還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

インターネット接続方法の移り変わり

2017年12月15日 | パソコン・モバイル・オーディオ
断捨離とは直接関係ありませんが、プリンター台として使っている机の引き出しも整理しようかと・・・・

引き出しを開けて眺めてみると、書類でゴチャゴチャ。ネット接続絡み(契約書やら接続手順やら)の書類が主なのですが、とにかく捨てずに何もかも全部押し込んでいたのですが、これはやはり整理しとかないと・・・・

全部出してみると・・・・こういうのは現用のものしか要らないので、過去のものはすべて処分しました。おかげで引き出しはかなりすっきりしました。

備忘録を兼ねて接続方法がどう変わってきたのか、記録しておきますと、

1999年12月  県内のプロバイダとダイヤルアップ接続契約
2003年09月  1.5MのADSLに変更
2007年12月  8Mとか12Mを飛ばして最速のADSLに変更
2008年11月  ネット事業者がプロバイダ事業を売却
2012年07月  ADSLから当時最速の光回線に変更

現在に至る

こんな感じですが、1999年12月に当時47歳でネットを始めました。まだADSLの商用サービスは始まっていなくて、接続方法はダイヤルアップしかありませんでした。

3分10円とか20円電話代がかかったので、ページが表示されると接続を切って、そのページを読みます。再接続は読み終えてからとか、書き込むときはドラフトが完成後に、という感じ。

ダイヤルアップ接続では、接続中は電話がつながりません。なのでネット接続中に電話をかけると話中音になります。もちろん無線もなくて、パソコン置き場まで電話線を引っ張っていました。

通信速度は、始めた頃が33kbpsでしたが、やがて規格の改良があり、56kbpsまで上がりました(カード型モデム買い替え)。

その後ADSLが急速に普及を始め、4年弱後に1.5MbpsのADSL、さらに4年あまり後に最速のADSLに変更しました。ADSLの時は無線接続しましたが、パソコン本体が無線LANに対応していなかったので、無線LANカードが必要でした。

ADSLに変更したときは速度の向上に目を見はりました。何せ画面上に一気に表示されましたから。ダイヤルアップでは、画面上に全ての要素を表示するのに数~10秒程度はかかってましたし、通信が輻輳する時間帯では止まってしまうこともよく有りました。

ADSLに変更時は8Mプランも選べたのですが、接続の安定性は1.5Mの方が良いし、局からの距離が長いと仕様ほどの速度差は出ないとのことで1.5Mにしました。

やがて最速のADSL(47Mとか)が出たとき、詳しい友人に聞いてみたのですが、却って遅くなることもある、やってみなければわからない・・・・とのことでしたが、お値段があまり変わらなかったので思い切って変えたところ、結果オーライでした。

その頃には既に、都会から光接続サービスが始まっていたのです。しかし田舎で光接続ができるようになったのは、それから何年も後でした。

ADSLから光接続に変えたのは約4年半後です。それから丸5年経ちますので、光接続で使っている期間が最も長くなりました。