豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

豪徳寺商店街

2006年02月19日 | 玉電山下・豪徳寺
 
 1. 石川屋

 肉屋さんだが、買ったのはもっぱらコロッケ。勉強机の引き出しのようなところから衣のついたコロッケを取り出して揚げていた。“今日もコロッケ、明日もコロッケ”ではないが、土曜日の昼ごはんはいつも石川屋のコロッケ。ソースをつけたコロッケ2、3個で食パンを半斤は食べた。
「コロッケ5円の助」という漫画があったくらいだから、たぶん1個5円だったのではないだろうか。

 2.ヤナセ

 といってもベンツを売っているわけではない。パン屋さんである。朝早くに通りかかると店先で、バケツに入れた小麦粉(?)をこねてパンを作っているのを見かけた。
 近所になぜかいつも小金を持っている友だちがいて、コッペパンとジャムを買ってぼくたちにも振るまってくれたりした。

 3. ウワボ

 “上保”と書くことを後になって知った。くだんの“紅梅キャラメル”をせっせと買ったお菓子屋さんである。お目当てのカードだけ残して、キャラメルのほうはウワボの裏のどぶ川にかかった橋の上から投げ捨ててしまった。
 ガムか何かを店の屋根の上で天日干しして作っていた。なんでも自家製の時代だったのだ。

 4. 上の市場

 と呼ばれている市場が、豪徳寺駅前から宮の坂方面に少し登ったところにあった。うす暗くて、下は土間だった。一番奥に本屋さんがあって、「少年」とか「少年ブック」「冒険王」などを買うときはここで買っていた。
 自転車で配達に来る貸し本屋もあって、「野球少年」はそこで借りた。1か月遅れだと少し割安だった。「野球少年」といいながら、時々お相撲さんの写真なども載っていた。「褐色の弾丸 房錦」という貸本漫画が妙に印象に残っている。「褐色」の意味が分からなかったので。

 5. ** 洋品店

 玉電山下駅から豪徳寺駅に向かう狭い路地に面して、間口半間ほどの小さな洋品店があった。野球帽はここで買った。赤堤小学校の生徒目当てなのだろうか、はじめから“A”のイニシャルが入った野球帽もあった。
 商店街の福引で、この店のハンカチが当たったことがある。実は今でもそのハンカチをもっている。当時は手を洗ったり、拭いたりなんかしなかったらしく、けっこうきれいなままである。

 2006年02月19日

* 写真は、「週刊読売」1975年10月18日号。特別企画は「20代の諸君! オレ達にも すでにして回想(なつめろ)があるのだ!」となっている。ぼくたち団塊の世代は、いつの時代にもマスコミや商売のターゲットとされており、すでに25歳のときに、そう遠くもない過去をすでに回想させられているのである。
 このコラムのなかで書いていることも、ひょっとしたら原体験ではなく、これらの活字などによって一度呼び覚まされた記憶なのかもしれない。(2006年9月2日追記)

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