トイレでの読書用に、朱牟田夏雄『英文をいかに読むか』(文建書房)を持ち込んで読み出したのだが、トイレの度に一節ずつ読むには勿体ないので、しかも最初の10ページを読んだら先が気になったので、トイレから救出し机に向かって一気に読んだ。
こんな難しい単語(しかもモンマルトルあたりの特殊用語--娼婦、ポン引き、好色紳士etc.--も少なくない)が頻出するエッセイを「一気に」読むことができたのは、もちろん朱牟田氏の訳注があったからである。自分で辞書を引かなければならないときは、この手の単語は読み飛ばすことにしている。ストーリーを追う分には影響しないので。
さて、「辞書の落書き」とは結局なんだったのかというと、「辞書」は、ハクスリーが行きつけの古本屋から「面白い本が入りましたよ」と連絡を受けて見ることになったフランスの高校生向けの「羅仏辞典」“ Dictionnaire Latin-Francais ” (298頁)だった。
イートン校の生徒時代にラテン語で苦労させられたハクスリーは最初はがっかりというか、うんざりしたのだが、実は「落書き」の方がすごかったのである。
表紙扉に描かれた三頭立ての馬車に始まって、あちこちのページの余白に、馬や犬や鷹、時には中世風の衣装の紳士やサーカス(だったか?)の少女などが生き生きと描かれているのである。そして驚くのはその辞書の所有者であり、その「落書き」の作者である。
それは、なんと16歳のロートレックだったのである。
ロートレックも、ハクスリーと同様、リセでラテン語の勉強を強いられ、退屈しのぎに辞書の随所に「落書き」をしていたのであった。
これをしも「落書き」--たとえ “doodle” が「考え事をしながらする落書き」だとしても、書いたのが若き日のロートレックとあれば、それは立派なデッサンというべきであろう。読み始める前に「便所の落書き」などと比較した自分が恥ずかしくなる。
さてイートン校でのラテン語の勉強から、話は一転して、ロートレックのことになる。
少年時代の相次いだ不幸な骨折事故、野外での鷹狩などを好む父親伯爵との確執、写実を重んじる美術教師(といっても芸術院会員!)との対立、そしてモンマルトルでの酒と女の日々が辿られる。
ロートレックは見たものを写実するのではなく、記憶で描いたという。
彼が描いたのは、少年期の(ラテン語辞典に落書きした)馬や鷹から、後の踊り子や娼婦などに至るまで、その外形ではなく、それら対象の動きの中に表れた精神のリズム “vitalizing spirit in the movement of life” だったという(例えば309頁)。
中村真一郎によれば、バルザックは人間ではなくその情念を描き、ハクスリーによれば、ロートレックは馬や娼婦の外形ではなくその精神(ないし生命)のリズムを描いたという。以前知り合いの建築家から、建築物を批評するときはその構造物ではなく、構造物によって仕切られた空間の印象を語れと助言されたことがある。批評には型があるらしい。
合間にチョコチョコと語られる現代文明(と行っても1950~60年代)ーー例えば前回書いた進歩的学校のほか、自動車などに対する揶揄的な言辞、あるいは当代の女性の胸(ぼくの辞書では “bosom” は「(女の)胸<breasts の婉曲語>」とあるのだが、朱牟田氏は婉曲もものかは、「乳房」と直截に訳している!)を強調する傾向(323頁、ピンナップ写真のことか)への皮肉など、女性の胸への(ハクスリーの)こだわりーー“ ・・・ hope springs eternal in the male breast in regard to the female breast” (324頁)ーーなどはご愛嬌というべきか。「・・・女性の胸に関して男の心にあふれる永遠の思い」といった意味だが、まさかハクスリーがこんなことを書くとは思わなかったので、上の英文の意味も朱牟田氏の訳注でつかむことができた。こんなことを書くハクスリーの深層心理(と言うほどではないが)にも興味がある。思春期にラテン語なんかやらされた反作用か。
いずれにせよ、「辞書の落書き」とは、古書店に出回ったロートレックの少年時代のラテン語辞書の余白に描かれた彼の初期のデッサンのことであった。
このラテン語辞典をハクスリー氏は購入したのだろうか。価格はいくらくらいだったのだろうか。そして現在では、それらロートレックの作品(辞書の落書き)は一般に見ることができるのだろうか。
ぼくは、ぜひ見てみたい。
ロートレックはぼくも好きな画家の一人である。
生命が律動しているかどうかは考えたことがなかったが、何といっても分かりやすい。娼婦だか踊り子だかの疲れたような表情、スカートの裾をたくし上げたしどけない姿など、モンマルトルというのはあのような場所なのだろうと想像することができる。
朱牟田氏の訳注にも出てくるが、ロートレックの生涯は映画化されている(「赤い風車」“Moulin Rouge”、1953年日本公開)。驚いたことに、イギリス映画だった(ジョン・ヒューストン監督)。“Classic Movies Collection” というシリーズに入っている(冒頭の写真はそのパンフレット、上の写真はそのケース)。
ロートレック役のホセ・ファーラーのメイクが真に迫っていたので、ぼくは長いことホセ・ファーラーをロートレックだと思っていたくらいである。
ロートレックの写真は、中学生時代に取っていた座右宝刊行会の「世界の美術」に載っているだろうが(ドガとロートレックで1冊になっている。踊り子つながりか・・・)、この本は軽井沢に置いてあり、この自粛のなか軽井沢に行くことははばかられるので、コロナが収まったらアップすることにする。
ところで、朱牟田夏雄「英文をいかに読むか」であるが、久しぶりに英文読解、英文解釈の参考書を読んだのだが、楽しかった。知らない単語を辞書で引かなくてもこのエッセイの言いたいことは大体理解できたと思うが、訳注はずいぶん勉強になった。正確に読むとはこういうことかと知らされた。
ハクスリーだけで終わろうかと思っていたが、最初の数十ページの「総論」と、第2部「演習」も、Maugham など関心のある著者のエッセイもいくつか読んでみようと思う。朱牟田氏の訳注を読むだけでも勉強になりそうである。
受験生時代には、英語は嫌いではなかったが、今回のように楽しんで勉強することはなかった。駿台予備校時代の奥井潔先生の授業も楽しかったが、あの当時は、先生が英文読解の授業をしながら、本当にぼくたちに語りかけたかったことを理解できなかった。中年になってから、奥井先生の「英文読解ナビゲーター」(研究社)などを読んで、はじめて先生の伝えたかったことが分かるようになった気がした。
奥井先生は、若さとか、友情とか、嫉妬心や猜疑心、成熟とか、大人になること、さらには老いについて、要するに生きるということの意味をぼくたちに問いかけていたのだと、今にして思う。残念ながら18歳のぼくは恋愛以外の感情にまったく興味がなく、老いることなど考えも及ばなかった。
しかし、あの頃に比べると、最近の受験生は気の毒である。
入試監督の休憩時間の雑談で、同僚だった英文学の先生に、「最近はモームなどは出ませんね」と話しかけたところ、「今では英語は情報処理科目ですから・・・」と寂しい返答が返ってきた。
最近の日本の入試英語を見たら、ハクスリー氏もさぞかし嘆くことだろう。
2020年8月4日 記