

製作は2013年というから、すでにスペインでも闘牛が州によっては禁止されたりテレビ放映が全廃されてから後のこと。一種の時代劇として作られたわけでもあるだろう。
ここでも白黒ということもあって闘牛の残酷さをあからさまに描くのは避けている。

白黒映像がサイレント映画時代とは格段に向上したカメラ技術で凝っていて、七人のコビトなど、ブニュエルばりでよくはまっている。
成長した白雪姫が父同様に闘牛士になるというのがやはり美的な歪みがあってユニーク。





6月3日のつぶやき

2020年06月03日 | Weblog

「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

2020年06月03日 | 映画
映像が思いのほか鮮明。かなり手をかけてレストアしたとおぼしいが、それ以前に撮影時に相当大量の照明を当てて元から鮮明に撮るようにしていたのが、照明が強くてまぶしくてかなわなかったという楯の会の一人の証言からもわかる。

TBSの記者が同席していたり、スチルカメラマンがいたりと、このイベント(なんて言葉は当時なかったろうが)を記録する価値をかなり意識していたのだろう。ただ三島がああいう最後を遂げたので封印されていたと思われる。
それにしても、これは当時放映されたのだろうか。

望遠で撮られた三島のアップの前に「地獄の黙示録」のオープニングばりにモヤが流れる。タバコの煙ですね。三島や相対する全共闘の学生も客席の学生たちもみんなぷかぷか吸っている、時には三島と全共闘がタバコを交換したりするのが時代の違いをありありと思わせる。

この対論は本では読んでいたが、映像には文字だけでは伝わらない情報が多量に写っている。
芥正彦の赤ちゃんが典型で、小難しい対論とはまるで無関係にきょとんとしているのが可愛くて可笑しい。今どうしているのだろう。
対論の間、何人かの間を受け渡しされていつの間にか後ろの方で女性がだっこしている。そういえばここにはほとんど男しか出てこない。東大だからではあるだろうが、東大にも全共闘にも女性はいたはず(樺美智子とか)。

楯の会のメンバーも早稲田や外語大という一流大学で、右左関係なくエリートのやや上滑りした活動という印象はする。

黒板に小川(伸介)プロ三部作は201教室(で上映)とか書いてある。三里塚闘争とその記録の季節でもあるのがわかる。そしてそれが実は終わってなどいないことからも、この対論が今と地続きであることもわかってくる。

左翼活動は一部は先鋭化過激化してあさま山荘事件を起こして収束したわけだが、全体としては敗北というより社会に拡散したのですよという今は70過ぎの全共闘世代の言も必ずしも負け惜しみとは思えない。

余談だが、この山荘立てこもりと機動隊との対峙の生中継は、ほとんどはただの山荘が写っているだけだったのに日本のテレビ史上最高の視聴率をあげたわけだがその映像はかなり長いこと表に出なかった。
小林正樹監督が「食卓のない家」(1985)を作った時には鉄球で山荘を壊す実写映像を使うのに非常に苦労したというが、いつの間にか普通に見られるようになっている。どうなってるの。
この時「総括」(リンチ)によって殺された連合赤軍の死体がゴロゴロ出てきた映像も中継されたはずだが、これは今は見られない。

さらに余談になるが、この時の死体が出てくる映像は状況から考えてあらかじめ死体を見つけていた当局が「演出」してメディアに撮らせたのではないかと五木寛之が当時書いている。ありそうな話ではある。
自決後、介錯された三島の生首もリアルタイムでは新聞に載ったが、今ではなかなか見られない。メディアコントロール(あるいは「自粛」)はもちろん当時からやっていたわけ。

それにしてもそういう場面をピックアップしたにせよ、街頭での直接行動による闘争は「革命」が本当に起こるのではないかという恐れを抱かせたというのもわからないではない激しさ。

対論といっても、朝生みたいな相手の言説のつぶし合いではなく、きちんと言葉が交わされている。ましてやツイッターでの不毛なやり取りとは比べるのもばかばかしい。言葉が成立した時代であり、空間だった、というのを映画の作り手も強調している。

正直、言っていることが抽象的あるいは前提を省きすぎで何を言っているのかよくわからないところが多いが、コトバの周辺のノンバーバルな伝達を含めて話が通じているのはわかる。これは今はもちろんだし、左翼内部の闘論でもむしろ珍しいことではなかったか。

左右に分かれているようで、反米独立という志向では案外同じ地平に立っている、ただし左は天皇は認めない、認めれば手を握れると三島は言うが、当時の新左翼は天皇(天皇制と昭和天皇と)をどう位置付けていたのだろうか。新左翼はもちろんはっきり天皇制=国体を否定していた戦前の武装共産党とは違うわけだが。
今の日本共産党は曖昧に天皇制を容認しているみたいだが、それもまた釈然としない。何より、昭和天皇と今の天皇とでは天皇制が同じなのやら違うのやら、曖昧。曖昧だから天皇制ということかもしれないが。
ぼくはジョーカーを持っているんだよ、天皇というジョーカーをね、という三島のセリフが出てくるかと思ったら出てこなかった。

この巣ごもり中に、三島の最後の作品になった「豊穣の海」四部作を読んだわけだが、その内容とこの闘論と、三島の最後とをつなげようとするとつながりそうでどうもうまくつながらない。

舞台の「豊穣の海」で狂言回しの本多繁邦を演じた東出昌大がナビゲーター(ナレーション)をつとめたわけだが、不倫騒動があっても差し替えなかったのは良かった。そんなことでいちいち過剰反応されたらたまらない。




6月2日のつぶやき

2020年06月02日 | Weblog

「不屈の男 アンブロークン」

2020年06月02日 | 映画
第二次大戦中の日本軍の米兵の捕虜虐待を描いているので公開時はネトウヨに反日映画と攻撃をうけたものだが、日本軍の捕虜の扱いが非人道的だったことは事実でそれを描かれたからといって反日などということはとりたててない。

とはいえ、エキセントリックな日本軍人役のMIYAVIが目張りメイクを入れたような顔(元からああいう顔なのだが)で、コンプレックス丸出しの役をやられると西洋人すら見た日本人(東洋人)のイメージの違和感があることも事実。

スポーツ選手としてのヒロイズムが捕虜収容所での不屈のヒロイズムに転化する作劇は、コーエン兄弟の脚本とも思えないストレートなもの。リチャード・ラグラヴェニーズ色の方が強い印象(というのは、あてにならないが)。
アンジェリーナ・ジョリーの演出はスケール感も格調もあるが、やや単調。ただもともと我慢劇だからそれほど問題ない。

それにしても選手を捕虜収容所に入れていた話は東京オリンピックが成立するのかどうかという瀬戸際に立っている現在、ずいぶん皮肉に見える。

爆撃機や捕虜収容所のセットなどの厚みはさすがにあちらの映画だけあってて大したもの。





2020年5月に読んだ本

2020年06月01日 | 映画
読んだ本の数:35
読んだページ数:5551
ナイス数:0

読了日:05月03日 著者:中川 右介




読了日:05月04日 著者:村上もとか




読了日:05月04日 著者:村上もとか




読了日:05月04日 著者:村上もとか




読了日:05月04日 著者:村上もとか




読了日:05月08日 著者:三島 由紀夫




読了日:05月21日 著者:瀬下猛




読了日:05月21日 著者:瀬下猛




読了日:05月21日 著者:瀬下猛




読了日:05月21日 著者:三島 由紀夫




読了日:05月23日 著者:土山しげる




読了日:05月23日 著者:関達也




読了日:05月23日 著者:川端康成




読了日:05月23日 著者:高橋 留美子




読了日:05月23日 著者:高橋 留美子




読了日:05月24日 著者:高橋留美子




読了日:05月24日 著者:高橋留美子




読了日:05月24日 著者:高橋留美子




読了日:05月24日 著者:高橋留美子




読了日:05月25日 著者:土山しげる




読了日:05月25日 著者:土山しげる




読了日:05月25日 著者:阿佐田哲也,嶺岸信明




読了日:05月25日 著者:阿佐田哲也,嶺岸信明




読了日:05月25日 著者:村上 もとか




読了日:05月25日 著者:村上 もとか




読了日:05月26日 著者:高尾じんぐ




読了日:05月27日 著者:高橋留美子




読了日:05月27日 著者:高橋 留美子




読了日:05月27日 著者:高橋留美子




読了日:05月27日 著者:高橋留美子




読了日:05月27日 著者:高橋留美子




読了日:05月29日 著者:ヤマザキマリ




読了日:05月29日 著者:萩本創八,森田蓮次




読了日:05月29日 著者:畑 健二郎,あさの ますみ




読了日:05月30日 著者:吉田 豪


「日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー 経産官僚の暴走と歪められる公文書管理」 ヒロ・マスダ著

2020年06月01日 | 
映画・アニメに限らず、日本の至るところで見られる補助金名目の税金の横流しと、それを隠蔽するために公文書を作成しない、公開しない、しても黒塗り、という国家的詐欺を、具体的な国会答弁から公開請求して却下された事例から丹念に裏付けて記述した労作。
申請して却下された箇所などは通常表に出ないし、却下の理由の支離滅裂・荒唐無稽ぶりについて知ることができるのは貴重。

事実上の官民癒着の産物でも、民間に属する事柄は公文書ではないからという名目で公開しないという手口や、人を回転ドア式にぐるぐる動かして金を出す側と受け取る側とが事実上同じという悪知恵も、文化行政に限った話ではないのは明白。

かねてからツイッターでの筆者の連投に注目していたが、それがきっかけで編集から声がかって新書としてまとめられることになったとのこと。

文化に対する無理解ぶりのひどさ、センスのなさ(それが売りのはずの代理店も!)にも改めて呆れるが、不思議なのは、税金の横流しばかり考えて、補助金を呼び水にして海外の投資を招き、国内の産業を育成して雇用を生み、インフラを整え、経済をまわしてひいては税収を増やすという、ごく当たり前の持続可能な経済政策に一向に頭が回っていないこと。
これはもう、本当に不思議としか言いようがない。なぜもっと普通に「儲かる」、人も国も潤う政策に舵を切らないのか。

海外の各国の補助金に対するリターンの数字が具体的に記述されているのも説得力がある。
文化を「金食い虫」としか捉えられず、ビジネスとしての価値と可能性に目をふさいでいるのは、金儲け第一主義ですらない。

当たり前だが、日本以外の国は東欧の小国(実はソフトパワーにおいては国が小さいことはさして不利ではない)も含めてそういう当たり前の政策を当たり前に着々と進めている。だから「沈黙 サイレンス」のように日本を舞台にした映画でもロケは台湾などという事態が現実のものになっている。

本当にクールジャパンや、日本のスゴイのナルシシズムのガラパゴスに閉じこもっている場合ではないのだ。

聞いた話だが、日本の補助金の9割がたは大企業が確保しているという。
国の補助金だから使い勝手が悪いのは当然です、と文化庁の役人がうそぶく場面がある(p199)が、そんな使い勝手の悪い補助金を探して申請するとなると、専門の法務部門を抱えた大組織でもないとムリだからだ。