フォード・フォーカスが出たついでに、フォード・フィエスタについても一言。
ぼくは先代のフォード・フォーカスのスタイルが好きだった。
一般的に、3代目ポロ、ローバー25、先代フォーカス、オペル・アストラ、プント・グランデ、日本車ではファミリア、シビック、シャレード、ミラージュ、初代ヴィッツ、そしてランクスなど、ヨーロッパ・スタイルのCセグメント、5ドア・ハッチバックが好きなのだが、とくに青のフォーカスが好きだった。
フォーカスは先のモデル・チェンジで横幅が拡がりすぎてしまい、ぼくの選択肢からは落ちてしまったが、最近ネット上で見かける同じフォードのフィエスタのニュー・モデルは、どことなく先代フォーカスの面影が残っていて、気に入っている。
残念ながら、ヨーロッパ・フォードは日本市場から撤退してしまったらしく、フォードの新聞折り込み広告や、“Driver”誌の外国車アルバムなどにも、フォーカスやフィエスタは乗っていない。
ところが、中国市場ではヨーロッパ・フォードが売られているらしい。
ネットに載った中国のモーター・ショーの写真の中に、すごくいい構図を見つけた。
展示されたフォード・フィエスタの車内を、中国人の少女が、手をかざして覗きこんでいる。その腰の屈め具合、まなざしの向う先に、彼女の思いがすべて表れている。
彼女の胸に去来する思いが、ぼくにはわかるような気がする。
おそらく、今から40年以上前、わが家にスバル1000が納車されたとき、スバル360の小ささに慣れていたぼくも、おそらくその室内を覗きこんで、その広さにうっとりしたのではないかと思う。
その時以来、ぼくはクルマの室内はスバル1000の広さで十分だと思いつづけている。
あるいは、1920年代のアメリカのミドルクラスの家庭にT型フォードが納車されたときにも、こんな光景が見られたのではないだろうか。ノーマン・ロックウェルが描きそうな光景である。
徳大寺さんはフォード車を「安物クルマ」といって貶すけれど、庶民のクルマへの憧れはT型フォードとともにやってきたのだ。
フォード・フィエスタの室内を覗きこんでいる彼女の清楚なヘア・スタイルや、ジャンパー、ジーンズ、スニーカー姿からすると、彼女も生涯フィエスタで十分という思いを抱きつづけるだろう。
ぜひそうであってほしい。中国経済の巨大化とともに、彼女の車に対する欲求までもが巨大化しないことを祈りたい。
フィエスタは、全長3958mm、全幅1722mm、全高1481mmと、VWポロとほぼ同じである。6人家族でもない限り、これで十分である。
ぼくはこの写真がすごく気に入ったので、パソコンのデスクトップに飾ってある。
* 写真は、≪Ford Fiesta 画像≫でグーグルを検索して見つけたサイトから。
fiestaの写真に≪福徳 嘉年華(の簡体字)≫というプレートが付いていたから、おそらく中国のサイトと思う。「福徳」はfordの中国語表記だし、“fiesta”の語源は「祝祭」だから「嘉年」、「華」は“ta”の発音だろうと中国語通に教えられた。
2009/12/13