豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

「走れ!歌謡曲」番組終了 

2021年02月13日 | あれこれ
 
 昨夜は11時すぎに就寝。
 NHKラジオ深夜便、関西発で視聴者の投稿川柳をやっていた。ラジオをかけたまま、いつの間にか眠ってしまった。

 目が覚めると、(きょう午前)3時からの南沙織特集をやっていた。
 南沙織の思い出はないが、しばらく聴いていた。知らない曲ばかりだったので、ダイヤルを回すと、カーペンターズの「イエスタデ―・ワンスモア」が流れてきた。

 文化放送の「走れ!歌謡曲」だった。
 女声のDJだったが、他の民放のDJに比べれば穏やかな語り口だった。50年近く前の、ぼくが若かったころに聴いていた滝良子や馬場こずえを思い出させる。彼女たちも午前3時からの(他局の)第2部を担当していた。
 次にかかった曲が南こうせつとかぐや姫の「神田川」だった。1972年の曲らしい。ぼくが22歳である。懐かしい曲だけど、ぼくは下宿したこともないので、「神田川」の歌詞のような思い出はない。きょうは南こうせつの誕生日だとも言っていた。彼は何歳になったのだろう。

 驚いたことに、「走れ!歌謡曲」は3月をもって番組が終了になると言っていた。
 若いころは、曜日ごとに、TBS「パック・イン・ミュージック」か、文化放送「セイ・ヤング」か、ニッポン放送「オールナイト・ニッポン」を午前3時まで聞いて、第2部が始まるとスイッチを切って寝ることが多かった。
 「走れ!歌謡曲」も、始まりの口笛(行進曲?)だけ聞いて寝ることが多かった。それでも、番組終了となると、多少の感慨はある。

 4時すぎにNHKラジオ深夜便に戻した。
 浜村淳へのインタビューをやっていた。彼は渡辺プロの所属だったとかで、当時の渡辺プロは銀座の三信ビルに入っていて、隣りは東宝演芸場だったので、よく寄席に通って話術の修業をしたと語っていた。
 桂文楽(だったか?)から、話の合間に「アー」とか「ウー」とか「エー」とかを挟むな、と教えられたと言っていた。ぼくも最初に就職した大学の新任研修で、元NHKアナウンス室長だった大沢さんという方(斉藤季夫アナと同期入社だといっていた)から、全く同じことを言われた。「アー」とか「エー」とか言いたくなったら、むしろ沈黙せよと教えられた。ぼくは、授業の際にこのアドバイスをかなり忠実に守った。だから、やたら「アー」とか「エー」とか「あのー」「このー」を連発する人の話は、気になって仕方がない。
 ちなみに、レトロな三信ビルの渡辺プロの右隣りのテナントが川島武宜先生の弁護士事務所だった。原稿をいただきに伺ったことがあった。

 午前5時近くになって再び「走れ!歌謡曲」に戻した。終わるときに「一人じゃないんだ、日野ファミリー」の日野自動車のCMが入らなかった。口笛行進曲も流れなかった。番組の途中のCMも文化放送関係の催し物のCMだけだったから、日野はすでにスポンサーから降りていたのか。それが番組終了の原因かもしれない。
 若いころは眠りたくなくて深夜放送を聞いていた。今は眠れなくて深夜放送を聴いている。それが17歳と71歳の違いである。昨夜は実質4時間くらいしか眠ってない。
 でも、それでいいのだろう。

 2021年2月13日 記


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